河童 他二篇 (岩波文庫 緑 70-3)

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 50
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  • Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003107034

感想・レビュー・書評

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  • 図書館で借りた。
    私の岩波文庫を読んでみようシリーズ。今回は芥川龍之介の「河童」、河童なんてファンタジー的な雰囲気を感じさせるが、強烈な社会風刺を意識された作品だ。むしろおどろおどろしい。これを書き上げて半年も経たぬ間に、芥川は命を絶つ。

    河童と出会うまでは、上高地の山を登るドキュメンタリーの情景だったが、気付けば河童と対等に会話し、河童の世界に居る。
    河童の常識が広がる世界…、私には整理ができなかった。

  • いづれも芥川龍之介のことを知らないと理解できない作品だと思う。その意味で、読んだが理解できなかった。特に『蜃気楼』は意図さえもわからない。解説やWikipediaには敢えて筋も中身もないものをこさえようとしていたと書かれているが、本当にそうなんだろうか。主人公はただただ何をみても聞いても気味悪さを感じて独り妄想に走りがちになるが、友人や妻の返答で実は全て何でもない取り越し苦労であったことに気がつく。そういう場面がいくつか繰り返されて終り。なるほど一読すると中身も筋もない。三島由紀夫らは、詩的な作品だと述べ、ほかにも絵画的だと評価した人もいるらしい。短篇なので、筋はつけにくい。短篇だからそう感じるだけなのではないかと思う。何にしても芥川龍之介のことはよくわからないので、どの作品も読んでいて理解できなかった。

  • 15.08.2021 読了

  • ★3.5 「蜃気楼」「三つの窓」

    「河童」は色々と風刺しているのだろうけど、分かりづらい風刺もあったので、全部消化出来ていない。

  • 芥川龍之介の晩年の著書3作が収録。
    "河童"、"蜃気楼"は同じ頃に脱稿した作品で、共に1927年3月号の別雑誌に掲載されました。
    "三つの窓"は本書の解説によると同年7月号の文学雑誌「改造」に掲載、同年、7月24日が芥川龍之介の没月日なので、"三つの窓"に関しては死の直前に書かれたといっていいと思います。

    晩年の芥川作品は、人生や死をテーマにすることが多く、一人称が"僕"である私小説のような作品も多く見られます。
    本作収録の作品もそういった内容で、特に掲題にある"河童"は、人間社会のあり様を痛烈に批判したことで著名ですね。
    一方で、初期のようなわかりやすさ、親しみやすさというものは失われており、そういう意味で、初期と晩年では大きく印象が異なります。
    どちらが読みやすいかというと圧倒的に初期の作品だと思うので、晩年の作品は芥川龍之介という文士に興味があれば読むべきと思います。

    ・河童 ...
    晩年の代表作。
    それまで"河童"のイメージも呼び方も一定ではなかったが、本作のヒットによってkappaという発音やその容姿が固定されたという話があるほど有名な作品です。
    内容は、ある精神病患者の第二十三号が語った内容を記したものということとなっています。
    彼はある日、穂高山へ単独登山に赴くが、その途中で河童に出会い、追いかけているうちに河童の国に迷い込む。
    そこで河童の国でいうところの「特別保護住人」として認められた彼は、この奇妙な国について見聞きしたことを語るという内容です。

    河童の国は人間社会で固く信じられた常識の逆を取っていて、そしてそれは妙に納得できる内容となっています。
    「子供は親の都合で生まれず、生まれるかどうかを生まれる前に確認される」、「新機械の導入で工員が解雇された際には、法律により屠殺され食卓の肉として並ぶ」、「悪い遺伝子を駆逐するため、健全な河童と不健全な河童の婚姻が奨励される」など、正気ではないがそうなれば頭を悩ませる様々が解決すると思わされるような気にさせてくれます。
    精神病患者はそんな河童達をやがて清潔な存在として振り返り、人間社会に戻った後も河童の国に"帰りたい"と望むようになります。
    果たして彼は精神異常者なのか、精神異常者はどちらなのか、わからなくなるような内容です。

    ・蜃気楼 ...
    10ページほどの短編作品。
    副題は"或は「続海のほとり」"で、1925年に書かれた"海のほとり"という作品の続編ともとれる作品です。
    なお、"海のほとり"は未読ですが、"蜃気楼"同様、主人公が友人と海辺を歩く内容とのことです。

    蜃気楼が出るということで有名な鵠沼の海岸に出かけた主人公「僕」と友人が浜辺を歩くという内容で、不気味な雰囲気、重い空気は、絵画のような写実的な印象を与えます。
    二度に渡り同海岸に主人公は出かけるのですが、何が起きるわけでもなく終わります。
    "流れ着いた遺体の木札"、"土左衛門の足のように見えた遊泳靴"、この頃の芥川龍之介のざわついた心が伝わってくるようですが、友人たちや妻の存在が「僕」にやすらぎを与えるような感じがあり、短い文章から受けるものは様々だと思います。
    不思議な雰囲気の作品です。

