- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003117811
作品紹介・あらすじ
「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」-放哉(1885‐1926)は、一見他愛のないような、しかし、一度知ると忘れ難い、印象深い自由律の秀句を遺した。旧制一高から東京帝大法科と将来を約束されたエリート街道を走った前半生、各地を転々とし小豆島で幕を閉じた孤独の後半生。彼の秀作の多くは晩年の僅か三年ほどの間に生まれた。
感想・レビュー・書評
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中学時代に教科書で学んだ自由律俳句。その代表作「咳をしても一人」を詠んだ尾崎放哉の句集。定型俳句時代の作品と後年の自由律の作品で構成されており、好
みの作品を見つけては、ハッとしたり、フフッとなったり、ニヤリとしたり。一言で言えば「なんかいい」。そう感じたのは、例えば以下のような作品たち。
「心をまとめる鉛筆とがらす」
「ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる」
「なんにもない机の引き出しをあけて見る」
「お祭り赤ン坊寝てゐる」
「掛取も来てくれぬ大晦日も独り」
彼の非定型の俳句は、なにかがふっきれたような感があり、比較的現代文っぽい文体であるため、私のような初心者にとって、とっつきやすく、どのページから読
んでも、肩が凝らない内容となっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
好きだなあ
昼ふかぶか木魚ふいてやるはげている
心をまとめる鉛筆とがらす
犬をかかえたわが肌には毛が無い
勝手にショモショモした顔の猫だと思っている
白くて毛がケパついた猫 -
このうえもない孤独感。
郷愁。
他愛なく印象的なことごと。
尾崎放哉。 -
友の夏帽が新らしい海に行かうか(p.43)
自らをののしり尽きずあふむけに寝る(p.46)
ただ風ばかり吹く日の雑念(p.49)
豆を煮つめる自分の一日だつた(p.71)
淋しいからだから爪がのび出す(p.75)
久し振りの雨の雨だれの音(p.86)
言ふ事があまり多くてだまつて居る(p.110)
豆腐半丁水に浮かせたきりの台所(p.118) -
生における自然の具現者。
空間と音を感じる。詩に他者がいる。
それが日常のささいな瞬間、家事でもいい、部屋の中にいる時でも、いい、そうした時に「今の自分」が「世界の側」から見出されるところに僕は共感しているのだろう。最近読んだ金子文子の手記や、漱石の硝子戸の中にもつながる。道元にも通じるし、鶴見の限界芸術にもつながる。「日常に詩を見出す」のが、ほんとうの詩人だと思う。
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墓より墓へ鴉が黙って飛びうつれり
庭の緑のことごとく風ふれて行く
道細々と山の深きへ続く
しみじみ水をかけやる墓石
電車の終点下りて墓地への一人
流るる風に押され行き海に出る
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
なぎさふりかへる我が足跡も無く
井戸の暗さにわが顔を見出す
沈黙の池に亀一つ浮き出る
たつた一人になり切つて夕空
高浪打ちかへす砂浜に一人名投げ出す
★蚊が殺されている炎天をまたいで通る
★あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる
★海のあけくれのなんにもない部屋
★夕べひよいと出た一本足の雀よ
たばこが消えて居る淋しさをなげすてる
をだやかに流るる水の橋長々と
★蟻を殺す殺すつぎから出てくる
