- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000268783
作品紹介・あらすじ
アフガニスタン、パレスチナ、アルジェリア、インド、ブラジル…ポスト植民地のさまざまな「情景」をたどるモンタージュの旅に読者をいざないながら、著者はポストコロニアリズムが問いかけるものを複層的に浮かび上がらせてゆく。ポストコロニアリズムとは何よりも具体的な政治・社会・文化の状況を出発点にふまえた、下からの視点による思考であり実践なのだ。第一人者が書き下ろした待望の入門書。
感想・レビュー・書評
-
理論の説明ではなく、具体的な事例からポストコロニアリズムについて述べた本。植民地主義の行状をこれでもかと披露していくあたり、これは改めて知っておくべきで読んで良かった。しかし後半、植民地時代後のポストコロニアリズムの必要性について熱く語るところは60年代くらいからの政治運動に依拠していて、現状分析と理論が弱いように思う。2,000年頃までの内容だから、その後に関しては再考が必要というところなのかも。個人的にはポストコロニアリズムがこの本そのままならば少し失望する。強者と弱者の分断を助長するものだと思うから。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
巻末の解説に訳者の戦前の日本帝国に関する言及と反省を促すべき文章はあるが、現在の日本が米国によってコロナイズされている事に関しては一切言及が無いのが気になった。
-
【サポートスタッフ企画展示:2018春 ブックリスト掲載本】
▼LEARNING COMMONS イベント情報
https://lc.nul.nagoya-u.ac.jp/event/?m=201804&cat=5
▼名古屋大学附属図書館の所蔵情報はこちら
https://nagoya-m-opac.nul.nagoya-u.ac.jp/webopac/WB01507197 -
「1冊でわかる」シリーズの「グローバリゼイション」が結構分かりやすかったので、ついでにこちらも読んでみる。
ポストコロニアリズム。といえば、昔、読んだというか、大学で読まされたエドワード・サイードの「オリエンタリズム」くらいしか、イメージがなくて、旧植民地の被支配側から見た世界、ということかなー、という程度の漠然とした理解のもとに読み始める。
おおざっぱには、そんな感じなんだけど、「オリエンタリズム」を読んだときの理論的というか、批評的な感じとは、かなりこの本違う。
多分、これってこの本の特色で、ポストコロニアリズムの一般の特色ではないんだろーな、とは思うのだが、この本、現場感がすごい。
世界のさまざまな現場、そして歴史的なエピソードをコラージュしつつ、積み上げることによって、ポストコロニアルな問題意識のあり方を浮かび上がらせる。
これをもって、結局、ポストコロニアリズムなるものが何なのかは、よく分からなかったが、「オリエンタリズム」を再読するとともに、スピヴァクの「サバルタンは語る事ができるか」なる本を読まなきゃいけない、ということが分かった。
ちなみに、私は、年末は、結構、マーラーの交響曲とか聴くことが多いのだが、マーラー聴きながら、この本読むとすごく違和感があった。マーラーって、結構、雑食的なコラージュ音楽と思っているのだけど、この本読んでいると、まさに西欧的にきっちり構築されたものであることが分かった。
で、なんとなく、アラブ歌謡とか、アルジェリアのライとか、聴き始めたら、本のなかでもライについてかなり詳しく論じられていて、面白かった。 -
130907 中央図書館
普段は読まない分野の本でも、たまには手を伸ばしてみた。
学術書ではなく、啓蒙書なので、難しい理論はでてこない。植民地・帝国主義が、今でも世界を覆っており、世界のいたるところでマージナルに追いやられて土地を失った民族、人々がいる。そのことを忘れるなというメッセージ色の強いものになっている。世界のあちこちの悲惨な現実がフラッシュで流れていき、抑圧と抵抗の歴史の解説が伴走する。
たしかに、MBAや知的生産効率や自己啓発などにゲームのように興ずる世界とは、別の世界が、地球上にはある。普段見ている世界が反転して、向う側で目撃者となって物事をとらえなおす必要性、そういったものを感じさせる。 -
ポストコロニアル研究についての最初の本として、そこに漂う雰囲気を知るという意味でもよくできているように思う。
ポストコロニアル研究はジェンダー研究と同じく、それまでの社会科学的な研究と異なった特性をもつものとして現れてきた。今までの社会科学が「科学」を標榜し、なるべく客観的な事実に依拠することを指向して発展していったのに対し、これらの研究領域はより社会へのインパクトを重視している。すなわち政治的な要素を持っていることが、この学問の目新しさなのだろう。「象牙の塔」と揶揄されるアカデミアにおいて、積極的に社会変革を目論むこのような学問が、人文・社会系学問において、プレゼンスを拡大していったということはある程度評価されるべきであるというように感じる。
ただ、最近言われ始めているのが、果たしてポスコロ/ジェンダー研究が、どの程度自分達自身を客観的に見つめているか?ということであり、そのような反省的研究が盛んでないことも事実のように見える(と断言できるほど僕はこの領域に手を出していないのだが)。そのあたりが両分野に漂う行き詰まり感を生み出しているような気もするが、これはもう少し僕が勉強してから言及していきたい。
なにはともあれ、アカデミアも「象牙の塔」的研究だけじゃないんだぞう(ドヤ)ということを知るということは悪いことでは全くない。
とっつきづらそうな大学研究にも、例えば音楽の力を素朴に信じるような通俗的なところが含まれているし、むしろ近年はそちらのほうの研究に勢いがあったのだ。 -
ポストコロニアリズムについての概説本かとおもいきや、(新)植民地主義への具体的な抵抗の事例を通して、モンタージュのように構成された本。
ポストコロニアリズムと社会運動(実践)の親和性について触れられるので、まぁ面白いは面白いのだけど、あまり理論的なことを知らないと読んでもよく分からないと思われる。なので、とりあえず概説的なことが知りたい人は、本橋哲也の「ポストコロニアリズム」(岩波新書)なんかを読むのがいいと思われる。 -
これ、読むべし。
わかりやすー。