- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003121214
感想・レビュー・書評
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小学校の先生になってみたくなった
小学生の頃に読んだきりの本
20年前の私はどう感じたんやろう
大人になるまで沢山の選択肢の中で
選べる自由が私にはあって
お金にもご飯にも衣服にも困らず生きてきた
今も何にも困らず生きてるけど
今の私の幸福度は…。
十二人のこの時代の離島の子供たち
生まれたときから
それぞれにそれぞれの少ない選択肢の中で
疑いもせず
疑ったところで抗えず
純粋すぎて優しすぎて
捨てれば良いものも捨てられず
そんな選択肢すら誰も教えてくれず
ささやかなささやかな幸せと
恵まれていないことも恨まず生きていく
死んだ方がましとまでは言わなくても
死んでもそれほど惜しくない世界
私も今死んでもそれほど惜しくなくて
でもそれならこの十二人の子供たちのように
先生のように生きてみたかった
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時代に翻弄されながらも懸命に明るく生きる子供達の様子に心打たれました。数十年ぶりに読みましたがやはり名作ですね。
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24歳は24なものを読もうということで誕生日に丸善で買った。
が、10月に手にしてから1月まで読めずにいたのはなにも忙しかったからではない。戦争への怒りや悲しみを訴えるとする、表紙の謳い文句が重たく感じられ、億劫になった。
できることなら戦争のことは耳にしたくない。どうせつらかったのでしょう、と思う。耳を塞いでしまう。朝ドラが戦争描写をすれば苦々しく画面を見やり、ニュースやワイドショーが微に入り細を穿って報じれば苛立たしく電源を断つ。ため息まじりに発する「戦争はよくない」は便利な終止符だ。感情がおだやかになるかわりに、思考も想像力もその場で完全に足踏みしてしまう。言うべき結論がそこに厳然と待ち構えている議論は怖い。イルミネーションはきれいで、青春は素晴らしく、海外の治安はどこも悪く、未来は暗く、本屋はオワコンで、浪人はつらく、孤独は脱却すべきで、飲み会は楽しく、共感は大切、歓喜の歌は最高で、戦争はよくない。そうなのかもしれない。しかし、そうやって一言に括ることで溢しているなにかがあるような気がする。完璧な結論のもつ火力では煮え切らない残滓があるから、忘れたようでずっと考えているし、考えたひとの足跡を辿ってしまう。戦争ひとつとってもどれだけの蔵書がわが家にあるだろう。どれだけの映画やドキュメンタリーを観ただろう。「怒り」「悲しみ」とひとくちに言っても、それを訴える肉体と思想と生活によって、またおのおのが二つずつ持つ「瞳」によって、まったく響きが違うのに、いつも驚かされる。わかりやすい情報にも崇高な結論にも還元しきれない、まだ聞けていない言葉に触れたくて、けっきょく、苦々しい顔で本を開く。
知り合いのおじいさんは、戦争未亡人の母に育てられた五きょうだいの末っ子だと言っていた。芸術の調査の大義を掲げて彼と話していた私はそれをさほど重視しないどころか、漂白ないし無痛化して「大変な境遇にあったひと」と、さもなんでもないことかのように冷淡に聞いた。あのとき止めた想像がぎしぎし音を立てて動き出すのを、『二十四の瞳』を読みながら感じた。また、数年前に他界した私の曽祖父は戦時、二十代だった。戦争のことを聞かなくてはねと母と悠長に話しているうちに亡くなった彼は、生前「自分の道は自分で切り拓かにゃいかん」と述べていた。戦線へ徴発され落命していてもおかしくなかった運命とどのように対峙し、切り拓いていたのだろう。肉体という、曽祖父の一世紀にも及ぶ歴史に触れる手がかりが永久に失われたことがたまらなく惜しい。聞けば漂白、聞かなければ後悔、なんと不誠実なことか。『二十四の瞳』作中ひとりひとりの人生に目を凝らしていたはずが、いつの間にか知り合いや曽祖父のことへ軽々と想いが移ってしまっているのも、じれったい。たくさんの瞳が私と視線を交わしてはさっさと去っていく。ちいさな自分の手に余り溢れていくものをむざむざ見送ることの遣る瀬なさ…
遣る瀬なさ、と書いて思い出すのは宇多田ヒカルの「桜流し」。
「怖くたって目を逸らさない」ことが私が取り組める唯一のこと。
もう二度と会えないなんて信じられない
まだ何も伝えてない
まだ何も伝えてない
開いたばかりの花が散るのを
見ていた木立の遣る瀬無きかな
どんなに怖くたって目を逸らさないよ
全ての終わりに愛があるなら -
映画も何度も見たし本を読むのも何回目かわからないくらいの日本の名作
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瀬戸内の海辺の田舎町を舞台に若い女性教師と12人の教え子たちの戦前〜戦後の激動の人生を描いた作品。
主人公の大石先生の目から見た戦争が描かれていて、一般市民の、特に女性、妻、母からみた戦争ってこういう感じだったんだと感じることができた。
戦争中の話で、貧乏だったり、戦死したりと辛い話だが、なぜか読んだあと晴れ晴れした気持ちになる。
大石先生や教え子たちの、敗戦しても生きていくしかないんだというあっけらかんとした気持ちがそうさせるのかもしれないな〜。 -
小学生の頃に読んだ際には衝撃的なラストシーンばかりが印象に残っていたが、改めて読むとかなり前半のうちから切ない展開が続く。そして、ただでさえ悲惨な場面をもう一段悲惨にするような追いうちの描写が多いのも本作の特徴。
次の世代を担う子どもたちへの希望は描かれているものの、大石先生や大人になった教え子たちに関していえば、とにかく救いのない物語だと感じた。
また今回読んでみて、戦争の只中を描く第8章と第9章が特に印象深かった。地の文にさえ作者の反戦の思いが率直かつ痛烈に込められており、その母として、女性としての嘆きに年齢を重ねた大石先生の心境が重なって現れる。
大石先生は教師としてのプロフェッショナルではなく、また特別に強くも賢くもない一人の女性にすぎない。しかし、そうであるからこそ、彼女の素朴な怒りは何世代にもわたって多くの人の胸をうつのだろうと思う。
「こんな、かわいい やつどもを、どうして ころして よいものか わあっ わあっ。」(P211)
「名誉の戦死など、しなさんな。生きてもどってくるのよ。」(P212) -
15年くらい前に小豆島へ旅行に行った際に、「二十四の瞳」という本があるのを知り、読もう読もうと思っていてやっと手に取った。
戦争前後の先生の存在価値って偉大だったんだなと改めて実感。文章が古くなく読み易かった。
大石先生は、先生という言葉がしっくりくる。 -
寝る前の読書にするには切ない物語りだったけど、不思議と暗い気持ちにはならなかった。100年くらい前のことを追体験できるって物語りの力はすごいなぁ。また一人ひとりに想いをはせて読んでみたいと思う。
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小豆島へ旅行に行く前、急ぎ1日で読了。
悪くはないが、もっと淡々としていた方が好き。 -
名作である。静かな反戦の物語である。
この春、小豆島の岬の分教場に行ったばかりなので、ジーンと胸に来る。
・走っていくその後ろ姿には、無心に明日へ伸びようとする懸命さが感じられる。その可憐な後ろ姿の行く手に待ち受けているものが、戦争でしかないとすれば、人は何のために子を産み、愛し、育てるのだろう