- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003255629
作品紹介・あらすじ
文献: 175-190p
感想・レビュー・書評
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ロランによるベートーヴェンの伝記部分と、
ベートーヴェンと友人達の手紙のやりとり、
ベートーヴェンの思想断片、
そしてベートーヴェン記念祭でのロランの講演、
複数の角度からベートーヴェンについて書かれている本。
ただ、ロランの愛情たっぷりで少し偏っているかもしれない。
『ミケランジェロの生涯』と同じく、悲劇的な側面を大きく取り上げている。
ベートーヴェンが生み出した曲の裏側にある苦悩。
彼を最も苦しめたのは音楽家には致命的な耳の病気。
それに立ち向かう力強い姿と、孤独のうちで苦しむ姿。
筆不精なベートーヴェンが友人に送った手紙から、苦悩が伝わってくる。
ベートーヴェンは自分の障害を乗り越え、曲を残すことによって、他人に役立ちたいと考えていたという。
そしてその曲たちは現代までその役目をしっかり果たしている。
ベートーヴェン歿後100年の記念祭(ウィーン)でのロランによる講演の一節。
この勝利は孤独な一人の人間のもののみにとどまらない。それはまたわれわれのものである。ベートーヴェンが勝利を獲得したのはわれわれのためにである。彼はそのことを望んだ。p.172『ベートーヴェンへの感謝』
一番しびれたのは『第九交響曲』が生まれるエピソード(p.63-68)。
初演では聴衆が泣き出すほどの感激を巻き起こし、演奏会のあと、ベートーヴェンは感動のあまり気絶したという。まさに歓喜の瞬間。
悲劇のうちから歓喜を造りだした、熱い生涯。
ベートーヴェンについて、もっと知りたくなった。 -
ロマン・ロランの表現(訳)は本当美しい。読み終えるのが勿体無くて1ページ1ページ噛み締めながら読んた。「賛美」とはまさにこういうものを指すんだろうという気づきを得られる。
『ミケランジェロの生涯』と同様に、天才の裏側にある苦悩を描いている。そんな天才の一人であるベートーヴェンを簡潔に表現した一節に心打たれた。
「人生というものは、苦悩の中においてこそ最も偉大で実り多くかつまた最も幸福でもある」とあるように彼は自分の不幸を用いて歓喜を見出した。
これはマルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』に書かれている「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。」と通ずる。
ちなみに今年2020年はベートーヴェン生誕250年! -
この本を読んだのは、私がメンタルの調子を崩し、言葉をうまく話せなくなって、半分ヤケになりながら自分の少しでも興味を持てることをしようと試行錯誤していた時でした。
興味を持てることの中に、佐渡裕が指揮をする一万人の第九というイベントがあり、それはたまたま知ったもので第九は歌ったことも全曲聴いたこともなかったのですが、吹奏楽での少しの楽器の経験と、年末になるとよく開催されている第九のコンサートはどういうものなのだろうという些細な興味から応募し、2年目に当選して参加をしました。
12回のレッスンに参加をする必要があったのですが、合唱団に参加している人には合唱や音楽の初心者も多く、私もその一人で、レッスンの中では歌をただ教わるだけでなく、ドイツ語の歌詞の意味や、作曲者のベートーヴェンの話も色々ときけて、その中でベートーヴェンの話で、ベートーヴェンは耳が聴こえなくなったから絶望したのではない、耳が聴こえないことを、まわりに知られるのが耐えられなかったのだということや、ベートーヴェンの音楽には、全ての芸術、仕事、人生に通じる哲学がある、という話をきき、印象に残って、ベートーヴェンのことを知りたくなり、この本を手に取ったのでした。
