- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003222348
作品紹介・あらすじ
中年を過ぎたラム(一七七五―一八三四)は、エリアという仮面をまとい、虚実ないまぜの複雑多彩な文章でエッセイを綴った。姉や兄、友人知己についての思い出を慈しむラム。ここにはささやかでも充実した比類なき人生の姿がある。イギリス随筆の古典的名品『エリア随筆』から十八篇を厳選し、詳しい訳註を付す。(訳註・解説=藤巻明)
感想・レビュー・書評
-
非常に有名だが手に取りづらかったエリア随筆、一部ではあるものの通読できたことに、まずは満足。
ある訳者の指摘として「或る微妙な世界がそこにある」と解説でも紹介されているように、読後感として、”微妙“というワードを確かに使いたくなってしまう。
主に過去の思い出が語られるのだが、何か文章の底にまた別の気持ちや思いがあるような、そんな感じを受ける。ただ、やはり長く読み継がれてきた作品だけあって、しみじみとした味わいが感じられる。
本文庫には詳しい訳註が付されており、これがあったからこそ、各編で書かれている内容を理解することができた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
それはたぶん全体的な崩壊感覚なのだが、決して突然生ずるような劇的な悲劇ではなく、それらの多くの悲劇を含んではいるものの、長い坂道をゆっくりと下っていくような、むしろ浪漫的なユーモアをそのすき間に感じることができるようなことなのだ。それを描いているのが、このエリア随筆の特色だ。著者のチャールズ・ラムは、はじめに「バブル」という言葉を生み出した南海商会に勤め、のちに東インド会社の会計事務所に33年間籍をおいている。エリアとは、南海商会で働いていたイタリヤ人事務員の名前なのだが、その名をチャールズ・ラムが借りて雑誌エッセイに登場させたことから始まっている。ラムの分身、第三者的な自分としてエリアを描いている。自分をそのまま描くのではなく、他者を介在させながら、自分の身の回りを浪漫的に描いている。その手法では、「仮面のうしろに身を隠している」ことで、自己中心性に陥らず、他者を見事に組み込み、自分から距離を取るエッセイの不思議な雰囲気に成功している。
このエッセイの中でも、産業革命後の最盛期から、すでに下り坂の時代を迎えようとする英国にあって、身の回りの仕事仲間や家族たちの人物描写のなかに、その時代の想像力の豊かな膨らみを伝えているのだ。ラムは、母親を刺殺してしまった十歳ほど年上の精神病の姉メアリと暮らしながら、その姉を「従姉妹ブリジット」として描いて「二人独身生活」の有り様をエリア随筆で描いている。それは奇妙な関係ではあるのだが、ユーモアを忘れないところが絶妙の文章ニュアンスとなって残っているのだ。
どこでどうということでもなく、全体的に余裕を感じさせるのだ。たとえば「恩給取り(An Superannuated Man)」の章では、退職はつまり「それは時間から出て、永遠に移るようなものだった。なぜなら、人間にとって、自分の時間をすべて自分のものにするとは、一種の永遠だからである」といって、会社に支配されていた時間から、自分の時間を取り戻し、さらに社会の中でのいわば「構造」的に構成された永遠の時間へと、時間が変わっていくというのだ。
またそれは、歩き方の問題でもあるというのだから、どこまで「ラム」が「エリア」まで飛んでいるのかがわかるというものだ。退職するということは、「歩きまわる。行き来することでない」と言っている。まさに、ビジネスで2者間を右往左往する時間ではなく、永遠の時間は「歩きまわる」時間、つまりは3者間以上にわたって「構造的」に構成されるような、中間的にぶらぶらするような歩き方に変わっていくのだ。
このように、記憶をうしろに隠しながらも、ユーモアを前に出して明るく、19世紀初頭の英国における人生の下り坂、家族の崩壊、会社の低迷、社会の斜陽を描いているのだ。何度もページを繰り、読み直しながら、しみじみと味わいたい書物である。
大学院生時代に村上泰亮ゼミに出ていた。たぶんわたしたちの文章の下手さに辟易したためだと思われるのだが、論文を書く練習で、エッセイを書いてみたらいかがか、と言われたことがある。それで、先生はどのようなエッセイが好みですかと聞くと、少し考えて、チャールズ・ラムだとおっしゃったのだ。当時は若かったので、その深さがわからなかったのだが、年をとってみると、この大いなる当たり前さが身に染みてくるのだ。 -
京都府立大学附属図書館OPAC↓
https://opacs.pref.kyoto.lg.jp/opac/volume/1251934?locate=ja&target=l?