分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 51
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000614665

作品紹介・あらすじ

クラスター対策に3密回避。未知の新型コロナウイルスに日本では独自の対策がとられたが、その指針を描いた「専門家会議」ではどんな議論がなされていたのか? 注目を集めた度々の記者会見、自粛要請に高まる批判、そして初めての緊急事態宣言……。組織廃止までの約四カ月半、専門家たちの議論と葛藤を、政権や行政も含め関係者の証言で描くノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • コロナ対策の内側から見た、専門家と行政の対立史。科学者の、間違えば改めるマインドと、官僚の無謬性が相容れないのが、根本原因か。

    対策はなくてもファクトだけ出せばいい専門家。出すからには対策を実行できないといけないとする官僚。無謬性に固執するのは何も官僚ばかりではない。むしろ「サイエンスは失敗が前提(尾身、132p)」なので間違えればいつでも信念を変えるというマインドを持っている科学者が特殊なのかも。

    この間違えば改める科学的態度というのは、どんどん事態が動き、新しい事実や知見がわかってくる新型コロナでは特に重要。私もウイルスに対しては不織布マスクの有効性は疑問と考えていたが、静電気で吸着されるというのを知って意見を変えたことがあった。原発事故でも似たことがあった。


    岡部は専門家会議の中で、対策をゆるくしようという立ち位置だったが、これは宗教的輸血拒否の経験から来ていたと明かされる。

    騒いでコロナで死ぬのも勝手ということだろうか。岡部は、病気だけに注目するのではなく全人格、生き方を診るべきだという。同様に、コロナだけに注目するのではなく経済含めて、、ということか。それもわかるし、大勢のウィズコロナ派がそういう考えなんだろう。だがコロナの場合放任するとしわ寄せは弱いものばかりに行くので認められない。公正ではない。なので行動規制ということになる。

    リベラルを自認する者が規制が必要というのは矛盾だろうか?リベラルに対置されるのはパターナリズムであり、パターナリズムでは規制がいらない。もし医療崩壊しそうになるなどした場合は命令すればいいからである。そう、恣意的に命令が必要にならないように、リベラルを貫くためにこそ規制が必要なんだろう。リベラルと規制は矛盾しない。


    クラスター対策班が地方のデータをもらえない理由は、地方の不信感だった。政府の誰かが情報をぽろっとしゃべってしまうことがあったからだという。


    専門家会議解散(組織改変)の理由について、河合は、経済の知見も重要になる段階に入ったことと、専門家が政策を決定しているように受け取られていることだと記した。受け取った世間が悪いような書きぶりだが、西浦はむしろ政治家の専門家に責任転嫁する発言が原因といっていた(https://booklog.jp/users/k0418/archives/1/4120053598)。

    その際の「卒論」でもめた(厚労省が、危機管理体制の不十分を指摘したことに反発し抵抗)ためにその間対策ができなかったのを脇田は悔いているという。第2波は新宿の「一人」から広がったと判明したからだ。ゼロコロナ寸前までいってたという事実に驚く。しかしここで感染者ゼロにできてたとしても、あの検疫体制だったので、いずれにしろ海外から入ってきてたからそう悔やむことないのでは。


    本書を読んでみて、PCR拡充がなぜできなかったか少し分かった。忙しすぎて誰もやろうとしなかったのではないか。担当大臣と専任のスタッフをたくさんおけば出来てたかもしれない。尾身も拡充を言うばかりで変わらない状況を放置し続けた。数値目標くらい示すことくらいできたはずだ。

  • うーん、最後の尾身さんの座右の銘の、「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり…」これは旧約聖書の言葉だそうだが、人間の個々の気持ちなど歯牙にもかけないリアリティの強さがあるという言葉、つまりは、個人個人の感傷などではない、大局を見ての諸々を決めていく度胸というか、根性というか。あの数ヶ月、いや実は今もかもしれないが、批判も轟々だったろうに、やりきった強さはそこにあったんだろうな。
    に、してもこんなに長引くものだとは、思ってなかったな、この頃は。

  • ドキュメントとして、記録としてとても大切な1冊。
    いまだ収束せず、そしてこれからも同じことを繰り返すであろう政府と官僚。
    これを繰り返すのが人間ということか。
    (歴史に学ばないのも人間)

  • そのとき専門家会議は何を考えどう動き、それに対して政府はどう対応したのか。

  • 一気読み。尾身副座長を中心とした専門家と内閣官房・厚労省のコロナ対策の連携を描く。官僚が無謬性の原則から思っていた以上に硬直していた。それは本来あるべき姿ではない。政策選択によって被害を被る国民の一部からしてみれば甚だ迷惑な話だろうが、間違いもあることを認めて、反省して次に繋げるという謙虚さを持つことが肝要なのではないか(理想論に過ぎないと言われそうだが)。コロナの状況に関する西浦氏のインフォームドコンセントと厚労省のパターナル的対策は科学者と政策担当者の違いを示していて興味深かった。どちらも正しいしどちらも間違っているので答えが出ない。
    押谷さんのブリコラージュの話(p138)は特に大事だと思ったのでここに書いておく。
    尾身さんはかなり多方向の圧力を捌いているはずなのに常に飄々としていたようで筑駒生らしいなと感じた(笑) 2021/5/19

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50249848

  • 間違いを認める所は認める専門家と、間違いをしない事を目的とする役所と政権。
    この間の丁々発止のやり取りは、言葉では表し切れないと思うが、どちら側に重心をおくでもなく、フラットな立場で描かれてるので、それぞれの立場の違いや当事者の覚悟が伝わり、臨場感が感じられた。

  • 尾身先生のように人を信じ続けられるだろうか、ということはずっと自問しながらやっていきたいと思う。

  • 読むきっかけ:新聞広告で知り、専門家会議の運営に興味を持つ。

    尾身氏をはじめとする専門家の矜持に低頭する。

    以下、文中の尾身氏の心に響いた言葉。

    「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。一方で役所は間違わない、間違いたくないという気持ちが強かった。」

    「リーダーは感情のプロである必要がある。リーダーとは何かといった本には、決断力やコミュニケーション、大きな方向性を示すことなどが書いてありますが、でももっとも重要で難しいのは、感情の、怒りのコントロールです。怒ったとしても、根拠のある怒りが必要だ。後で尾を引かないような怒り方をすることが重要です。」

  • 1月25日読了。図書館。

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著者プロフィール

河合 香織(かわい・かおり):1974年生まれ。ノンフィクション作家。2004年、障害者の性と愛の問題を取り上げた『セックスボランティア』が話題を呼ぶ。09年、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション大賞、19年に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一賞および新潮ドキュメント賞をW受賞。ほか著書に『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』(『誘拐逃避行――少女沖縄「連れ去り」事件』改題)、『絶望に効くブックカフェ』がある。

「2023年 『母は死ねない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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