- Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000614788
作品紹介・あらすじ
私は耳の作家、魂の歴史家です──。ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞した作家の創作の道のりと極意を、NHK同行取材記録のほか、充実した講演・対談・評論によって明らかにする。「ドキュメンタリー文学」の手法とは何か。『戦争は女の顔をしていない』や『チェルノブイリの祈り』はいかに書かれたか。
感想・レビュー・書評
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「私にとっては、数字や規模などで表される事件事故よりも、人の心がたどる道筋の方がはるかに重要なのです。」
偉大な出来事や英雄的行為だけが語られる「大きな歴史」ではなく、「小さき人々」の声を聞き続けた「耳の作家」アレクシエーヴィチの言葉に耳を傾ける時だ
#NoWar
#StandWithUkraine
アフガニスタン戦争にて、数百の亜鉛の棺を前にした将校がこらえきれずにアレクシエーヴィチに向かって言った「私の棺桶だってあそこに並ぶかもしれない。あそこに入れられて…私はここでいったい何のために戦っているんだ」はまさに英雄ではない「小さな人」としての言葉だろう。
これを抱えながら戦地で戦う人々が少なくない人数いるだろうと思うと心が痛い。そして、本当に思っていることは口には出せないと思うと余計に…
徴兵された軍隊で暴力を受ける彼の脱走手引きをして助けた恋人が個人として語る言葉
「チェチェンに行って戦うことに何の意味があるんでしょうか?政府にとっては必要なのかもしれませんが、ロシア人にとってはまったく無意味です。私はそう思います。」
ロシア政府が行うことに意味を見出していない「小さい人々の声があるだろうことを教えてくれる。 -
2024.3.27
ソ連崩壊後の混乱期、東日本大震災による原発事故後、ウクライナ紛争の始まり、それぞれの時期に番組制作のために行なったアレクシエーヴィチとの対話の記録。作者の肉声が聴ける貴重な本だと思いました。特に在日朝鮮人作家の徐京植氏との2回にわたる対談には感銘を受けました。ユートピア5部作と併せて読むにはとても良い本だと思いました。 -
980.2
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対話集だからそんなに…と思ったけど
対話集ですらメガトン級に重いよアレクシエーヴィチ!
小さき人々、でさえ善良で正しいとは限らないことを、
ひとりひとりに
それぞれの真実と善悪があって
ひとまとめに括って語ることを許さない。 -
アレクシエーヴィッチとの対話 岩波書店
一人で戦争はできないし
競い争う事も集う事もできない
それでも生命は何かを食べて
何かを求めて何かを恐れて
何かに感動して
何かを感じて学びながら
生きながらえる
二人ならケンカが始まるだろうか?
それでも共食いはしないだろう
三人になれば対立が起こるかもしれない
家族だけなら?
兄弟は他人の始まりでもあるだろう
全員の顔が見える村なら?
個と集いの距離感を維持した
信頼関係を育めるかもしれない
その一単位は二百人か?五百人か?
共食いが始まるのは顔の見えない
感情の枠を超えた対立による
恐怖状態なのか?
狩るのは感情の外にある
一方的な力による管理下なのか?
五感の外にある理解の及ばない
無意識による殺しは心の範疇外なのか?
いずれにしろ同士討ちや戦争は
視野の問題であり精神性の問題であり
違和感に伴う不安恐怖が支配する
肉体の内側にある摩擦と物欲に関する
問題らしい -
NHKドキュメンタリー「ロシア 小さき人々の記録」を作った関係者による、当時の取材の詳細をまとめた本。
チェルノブイリから福島へ
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/nukyoko/2011/04/_17.html
原発事故が起きていない地域の作物に含まれる放射性物質は何ベクレルなんだろう?
計測しているのか?
https://japanpen.or.jp/berarus/
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ・ペンセンター会長)の声明
2020年9月9日付け
ベラルーシ・ペンセンターのホームページに掲載 -
東2法経図・6F開架:980.28A/A41a//K
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#英語 Dialogue with Svetlana Alexievich ノーベル文学賞受賞作家アレクシェービッチの著作執筆の動機が語られていて、読み終えた今では、例えば『亜鉛の少年たち(アフガン帰還兵の証言)』や『セカンドハンドの時代』という本の題名を見るだけで、著者の思い、その本のエッセンスがパッと頭に浮かびます。もちろん各著作を読むのが一番いいですし、そういう気持ちになるのがこの本です。
副題にある『「小さな人々」の声を求めて』が著者の執筆のベースで、石牟礼道子と似ているなと思いながら読んでいたら、沼野恭子さん執筆の17章で指摘されていました。
ドフトエフスキーの影響を受けていると語るアレクシェービッチ。『罪と罰』は読みましたが、アレクシェービッチが語るドフトエフスキー文学に私は気づけておらず、探求を続けていきたくなりました。
それから第11章で鎌倉英也さんが書かれているゲンナジーさん(撮影用レール敷き職人)の話は、まさに「小さき人々」の話で、この本にゲンナジーさんのことを遺してくれてよかったと心から思った。人々の記憶に残る限り、ゲンナジーさんの思いも生きている。私たちの社会がどうにか今日まで続いているのは、こうした小さな人々がいたからこそだと思う。 -
女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000054196