    ・三つの窓 ...
    こちらも10ページ強ほどの長さの短編作品。
    最晩年の作品といっていいほど間際に書かれた作品ですが、有名作でもなく、収録されていることに違和感を感じました。
    とある一等戦闘艦を舞台にした3つの短い話をまとめたものですが、なんとも感想の書きづらい内容です。
    「2.三人」は、K中尉が艦内であった三人の死についてで、完成度が高く虚無感の伝わる内容でしたが、「1.鼠」に至っては正直内容の意味がよくわからず、「3.一等戦闘艦××」はまさかの艦隊擬人化で、変わった作品という印象しか持ちませんでした。
    研究家は意味が見いだせる内容なのかもですが、楽しんで読めるかというとそういう感じはなかったかなと思います。

  • 上高地の梓川のあたり。「僕」は、穂高の峰を目指す道行きで、熊笹茂るところで小休止。そこに河童が出現。捕まえようと追いかけるうちに「僕」は深い竪穴に転落。気づくとそこは河童達の世界。河童が独自の社会を営んでいるのだった。…という“河童国往還記”。
    チャック、バック、トック…等の名前の河童達と知己になる。やがて河童の言葉を解するようになった「僕」は、彼らと意見交換し、河童社会の成り立ちを知ってゆく。
     その後読んだ「ガリヴァー旅行記」を思わせる。

    併せて「蜃気楼」、「三つの窓」の短編二編を所収。

  • 本編収録の『蜃気楼』について


    話のない話

    『蜃気楼』に対する直接的な評価を記す前に、少し考えてみたいことがあります。そのことが、『蜃気楼』 の魅力の片鱗を知る前提となるはずです。それは、言語の機能についてです。

    当然のことではありますが、言語はあくまで表象であり、そのものではありません。「愛してる」といっても、当の「愛」なるものは言語化不可能な総体のことですから、人間は「愛する」という行為の具体例をひとつひとつ挙げることはできますが、「愛」のすべてを説明しきることができません。つまり、人間が理性とともに感性を持つ生き物であるかぎり、理性の領域に属する事柄は言語化可能であっても、感性の領域に属する事柄は、理性では永遠に解することができません。

    しかしながら小説は、仮にそれが芸術であるならば、そうでありながら、つまり感性の領域を問題としながら、その表現に言語を用いるという、大いなる矛盾を抱えています。もちろんさまざまな種類の文芸作品があり、それらのすべてがすべて、純粋に(書き手の、あるいは読み手の)感性を言語化する営みだけではありません。しかし、少なくとも芥川龍之介という人は、言語表現の限界と格闘した作家です。『蜃気楼』の特殊性は、おそらくここに、つまり芥川の企ての無謀さに起因しているのではないか、それこそがこの作品の魅力になっているのではないかと思うのです。

    『蜃気楼』は、「話のない話」です。すなわち、なにか筋があるわけではなく、ただ淡々とある日の情景が描写されるだけで、オチというオチがありません。しかし、読者はこの作品を読むことで、ひとつの幻視体験をします。

    ここで読者が目にする幻は、「唯ぼんやりとした不安」(芥川の遺書にある言葉)です。少なからぬ人が、時折この不安を覚えるのではないかと想像しますが、これは具体的に何とはいえない、得体の知れない影で、タチが悪く、存在することの必然性の無さ、生の無意味さを執拗に問わせます。この不安は、前述の「愛」と同様に、感性の領域では確かに存在するのに、それを理性の領域で認識しようとした途端に的外れとなって、その手から滑り落ちてしまいます。しかし、『蜃気楼』は、まるで一枚の絵画のように、読む(幻をみる)人の感性に隠された、その荒涼とした地平を想起させる、そしてその人の感性に巣食う、その不安という言語化不可能なものを言語化しようと試み、またそれに成功した稀有な一編ではないでしょうか。

    言語化できないなら、「唯ぼんやりとした不安」とやらは、実在しないのかも知れません。しかし、この理屈では、同じく言語化できないものすべてが実在しないことになってしまいます。では、人間は幻なのか。そうではないと、感性はいいます。優れた作家は、理性でもこれを認識しようと、言語化を試みるわけで、その無謀な企てに成功する人は多くありません。

    人間が人間となって以来、この無謀な企ては絶えず繰り返され、「人間」が打ち立てられてきたのであるとすれば(まるでこれはカミュですね)、『蜃気楼』が今後も読まれつづけることを祈らねばならないように思います。もし彼のような作家が読まれなくなったとき、それは人間が人間ではなくなる、すなわち動物か機械になるときではないかー合理化を最高善とする現代社会の行く先さえ暗示するといえば、深読みでしょうか。しかし、これからも『蜃気楼』は、読む人、読む時代の不安を映しつづけることだけは確かであろうと思います。願わくばこの明瞭な鏡が、あの海岸に打ち捨てられないことを祈るばかりです。

  • 「河童」は河童の世界の物語。高度な風刺なんだろうなと思いつつ、何を意味しているのかはいまいち分からなかった。他の作品と比べると巧みな表現というのは少なかったかな。自分の感受性が乏しいだけなんだろうけど、、、

  • まさか芥川自殺前の作品だったとは。
    異世界トリップ? ものだというのに、主人公の順応性の早さが、ものすごーく早かった。

  • 正直、表題作はよく分からなかった。『蜃気楼』はいい。丁寧な生活描写。透き通った空気の匂いがする。作者自身の今後もちらついていてぞっとするではないか。『3つの窓』の方は、その世界にいなけりゃ分からない閉鎖された人間社会独特の空気が読み取れる。誰もその場に居なけりゃ本当のことなんて分からないのだ。

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