- Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003122617
作品紹介・あらすじ
「女も男と同じごと仕事しよったですばい」「どんなことにでも堂々とむかってやる、こい」。筑豊の炭鉱で働いた女性たちの声を聞き取り、その生き様を記録した一九六一年のデビュー作。意志と誇りを失わず、真っ暗な地の底で過酷な採炭労働に従事した彼女たちの逞しさが、生き生きと描かれている。(解説=水溜真由美)
感想・レビュー・書評
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すごくいい本だと思う
日本の歴史のことが書かれてて
でも残念なことに、昔の言葉と九州の方言で
意味が分からないことも多々…
現代風に書き換えてくれたら、もっと見やすいのに…
炭鉱で、採炭作業がまだ機械化される前の大正期頃の話
スラ(そり状の木箱)やセナ(竹の籠)に石炭を入れて地上へ運ぶ
これを、ほぼ女の人がやってて
夫婦で炭鉱で働いて、採炭作業が終われば家事
その頃、旦那さんは飲みに行く…
夜中に子どもを保育園に預け、また夜の寝てる頃に迎えに行く…
子供の顔は寝顔しか分からない
今じゃ考えられない
でも、それが当時は普通
14歳で炭鉱で働いたり
学校は行かなかったり
戸籍はなかったり
何者か分からないものが働いてたり
すごい世界と感じた
坑内で、亡くなる人の亡くなり方が
スラに轢かれたり…
人がやっと1人通れるような暗い道を1人通る怖さは想像を絶する… -
かつて筑豊には多くの炭鉱が存在した。古くから石炭の産出が知られていたこの地では、明治期に炭鉱開発が急速に発展し、戦前には国内随一の産出量を誇った。単独で行う作業というよりも、掘り出し・運び出しなどで協力する必要がある炭鉱の仕事では、家族や夫婦でともに働く例も多く、1906年の統計によれば、女坑夫は全体の1/4を占めたという。きつい仕事だが、工賃に性差はなく、多く掘れば多く稼げる、実力主義の仕事でもあった。
ところが昭和期になるとこの状況は一変する。労働者保護の機運が高まり、女坑夫は排除され始めた。戦後の労働基準法は女性の坑内労働を禁じ、女坑夫は過去のものとなり、やがてその存在も忘れ去られた。
本書は著者・森崎和江が1960年代にかつての女坑夫たちから当時の思い出を聞き取ったもの。一人称の語りに整えた「聞き書き」という手法は当時、先駆的なものだったという。自らは書くことのできない人、文字を綴るための教育を受けておらず、そうした習慣も持たない人の、いわば「声なき声」をすくいあげたものである。
危険な作業、暗い坑内。疲れて帰っても家事労働も待ち受ける。父親や夫が酒を飲んだり博打をしたりで苦労することもある。事故で大黒柱を失って、女系家族で各地の炭鉱を転々とした人もいる。禁忌もさまざまあり、生理の時には山に入れなかったそうである(そうでなくても身体がきついのでそうしたときには休みたいものだというが)。
とはいえ、腕がよければ頼りにされ、多くの人から声を掛けられて実入りがよかったり、娘同士で連帯して、いけ好かない事業方の若者をぎゃふんといわせてみたり。そこには、腕次第の労働者としての自信や誇りのようなものも窺える。
そういう意味では、炭鉱に入れなくなってからの方がつらかっただろう。宙ぶらりんになってしまった女坑夫たちは、器用に生き方を変えることなど難しく、やるせない思いを抱える人も多かったのではないか。
初版は理論社版(1961年)で、本書は三一書房版(1977年)を底本とする。
表紙と章の扉には山本作兵衛の炭坑記録画が添えられる。
在りし日の女労働者の生きた軌跡が浮かび上がる。 -
一昔前福岡に勤務していて、炭鉱自体はとうの昔に閉山していたが、ボタ山や炭鉱跡を見たり、上野英信の『追われゆく坑夫たち』、山本作兵衛の画文集などを読んだりして、多少の知識は持っていたつもりだった。
今回本書を読んで、聞き書きという形で語られる、かつて炭坑で働いていた女性たちの、それぞれの人生を語る生々しい肉声を読んで、死と隣り合わせの労働の厳しさや、男何するものぞとの逞しさなど、いろいろなことを感じさせられた。
お天道さまの見える地の上と真っ暗な地の下、農業に従事する者からの差別、地上に上がっても男と違い、家事や育児をしなければならない生活、今では考えられないような生活をしていた人たちが大勢いた訳だ。
各人の聞き書きの後に、話者からの話を聞いた著者の感懐がそれぞれ綴られる。良く分かるものもあれば、どうしてこのように著者は感じたのだろうと疑問に思うものもあった。直接接した人が感得し得たことなのだろうか、それとも時代が隔たり過ぎた故なのだろうか。