★雨の幾日かつづき雀と見てゐる
★血がにじむ手で泳ぎ出た草原
苅田で鳥の顔をまぢかに見た
障子しめきつて寂しさをみたす
ぶつりと鼻緒が切れた暗の中なる
栗が落ちる音を児と聞いて居る夜
★めつきり朝がつめたいお堂の戸をあける
小さい火鉢でこの冬を越さうとする
こんなよい月を一人で見て寝る
夜中菊をぬすまれた土の穴ほつかりとある
晩の煙りを出して居る古い窓だ
★上天気の顔一つ置いてお堂
とまつた汽車の雨の窓なり
★鳥がだまつてとんで行つた
病人よく寝て居る柱時計を巻く
赤ン坊のなきごえがする小さい庭を掃いてる
門をしめる大きな音さしてお寺が寝る
★あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる
火ばしがそろはぬ儘の一冬なりけり
師走の夜のつめたい寝床がひとつあるきり
破れた靴がぱくぱく口あけて今日も晴れる
落ち葉掃けばころころ木の実
草刈りに出る裏木戸あいたままある
★がたびし戸をあけてをそい星空に出る
片つ方の耳にないしよ話しに来る
葬式のきものぬぐばたばたと日がくれる
草刈りに出る裏木戸あいたままある
かたびし戸をあけてをそい星空に出る
低い戸口をくぐって出る残雪が堅い
★すたすた行く旅人らしく晩の店をしまふ
★夜中の襖遠くしめられたる
★落ち葉拾うて棄てて別れたきり
こんな大きな石塔の下で死んでゐる
あけた事がない扉の前で冬陽にあたつてゐる
きたない下駄ぬいで法話の灯に遠く座る
岩にはり付けた鰯がかはいて居る
曇り日の儘に暮れ雀等も暮れる
堅い大地となり這ふ虫もなし
★ぽつかり鉢植の枯木がぬけた
★底が抜けた杓で水を呑もうとした
犬よちぎれる程度をふつてくれる
松の葉をぬいて歯をせせる朝の道である
月の出の船は皆砂浜にある
★鶴なく霜夜の障子ま白くて寝る
★人を待つ小さな座敷で海が見える
背を汽車通る草引く顔あげず
★あたまをそつて帰る青梅たくさん落ちてる
★時計が動いて居る寺の荒れてゐる
★血豆をつぶさう松の葉がある
★考へ事をしてゐる田にしが歩いてゐる
★豆を水にふくらませて置く春ひと夜
手作りの吹竹で火が起きて来る
眼の前筍が出てゐる下駄をなほして居る
★豆を煮詰める自分の一日だつた
★雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る
★蛙たくさんなかせ灯を消して寝る
★うつろの心に眼が二つあいてゐる
★小さい橋に来て荒れる海が見える
★淋しいからだから爪が伸び出す
久しぶりのわが顔がうつる池に来てゐる
★何やら鍋に煮えて居る僧をたづねる
筍ふみ折つて返事してゐる
★いつしかついて来た犬と浜辺に居る
あらしのあとの馬鹿がさかなうりに来る
★蛍光らない堅くなつてゐる
わが顔があつた小さい鏡買うてもどる
★とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
松かさも火にして豆が煮えた
★なん本もマツチの棒を消し海風に話す
★山に登れば淋しい村がみんな見える
★一匹の蚕をさがしてゐる夜中
★ぴつたりしめた穴だらけの障子である
あけがたとろりとした時の夢であつたよ
★思ひもがけないところに出た道の秋草
★切られる花を病人見てゐる
その手がいつ迄太鼓たたいてゐるのか
★夕立からりと晴れて大きな鯖をもらつた
★蜥蜴の切れた尾がはねてゐる太陽
道を教えてくれる煙管から煙が出てゐる
迷つて来たまんまの犬でゐる
山の芋堀りに行くスツトコ被り
★あらしがすつかり青空にしてしまつた
★火の無い火鉢が見えて居る寝床だ
★一つ二つ蛍見てたづぬる家
★入れものが無い両手で受ける
★口あけぬ蜆死んでゐる
汽車が走る山火事
なんと丸い月が出たよ窓
★ゆうべ底が抜けた柄杓で朝
自分が通っただけの冬ざれの石橋
ひどい風だどこまでも青空
大根ぬきに行く畠山にある
風吹きくたびれて居る青草
とつぷり暮れて足を洗って居る
