トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003221235

感想・レビュー・書評

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  • 作者の死によって物語は中断され、余りにも下らないジョークによって本書は終わる。結局最後までトリストラムの話は主流にならず、家族のドタバタ劇と時折顔を出す著者自身のメタ談義で終わった様な。そういえば下ネタ、伏字の量もかなりのもの。しかしセルバンテスやラブレーといった滑稽文学の先人達を意識しながらそこにキリスト教の神学論と西洋哲学の知識をコラージュ状に敷き詰めつつ、それを馬鹿馬鹿しく読ませるというのは驚愕である。「本書を執筆した時の作者の気持ちを答えよ」なんてセンター試験の問題が出たら解ける気がしないのだが。

  • 主人公はなかなか産まれないし、くだらない話や脱線ばかり。
    適当な小説の元祖?ということらしい。

  • 展開上脱線するのは小説のある意味醍醐味であるわけですが確信犯的に脱線してしかも脱線はそのうち回収されるみたいなコメントを何度も残した上でそのまま終焉するという……。この作家さんは根性が曲がっているか狂人かのどちらかでしょうね多分。

  • 筒井康隆、清水義範などの作品が大好きな私にとって
    こんな大昔からやってたのかーと衝撃の作品
    こんなのが白水社じゃなくて岩波文庫に入ってるって岩波は変な人もいるけれど目利きもいるのだなすごいな

  • 何度も挫折して、20年かけて読みました。
    この本は真剣に読んではいけません。
    ただ、確かに「これでいいなら、私にも小説は書ける」
    と思えます。

  • 一体自分は何を読まされたんだ…?最後までのらりくらりと語られる、取り止めのない挿話たち。なんとも不思議な読書体験であったのは確か。それにしてもこれだけ長々書いてきて未完、しかも結びが寒いギャグという…。それすらも狙ってるのか?と勘ぐってしまう。岩波文庫に入ってるのが謎。日本で言うと江戸時代中期か。日本の坊さんがこんな本書いてたらビビるな。漱石もさぞ驚いたことだろう。

  • ニヤニヤしながら読んでしまった。
    終わってしまったのが悲しい。

  • 脱線に脱線して終わり。

  • 全3巻読了。
    ちょいちょい空白の章などの小技を挟んでくる。
    未完の作品だが、もし続きがあったら、物語の根幹を揺るがすような小技的大技が披露されたかもしれない。

  • 18世紀イギリスの牧師・小説家であるロレンス・スターン(1713-1768)の"未完の"小説、1759から1767刊。原題は『トリストラム・シャンディの生涯と意見』である。

    ところがこの題に反して、話者トリストラムは、まるで自分自身たるトリストラムの生涯と意見を語る気が無いかのようだ。話は逸れるにまかせ、話者が何を語ろうとしていたのか、読んでいていつの間にか忘れてしまう。そもそも話者自身が、語るべき自分自身であるところの「トリストラム」のことなど、語られるべき「トリストラム」のことなど、どうでもいいと思っているかのようだ。話者は自分が「トリストラム」であったかなかったかなどどうでもいいと思っているかのようだ。

    この作品の最大の特徴は、その無意味の集塊の如き冗舌にある。整序された筋が無い、諸々の逸話の結節点が無い、物語という線の行き着く先が無い。結論を目指さない冗漫なお喋りの如き代物、脱線迂廻混線後退断線、それによる無際限の遅延。連想が繰り出すままに降り積もるガラクタ言葉の堆積、文字群の迷路。言葉が一つ配置されるとそれによって或るイメージが想起されるものだが、本作ではこうした言葉のガラクタによって惹起されたイメージのガラクタ群が崩れ落ち続けながら堆積していく。支離滅裂。つまり本作には perspective = 遠近法 が無い。以下のエピグラフが本作の在りようを一言で云い表している。

    "こは作品よりの逸脱にあらず、作品そのものなり"

    言葉のこの過剰なバラマキとしての語りそれ自体よって、当の言葉自体を反語的にアイロニカルに嘲笑っているかのようだ。本作中でも縷々引用されている弁論家たちのその雄弁さへの皮肉であるようにも読める。 

    奇書と呼ばれる本作のこうした奇想天外な在りようが本作それ自体の内部で自己批評・自嘲されているかのような箇所が散見され、その機制自体が興味深い。

    "学者の方々にお伺いを立てますが、われわれは未来永劫に、書いたものの嵩だけはどんどん積み上げて行くものなのでしょうか――実質的な中身は一向ふえないのに?"

    小説の機制そのものを様々な手法・意匠でアイロニカルに自己対象化した作品という意味で、メタ・フィクション、アンチ・ロマンと云うことが出来るだろう。そしてこの作品が現れたのは、まさに近代小説そのものの勃興期であるということを考えれば、そこに、人間精神の、否定・超越という、図々しいまでの自由性が見えてくる。その自由性が【戯れ心】となって、この奇書を創り出したと云える。

    ところで、本作を20世紀初頭に現れるプルーストやヴァージニア・ウルフらの用いた手法【意識の流れ】の先駆とする評価もあるが、20世紀という時代精神には確かに在ったであろう「どうしてもこの形式を用いなければ表現できない」という方法上の切迫さが、スターンには在ったのか、疑問だ。奇書には違いないが、それ以上のものとは思えない。

    読んでいて、脱線と混線の物語ならざるこの小説の在りようが、ふと、各方面からバラバラな言葉を投げつけられて方向を失っている今の自分の姿を、戯画化したものとなっているかのような気になった。

    以下、この奇人牧師による警句を幾つか。

    "・・・、さっさと飛んで行くがよい、おれがおまえ[蠅]を傷つける必要がどこにあろう、――この世の中にはおまえとおれを両方とも入れるだけの広さはたしかにあるはずだ"

    "・・・、おのれの強い性癖なり習慣なりに促されて犯した悪行は、通常、懐柔的なまた阿諛的な手が加えうる限りのいつわりの美しさに飾られ粧われているのに対して――自身そのほうにひかれることのない悪行の類は、そのまま本来の醜い姿をむき出しに、愚かしさも汚らわしさもすべて真にある状況のままに具えて見える・・・。"

    "この通がりの多い世の中にいろいろ通じさせられているあらゆる通言葉の中でも・・・一番悩ませるのは批評家の通言葉なのです!"

    "人間とは何と矛盾した生き物なのでしょう!・・・その全生涯が、頭の中にある知識との撞着なのです!――神からの遠とい賜わりものである理性が、・・・苦痛を倍加し、その苦痛のもとに本人をますます憂鬱にし不安にすることにだけ役立ってるのです!"

    "人間の一生とは何でしょうか? それはただこっちの側からあっちの側へ――悲しみから悲しみへと移り動くだけのものではないでしょうか?――自分をいらだたせる一つの原因を封じこめて――そうしてまた別のいらだちの原因の封をあける、それだけじゃないのでしょうか"

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ロレンス・スターンの作品

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