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表紙一面を覆う黒と、タイトル『まっくら』の白抜き文字がシンプルに強く心を射る。
まさに本書に書かれている女性達の心象を具現したような装丁。
戦前における国内最大級の炭鉱・筑豊炭田で過酷という表現では到底間に合わないくらいの苛烈な環境下で坑内作業に従事した女性達から、入坑当時の話を聞いて記録した書籍。
本書[付録]『思想の科学』一九九二年十二月号に掲載された文章を参考にすれば、これらは「廃材直前の人間記録」(p310)とある。時代の流れに従い、「生命の連続性よりも資源と技術と利潤の追求が政治や文化の課題」(p310)に置き換わったとしている。「地球は巨大な生命体ではなくなり、資源のかたまりにすぎず、個々の生命もまたしかり。体験など個体生命の代謝物にほかならない。」(p311)「記憶は不要」(p312)と、著者はかなり冷ややかな眼差しでけんもほろろに’人間の存在意義’を据え置いているように感ぜられた。
解説において「『サークル村』のオルガナイザーだった谷川雁は、『存在の原点』を求めて『下部へ、下部へ』と降りていくことを提唱」(p318)という一節があり。ここでいう’下部’とは社会における階級構造を指しているが、著者はまさに文字通りの’下部’、地下労働に従事した女性達へインタビューをするに至った…というように理解。
その地下で働く女性達が抱えていたのは信心や信仰をも凌駕する程の’信念’と’プライド’。
回答した女性が言うには
・ほぼ全員が語っているが、男らよりも女たちの方がせっせと働いた。男は掘るだけ掘って時間になったらさっさと仕事を切り上げてしまう。女たちは掘り出した石炭を全て運び上げて会社に引き渡すまでが仕事。
・子どもの世話や弁当の用意、家の事は入坑の合間に女性達がこなす。生活費を稼ぐ為に日に何度も地下に入る。月経中や妊娠中や産後すぐなどの禁忌とされている時期であっても地下に入り、とにかく働いた。禁忌を破っても死にはしなかった。それは’人間の意思’の方が’神秘’よりも強いが故である。
・働くことが’存在意義’に昇華し、夫や父や相棒の男らとも対等の立場であった。それは男性から見た場合も同様であり、仕事が出来る・能力がある人間は性差関係なく尊重する風潮があった。
・国際労働条約の定めにより鉱山における女性の坑内作業が禁止される。日本で批准されたのは1946年?56年?このあたりがよくわからない。
これにより、’存在意義’をぽっかり喪失した女坑夫は「じぶんにぴったりする物はどうせない」(p33)、「心が宙吊りになったまま」(p299)といった塩梅で『まっくら』な坑道を心が彷徨い続けている。
他にもこんな風に、外様からの、言ってみれば余計なお節介・口出しにより女性が締め出されてしまった職業というのはあるのだろうか。
『坑夫』が一際特殊な職なのだろうか。
〈のしかかる娘たち〉の話が特に面白かった。凄惨な場面もカラリとした語り口で聴かせる。
1刷
2022.5.21 -
働く、ということがどのように非人間的なものであっても、そのことでつながっていた人びとの世界を待っていました。
という文章が本当に胸に残る…
大正、昭和初期に炭鉱で働いていた女性坑夫の聞き書き。
"のしかかる娘たち" や "灯をもつ亡霊" が印象的。 -
あまりの面白さに一気に読んでしまった。聞き書きの部分は宮本常一の『土佐源氏』を彷彿とさせるオーラル・ヒストリーであり、こういう形で残さなければ世の中に伝わらなかったであろう地の底の声である。かたや著者の感想としての文章は、読みながら受け取った感想とは全く異なる視点のものもあり、やや違和感が募った。
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ユリイカ2022年7月号、「スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ」特集での、佐藤泉氏による寄稿、
「とばりの向こうの声を集める」のなかで、聞き書きの代表的書き手として、森崎和江氏が、そしてこの「まっくら」が紹介されており、読むに至った。
明治期後半から昭和初期の、女性坑夫からの聞き書きで構成されたこの本は、1961年に発行されている。その当時、まだかろうじて残っていた福岡県筑豊炭坑住宅に著書自らが暮らし、聞き取ったもの。
森崎は当時の女性としては最高とも言える教育を受けて育って、しかしその中で触れるたくさんの文字、書かれた言葉中の日本人は、「もう結構だった」と言う。
「文字に縁なく、そんなものを無視して暮らす人びとは、新しい泉に思えた。私は救われたかった。」と。
