海神丸: 付・「海神丸」後日物語 (岩波文庫 緑 49-1)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (99ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003104910

感想・レビュー・書評

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  • 殺したんなら食べないと!と思って表題作を読み終わったのだけれど、後日談で「これは…」となった。小説に収まりきらない現実。

    あとがきで作者は表題作を若書きだと書いているけれど、線が太く簡潔な文体が好み。この人の書くものはどれもおもしろそうだ。この本では特に、外海の荒々しい波の表現が冴えていて軽く酔ってしまった。

  • 難破後、4人の男が2対2に反目していく様子が生々しく描かれる。そしてまた奇縁を感じさせられる付録(後日談)も良い。
    あとがきで作者は、本作を「若書き」であるとして、著述の拙さを恥じるている。「秀吉と利休」の、緊張と滋味が同居した文章はたしかにここには無いが、火花が散るような九州弁の記述は印象に残る。

  • 作者が37歳の時の実話に基づいた作品。
    船長以下4人が乗り込んだ海神丸が遭難し70数日間の漂流をする。飢えに耐えられず若い一人を殺し食べようとするが、船長が見咎めそのまま海に流し弔う。その後3人は救助されるが共犯の一人は狂死する。後日談では残った二人の諍いに現場で交わした念書が事実を証し露見を防ぐ。この物語は船長だけの視点から書かれており、ノンフィクションのようでもあり、本当のことがすべて語られているか読み手に猜疑の緊張を強いる。

  • 野上弥生子著『海神丸――付「海神丸」後日物語』(岩波文庫)
    1929.1.25発行
    1970.8.17改版発行

    2021.10.10読了
     著者(1885-1985)は大分県臼杵市生まれ。14歳で上京し、明治女学校高等科を卒業すると共に野上豊一郎と結婚。その縁で夏目漱石門下となり、明治40年(1907年)に処女作「縁(えにし)」を「ホトトギス」に発表。作家デビューを果たす。写生文を生かした知的な短篇小説の書き手として注目を集める。

     本作「海神丸」は、私が調べた限り、「中央公論第37年第10号(第413号)秋季大付録号」が初出だと思われる(URL:https://id.ndl.go.jp/digimeta/10232090 )。雑誌の出版年月日は大正11(1922)年9月1日。関東大震災が起こるちょうど一年前の日付である。

     本作は海洋小説であり、食人をテーマにした作品でもある。海洋小説としては、優れた先例として有島武郎『生れ出ずる悩み』(大正7年)があるが、食人小説の先例については、私は知らない。魯迅が「狂人日記」を大正7年(1918年)に発表しているが、「海神丸」との関連性についてはよく分からない。

     さて、著者の述べるところでは、本作は、実際に起きた高吉丸海難事件をわずかに虚構化させたモデル小説とのことである。この著者の言をそのまま鵜呑みにして良いのかどうか、一抹の疑念はあるものの、極限状態の人間のエゴイズムを冷徹に描いてみせるその筆致は凄まじい。一体どんな人生を歩めば、このような表現ができるのだろうか。悲観的でもなく、虚無的でもなく、頑として自分を第三者的立場に据えて、人間の暗部を記録していくような書きぶりなのだ。著者の知性のなせる業なのだろうか。著者の持つ機軸の力強さがこの作品一つだけでも十分読み取れる。理性を失っていく人間を描くには知性がいるということなのかもしれない。

     飢餓が人間の理性を失わせるのは間違いないだろうが、私には、極限状態の人間のエゴイズムの凄惨さを描くことで、エゴイズムの克服を描こうとしているように思えた。実際、八蔵は女性の暗喩とも取れる三吉の肉置きに欲情して理性を失い、五郎助は生還の気のゆるみで理性を失ったとも読める。一人神仏への祈念を失わなかった船長だけが理性を保ち得たのは、個を捨て天に身を捧げるという一見して前近代的な積善の振る舞いこそが、すなわち理性であり、知性であり、エゴイズムの克服であることを示しているからではないだろうか。

     著者が提示する知性の在り方は、現代人の価値観と相当異なっているかもしれないが、己に囚われて天道に背いたことが回帰不能点であったことは確かだ。この辺りに著者独自の思想が展開されているように思う。

     現代とは、紐帯を失って袋から散らばった個人が四方に拡散し、その一方でSNSを通じて個人と個人とが容易に繋がると同時に容易に切れる時代である。世代間・地域間の格差も激しくなっている。身内同士でも距離感が掴みにくい。あるいは、他人同士の方が楽なくらいだ。野上作品に現代を読み解くヒントがあるのか。他の作品も読んでいこうと思う。

  • 実際に起きた出来事に取材した作品。
    作中では、船長の人間性の高さと信仰心の強さが特に際立って描かれている。自身の後悔もその中には多分に含まれているだろう。
    併録されている「『海神丸』後日物語」も併せて読むと、実際の出来事の背景も掴むことができる。

  • 表紙に書かれているあらすじからして読むことに緊迫感があり、読者の悪い予感は当然のように帰結する。
    人の生命の軽重はその時その時で変わるものだろうし、むしろこの状況下において…と考えてしまう。

    本編自体よりもその後の経緯の方がまた人間の精神の動きが生々しく現れていて、生きるということを考えさせる。

  • (*01)
    時代としてみたとき、小林の蟹工船や葉山の万寿丸と同じ頃か少し前に、海神丸は太平洋を漂流していた。船は資本が小さいせいか小さく感じる。その少しあとに、北の海で漂流する武田のひかりごけの船と同じぐらいの小ささだろうか。
    海神丸では、船長以下乗員4人(*02)はのっぴきならない関係に緊張しながら、悪天候に巻き込まれ、晴天の大海に船ごと放り出される。
    サバイバルな環境において少数の4人は不安定で、やはり3人鼎立が適正なバランスであったのだろう。1人が殺されず(*03)その後も4人で漂流しサバイバルしたケースはあまり想像できない。

    (*02)
    4人の船乗りのどこのものとも分からぬ言葉が美しく輝いている。帆船というから近世以来の海の言葉が船の技術とともにまだ生きている。もちろんその技術や言葉の中には、敵とも味方とも分からない神への信仰が隠されてある。近代の小説にも既に兆候や症候として見えていた、ちょっとした罪と罰の物語でもある。

    (*03)
    最も若い者の口が減らされたという事実には、現実以上に象徴的な意味をもつように思える。
    未熟であり力不足であることにより引き続き世を渡ることができなかった、成長過程にあることでより多くの水の食料が必要とされた、といった現実的な要因も考えられるが、供犠や生贄という側面も乗員の無意識になかったか、探ることは許されないだろうか。

  • 予想していたクライマックス?とは違いましたが、とてもリアルに船乗りたちの心の動きを感じることができました。自然に対する人間の小ささも。後日物語も面白かったです。本作を元にした映画があるんですね。 新藤兼人監督『人間』(にんげん)1962年11月4日公開

  • 尻が食べたいという欲求を頑張って押し留めようとする話。

  • メリメの『タマンゴ』とセットで読むと面白いかも。

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著者プロフィール

野上彌生子

小説家。本名ヤエ。大分県生れ。明治女学校卒。英文学者,能楽研究家である夫野上豊一郎〔1883-1950〕とともに夏目漱石に師事し,《ホトトギス》に写生文的な小品を発表。1911年創刊の《青鞜》にも作品を寄稿した。《海神丸》《大石良雄》から長編《真知子》と社会的視野をもつ作品に進み,戦前から戦後にかけて大作《迷路》を完成。ほかに《秀吉と利休》がある。1971年文化勲章。

「2022年 『秀吉と利休』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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