- Amazon.co.jp ・本 (169ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003001318
感想・レビュー・書評
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「をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり。」(男も書くと聞く日記というものを、女(である自分)もしてみようと書いてみるわ。)
日本文学史上これほど際立った出だしはあるだろうか。もちろん女装趣味なわけではない。たぶん。
承平四(934)年12月21日の土佐国府の出発から、承平五(935)年2月16日の京の自宅到着までの、55日間を要した旅行での出来事を記したあまりにも有名な紀行日記である。
解説によれば実際の旅行での実務的な日記をベースに、後日、文芸作品にまで高めて発表された(?)ものとのことで、様々な文学的技巧が凝らされていて、和歌も59首、収載されている。
しかし、そのような文学的評価とは別に、読了してみてまず思うのは、当時の船旅は本当に風まかせ波まかせということで、一所に止まっている日が嫌になるくらいにたびたびあったんだなということだろう。そんな中で、土佐を出るときは皆に送迎され、なんだかんだと酒宴があってとても楽しげでもある。そして、いろいろな出来事にかこつけて捻りだされる和歌もとても風流で、現代から考えるととても悠長な船旅なのだが、逆にゆったりと物事を感じることができて、そのような気分にも浸れるのかもしれない。
一方で本作の底流に流れるのは、土佐国在任中に死んでしまった亡き愛娘への限りない想いで、京帰還へのはやる気持ちと、その裏腹としての亡き愛娘への追憶の情がそこかしこに滲み出ていて、この紀行日記に深みを与えている。
また、船旅日記という形式であらわにされる心情表現はなかなか面白いものがあり、船足が停滞している時にはどんよりとした気持ちになり、波を蹴って大海原を進んだ時には弾んだ気持ちにもなり、さらに貫之が様々な人物に仮託して心情表現しているところなどは文芸作品ならではの面白味にもなっている。船頭が波を読み違えたのを罵倒しているかと思えば、波を鎮める知恵を出した時には褒めたたえる現金さには思わず笑いがこみ上げてくる。ざっくばらんに、ちょっとした嫌味や愚痴をぽろっと出してしまうところも、本作品が後世にまで読み継がれ愛される理由のひとつでもあるだろう。
我が国初の仮名文日記で、後の女流文学の先駆けとなったという文学史的記念碑でもあるのだが、そんなことを抜きにしても現代でも紀行日記として普通に楽しめる作品なのだと思う。高校(?)の古典の授業以来だったので、そういった懐かしさもひとしおだったかな。(笑)
以下は気になった和歌をいくつか。
「ゆく人もとまるも袖のなみだがはみぎはのみこそ濡れまさりけれ」
「影みれば波の底なるひさかたの空漕ぎわたる我ぞわびしき」
「あをうなばらふりさけ見れば春日なるみかさの山にいでし月かも」
「波とのみ一つに聞けど色見れば雪と花とにまがひけるかな」
「寄するなみ打ちも寄せなむ我が恋ふる人忘れ貝おりてひろはむ」
「すみのえにふねさしよせよ忘れ草しるしありやと摘みてゆくべく」
「ひさかたの月に生ひたるかつらがは底なる影もかはらざりけり」
「生まれしもかへらぬものをわが宿に小松のあるを見るがかなしさ」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読み易い文章だと思う。
高校の授業でやったところは、よく覚えていた。
昔の船旅の大変さが伝わってきてた。
よくわからないところにはいくつもの説があって、その違いが面白い、と思った。
【memo】
・門出は、旅立ちの前に仮の場所に移ること。
そこで吉日や、目的地が吉方になることを待つ。
・12月27日の舵取りの態度は、伊勢物語の9段と似ている。⇒ 伊勢物語の筆者は紀貫之説はここから。
・歯固め 元日に健康を祈願して歯の根を固める硬い食べ物を食べた。物は地方によって様々で、栗・大根・串柿・するめなど。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/701681 -
喪の失敗
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38783
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安定の岩波文庫だなぁと思ってしまった。
原文と注釈、そして和歌の現代訳が載っているから、一冊でなんとなく事足りる。
日記、というより旅行記、回顧録という感じ。
読んでいるうちについつい口に出してしまうのは、言葉の綾というか、響きが現代では遠いものになっているかもしれない。
それでいて心地よい。 -
資料番号:010779866
請求記号:915.3キ -
読み始めました。
御堂筋線、なんば駅あたりで。
(2013年8月10日)
読み終えました。
新幹線車中で。
(2013年8月11日)