記された10人の、かつての女坑夫である老女の話す言葉は、訛りもそのままに生々しく、読み手をも焼き滅ぼすようにこちらに向かってまっすぐに向かってくる。
たいていの坑夫は、流れ着いてまた流れて、を繰り返すようで、戸籍のない人も多い。その日の炭の取れ高により、米や金券のようなもので交換される。そこから納屋代や道具代なども差し引かれると、手元には何も残らない。ほとんどの人がその日暮らしだ。夜暗いうちから地底に降りて、這うように炭を掘り、外へ出る頃にはもう真っ暗。
「黒雲天井たい。数えの十四たい。十四の歳から坑内にさがった。そして二十二の歳まで、わたしは青空天井とは縁が切れた。」
印象的だったのは、「生活のぜんぶが、人間的なものの抹殺であるようなぎりぎりの場」では、実体験として、信仰や信心は「ないがよか」と悟る坑夫の話。
赤不浄(生理中)は坑内に入るな、山の神さまは女だからとか、坑内での様々なタブー。
しかし、おがみやと呼ばれる年寄りに彼女の母親が無事かと聞いても、地下で働く者の安否は見えないのだという。
ならば、「ないがよか」と。
「神さんも地の下ににんげんが入ると、生きとっても生きとらんのと同じことげなばい。神さんにも。」
「信心は、これは地の上のことばい。神も仏も、これは地の上のことばい。」
生理中だろうと、出産したすぐ後だろうと、今働かなければ食べられないというギリギリの状態で、十七の歳に彼女はそうして信心を捨てる。切ないを超えている。
それを涙を流して話す姿から透けて見えるものを、今までずっと言葉にならなかった言葉を、引き出していく。
巻末の解説に書いてあるが、1928年には、国際労働条約の締結に伴い、女性の坑内労働は原則禁止になる。
「男は仕事、女は家事」という性分業の先駆けとも見えるが、女坑夫達の気持ちは違った。
もちろん辛い仕事だが、そこにはあまり男女の優劣が無かった。坑内では男女は対等であり、先山(先に掘り進める者。主に男)と後山(掘った炭を集めて函に入れ運ぶ。主に女。親子の場合先山が親)は、どちらが楽ということはなく、男も女も同じように働く。炭鉱によっては、男女差の無い賃金のところもあったようだ。
女はより能力の高い先山を求めて男を変えることもある。
そのような生き方の中にある「始点」というような得体の知れない感動。
しかし大きな物語の中でそれらの小さな感動は言葉をもたず封印され、(書かれた)当時の近代的価値観により、進化による性分業とみなされてしまったと森崎は訴える。
そのような森崎の視点は、インテリジェンス(しばしば大きな物語目線になりがちな)が無ければ得られないものだが、その側からは語られない。その場所に居る人に聞くことでしか封印は破られないし、それを公共の言説空間に現出させることは森崎側にしか出来ない。
だからこそ、森崎は
「心を無にして、相手の思いの核心に耳を澄ます」という方法で挑んだ。
私はそれを両側から受け取る。
西欧社会にはパロール(話し言葉)本意主義があり、パロールはエクリチュール(書き言葉)に先行するという哲学的思考がある。
デリダはこれに異を唱え、二項対立の脱構築を試みるのだが、
先に紹介した佐藤泉氏の寄稿には、
「ロゴスの世界にアクセスできるのは、話し言葉ではなく書き言葉のみだからだ。」
とある。
ならば聞き書きとは、より一層真理の方へ、下へ下へ、向かうのではないか。
両側から受け取った今、そう思う。
書かれた時代と現代で比べれば、森崎の考え方の遅れも感じる。女性が男性と同じように働くのが平等では必ずしもないし、家庭に収まる女性にどこか攻撃的な部分、冷ややかな書き方もチラと感じられるからまるごと共感は出来ないが、
「それは確かにあった」という前提で聞いた、その地の裂け目からの声を私もまた聞いたように読んだ。
それはかつての女坑夫達への何にも代え難い鎮魂になるのではないのか、と思う。
語ることもなく死んでいった彼女達への。
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「きんにぎりのおばさん」しかり、女たちは強く逞しい美しい。それとも、強く逞しい人たちだけが生きのびて老いをむかえることができたのだろうか。聞き書きはいつも、自分が生き残る想像ができない。
<書評>まっくら:北海道新聞 どうしん電子版
https://www.h...
<書評>まっくら:北海道新聞 どうしん電子版
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/616727?rct=s_books
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