働きに行く人ばかりの電車
★墓のうらに廻る
山風山を下りるとす
★舟をからつぽにして上つてしまつた
★雨の中泥手を洗ふ
★枯枝ほきほき折るによし
★窓まで這つて来た顔出して青草
★霜とけ鳥光る
★障子に近く蘆枯るる風音
★やせたからだを窓に置き船の汽船
春の山のうしろから煙が出だした
★其の儘はだしになつて庭の草ひきに下りる
★瓜の土を掘つてから寝てしまう
鳥がひよいひよいとんで春の日暮れず
★吹けど音せぬ尺八の穴が並んで居る
冷え切つた番茶の出がしらで話そう
★たぎる湯の釜のふたをとつてやる
洗いものがまだ一つ残つて居つたは
★はつかしさうな鶯遠くへ逃げてはなく
砂山下りて海へ行く人消えたる
★落葉ふんで来る音が犬であつた
筍くるくるむいてはだかにしてやる
蛙が手足を張り切て死んでゐる
★ささつたとげを一人でぬかねばならぬ
★天井のふし穴が一日わたしを覗いてゐる
★障子の穴をさがして煙草の煙が出て行つた
★死ぬ事を忘れ月の舟漕いで居る
★屋根の棟に雀が並ぶあちこちむく
低い土塀から首が一つ出た
舟が矢のように沖へ消えてしまつた
こつそり蚊がさして行つたひつそり
★だまりこんで居る朝から蚊がさしに来る
切り張りして居る庵の障子が痩せていること
お粥ふつふつ煮える音の寝床に居る
爪切る音が薬瓶にあたつた
★ごそごそ寝床の穴に入っておしまひ
★立ち寄れば墓にわがかげうつり
蟹が顔出す顔出す引潮の石垣
★死んだ真似した虫が歩き出した
★のびあがつて見る海が広々見える
★はらりと落葉つながれた猿が見てゐる
★咳して出る寒ん空
★奥から奥から山が顔出す
風よ俺を呼んで居るな風よ
机の足が一本短かい
噴水力のかぎりを登り詰める
妻の下駄に足を入れて見る
カチカチになつてゐる蛙の死骸だ
吹けばとんでしまつた煙草の灰
墓にもたれて居る背中がつめたい
★茶わんがこわれた音が窓から逃げた
どつから夜中の風が入つて来るのか
縁の下から猫が出て来た夜 -
染み入るような孤独と哀愁、そして共感。
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請求記号:A/918.68/O96
選書コメント:
明治~大正を生きた、わが国初の!?ついつたあ詩人、尾崎放哉、大学生、というか人間、悩んだり、笑ったり、絶望したり、死にかけたり、生き残ったり...何があっても、なくてもいい、とりあえず、この人のことばに当たって去って、みてもいい、本に目を落とした前に伸びて広がり突き抜ける。そんな空と道とにいっぺんに気づくのもいい。
(図書館学生スタッフ) -
いろいろな意味で切なくなった。
その詠まれた内容に。その境遇に。その句才に。
散文の饒舌さからすると、俳句という表現方法は放哉に向いていたかどうか。
自身もそれを薄々感じていたのではないか。
そう思いながら「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」を詠むと一層切なくなってくる。 -
咳をしても一人
この他にも一人シリーズはあるがこれが一番哀愁と孤絶を感じる。
直しを受けて更にクオリティが高まっているのは初めて知りました。 -
【本の内容】
「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」―放哉(1885‐1926)は、一見他愛のないような、しかし、一度知ると忘れ難い、印象深い自由律の秀句を遺した。
旧制一高から東京帝大法科と将来を約束されたエリート街道を走った前半生、各地を転々とし小豆島で幕を閉じた孤独の後半生。
彼の秀作の多くは晩年の僅か三年ほどの間に生まれた。
[ 目次 ]
自由律以前(明治三三年‐大正三年)
自由律以後(大正四年‐大正一五年)
句稿より(大正一四年‐一五年)
入庵雑記
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