- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000248679
作品紹介・あらすじ
インドネシアは、国際的な支援の下で、民主化改革を実行してきた。だが市民の自由と権利と平和が保障されるはずの「民主化」の中で、非民主的な権力構造が強化されるというパラドックスが起こっている。アジア政治の深層に内在する非民主的勢力が民主主義そのものを蝕む政治力学を、政治の現場での豊富な取材と調査で明らかにしてゆく。
感想・レビュー・書評
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ふむ
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/688528 -
インドネシアの民主化について分析。
1998年にスハルト体制は崩壊する。もっとも89年ウォルフフィッツアメリカ大使が自由化を求めた際に、国軍がこれを許容する姿勢をしめしたことが民主化運動が展開する大きな要因となった。この頃、国軍とスハルトの関係は微妙になっており、国軍は民主化運動が進展すれば、スハルトは軍を頼らざるを得なくなるであろうと考えていた。
だが、民主化運動は拡大し、国軍はプラボウォの強硬派とウィラントの穏健派に分裂する。スハルトはウィラントの説得に応じて、退陣を選ぶ。
後任の大統領には副大統領だったハビビが昇格する。1999年には民族覚醒党のワヒドがゴルカル党やウィラント率いる国軍会派の支持も得て、闘争民主党のメガワティーを破って、国民評議会で大統領に選出される。メガワティーは続いて行われた副大統領選に出馬し、当選する。
ワヒドはその後、自分の政党を閣僚人事で優遇したために国民評議会との関係が悪化し、2001年に罷免される。この結果、副大統領のメガワティーが大統領に昇格する。
2004年7月から9月にかけて初の直接大統領選が行われ、国軍エリートのユドヨノが新党民主主義者党から出馬し、メガワティーを破って大統領に当選する。この時、副大統領となってのはゴルカル党のカラ。カラはその後、12月にゴルカル党の党首に就任する。
カラは優秀な行政手腕を誇り、アチェにおける停戦を実現する。
ユドヨノとカラの関係は微妙となり、2009年の大統領選にカラはゴルカル党から出馬する(副大統領候補はウィラント)。ユドヨノは中郷銀行総裁のボエディノを副大統領候補として大統領選に出馬する。この大統領選には闘争民主党のメガワティー(副大統領候補は大インドネシア運動党のブラボウォ)も出馬し、結局、ユドヨノとメガワティーの一騎打ちとなりユドヨノが勝利、長期政権を樹立する。
民主化は進んだが、国軍は一定の利権(ボディーガードビジネス)を確保、また、プレマン(ヤクザ)の動きも拡大している。
この本で面白いのは98年の民主化した時点で重要なプレーヤー(メガワティー、ウィラント、ユドヨノ、プラヴォホなど)がその後も引き続き政治の一線で競争を続けているということ。