- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003233719
作品紹介・あらすじ
上巻には主として20世紀前半に活躍した作家13人の作品を収録。突然失踪して修道僧となった社交界のヒーロー、ニューヨーク下町の人間群像、飢餓に苦しむ先住民族の長老を待つ掟-見事な人物描写を通して、20世紀前半のアメリカ社会を写しとる。
感想・レビュー・書評
-
ある短編集が面白そうで、
図書館で予約ついでに、出てきたこちらも予約して借りたもの。
はじめ、「あれ、このお話知ってる…」と言うのが
三話目まであって、
「読んだことあるのかなあ?」と思ったけれど、
四話目から知らない話になったから、
どうやら一度借りて、返す日までに全部読み切れなかった本みたい!
どれもこれもぐーんと胸に迫るものばかり、
粒ぞろいの作品群、と言う感じだけれど、
特に好きなのは
「ローマ熱」イーディス・ウォートン
自分が蔑んだり馬鹿にしたり、
あるいは出し抜いた気でいた相手が実は…と言うのにどっきり。
こんなこと、多かれ少なかれあるものだ。
「手」シャーウッド・アンダソン
かくも「集団の心理」と言うのは恐ろしいもの。
正義をかさにきて、ある誰かの純情や優しさを
踏みにじる様な事を今までたくさんしてきたようで恐ろしくなる。
「人を率いる者」ジョン・スタインベック
何度でもしたい話ってあるもんだ。
今はまだしなくても我慢できるけれど、ね。
でも、「もうその話やめて!?」と言う気持ちも、よくわかるんだな。
その他、アースキン・コールドウェルの
「スウェーデン人だらけの土地」は
『これをよんで、スウェーデンの人は怒らないのかな?』と
ビクビク心配してしまった!
でも「とんでもないこと」が起こりそうで起こりだして、
ヒステリー状態になる主人公の雇い主の奥さんに、
なぜかとてもイライラしてしまった!
今、下巻を読んでいるけれど
それもとても面白い。
この本、買おうかな~?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
オー・ヘンリー、フィツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、スタインベックなど著名な作家の短編がまとめて読めるお得な本。楽しめました
-
イーディス・ウォートン ローマ熱
-
同じく岩波文庫から刊行されている『20世紀イギリス短篇選』のアメリカ版。
上巻の収録作家はオー・ヘンリー、ジャック・ロンドン、スコット・フィッツジェラルド、ウィリアム・フォークナーアーネスト・ヘミングウェイ……等々、基本的にアメリカ文学史では重要な作家ばかりが並ぶ。
解説でも述べられているが、上巻は割と田舎の風景を描いた短篇が多かった。 -
とくに気に入ったのは以下の作品。
「ローマ熱」(イーディス・ウォートン)
それぞれに娘を伴ってローマを訪れたアメリカ人の中年女性二人。若い頃からの知り合いらしいこの二人の何気ない昔語りが、思いもかけない方向に発展していく。
会話の受け手に終始していた女性が最後に放った言葉の、なんと強烈なこと。
「生命の法則」(ジャック・ロンドン)
『火を熾す』(柴田元幸訳)にて既読。
柴田訳では最後の老人の覚悟が、いささか破れかぶれというか、やけっぱちのように捉えられたのだが、こちらはもう少し厳粛な印象。
「人を率いる者」(ジョン・スタインベック)
かつて幌馬車隊を率いて大草原を横断した老人は、事あるごとに当時の話をせずにはおれない。義父に気を遣いつつもそのことに苛立ちを隠せない娘婿。
同じ話を何千回となく聞かされるのはうんざり、ということももちろんあるのだろうけれど、その話のなかに“新しい世代”への非難めいたものを感じてしまうが故の苛立ちなのかもしれない。
大移動後の生活を語る言葉をもてなかった自分、そうした自分を支えていたはずの時代の精神の終焉・・・・・それを悟った老人の悲哀が胸を突く。
そんな老人に理解を示す娘と、孫に当たる少年の子どもらしい気遣いが心に残る作品。
「スウェーデン人だらけの土地」(アースキン・コールドウェル)
シリアスな語り口の多い本編のなかで、唯一の滑稽譚。
収録作品
平安の衣 オー・ヘンリー
ローマ熱 イーディス・ウォートン
ローゴームと娘のテレサ セオドア・ドライサー
生命の法則 ジャック・ロンドン
手 シャーウッド・アンダソン
あの子 キャサリン・アン・ポーター
メアリー・フレンチ ジョン・ドス・パソス
パット・ホビーとオーソン・ウェルズ F・スコット・フィツジェラルド
ある裁判 ウィリアム・フォークナー
なにかの終焉 アーネスト・ヘミングウェイ
人を率いる者 ジョン・スタインベック
スウェーデン人だらけの土地 アースキン・コールドウェル
スティックマンの笑い ネルソン・オルグレン -
近代アメリカ文学あまり知らない、ということで購入。
上巻は20世紀前半に活躍した作家としてオー・ヘンリー、フィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、スタインベックらが取り上げられている。
印象深かったのはシャーウッド・アンダソンの「手」、フォークナーの「ある裁判」。
どちらも平凡な日常の中に、ぞっとするような魔物が潜んでいることを小説的に示している。これらは確かに教条を超えた小説であり、解説のいうようにモダニズムの空気の中で生まれたものであろう。
しかしこうした魔物は昔から連綿と存在してきたし、今も存在し続けている。彼らは小説家の嗅覚をもってこれを捉えたのだろうし、モダニズムの薫陶を受けているにも関わらず、都市ではなく田舎を舞台にしているのもこのためだろう。因習的なコミュニティでは良かれ悪しかれこの「悪」は目に付きやすいから。