私が圧倒的に心を揺さぶられたのが、ハイリゲンシュタットの遺書でした。そこには、当時の私がまさに経験していたような、耳が聴こえなくなったことでの苦悩や葛藤が書き綴られていました。私はその文章によって自分自身が救われ、また、この本の著者であるロランロマンがぴったりと寄り添うようにベートーヴェンに対して終始一貫して敬意を注ぎ続ける様に、共感のようなものを感じたのでした。
何度も読み返した印象的な本です -
読んでいて思った。「ベートヴェンすごい苦労人だな~」と。有名な遺書も私の頭で訳すと「私は本来社交好きな活発な性格なのに、耳が聴こえないばかりに孤独にならねばいけない。音楽家の自分が聾だなんて言えるものか!故に二重の苦しみにさいなまされている」・・・めちゃくちゃ苦労している。圧倒的な音楽の才能もあって5度ものスタンディングオベーションを受けようが、貧乏って・・・切なすぎる。
オススメ度:
★★★☆☆
ノブ(図書館職員)
所蔵情報:
品川図書館 762/R64 -
クラシックが少しでも好き、またな興味があるひとに読んでほしい。文体は古く難しい漢字も多くてつい流し読みして無味乾燥な文字の羅列にしてしまいそうになるけれど、一節一節噛みしめるように言葉の意味を反芻しながら読んでいくとまるでスルメのように味がしてきてとても美味しく、おもしろい。
もともとは1903年、高校師範学校時代の教え子シャルル・ペギーの個人雑誌「半月手帖」にて掲載された文だそう。
この本は著者であるロマンロランによるベートーヴェン愛に溢れている。人が人を思う気持ちは尊い、それが例え世紀を跨いでいても! -
松丸本舗で発見して読んでみた。
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ベートーヴェンという天才は、他の天才的芸術家の例に漏れず、健康問題、人間関係、貧困という苦難にもまれながら名曲を残していった。
ベートーヴェンというと、まず、難聴の天才音楽家というイメージが強いが、それによる精神的な問題以外は屈強な身体をしていた。この点が、音楽の戦闘的な戦慄、激しさ、雄雄しさにも反映されているように感じる。
もちろん難聴という障害が彼の生涯、精神、作風に与えた影響は語りつくせぬものがあるであろうが、著者の記述からはそういった側面はあまり感じられない。耳の障害とベートーヴェンという天才、その音楽についてロランは、むしろ耳が聞こえなくなったことが一層、ベートーヴェンの自然に対する愛を深めたというように積極的に捉えているように感じる。
一方で、彼自身は自身の才覚を意識し、「救済者」、音楽を通じて人々を救うという使命間にも似たものを背負っていたようだ。
たとえばそれは、「俺は人類のために精妙な葡萄酒を醸す酒神(バッカス)だ。精神の神々しい酔い心地を人々に与える者はこの俺だ。」という彼の光栄の時期における発言にも感じ取ることが出来る。
またその使命感は、家族に対する愛にもつながる。ベートーヴェンは甥カルルを引き取って正しく育てようとしたが、彼の愛は甥には必ずしも通じず、生涯を通して天才はこの問題に苦悩した。
そしてベートーヴェンは家族愛だけでなく、恋愛にも没頭した。ジウリエッタやテレーゼといった女性を愛し、とくにテレーゼとの幸福な恋愛は彼の楽曲創造に大きく影響を与え、別かれた後も彼のより所となっていたようだ。彼はテレーゼを、「あなたは本当に美しくて偉大だったね。まるで天の使いたちのようだったね。」と表現している。
不埒な父親や、自分の愛を受け止めない甥など、必ずしも家族愛に満ちていたとはいえないが、恋人、そして友人シントラーなどの彼の理解者は常に存在し愛にも満たされていたと思われる。
この『ベートーヴェンの生涯』の著者、ロマン・ロランは『ジャン・クリストフ』というベートーヴェンをモデルにした大河小説によってノーベル文学賞を受賞しているが、この『ベートーヴェンの生涯』は、それが発表される以前にかかれたものである。
従って、ロランは小説の格好のモデルとしてベートーヴェンという人物に興味を持ったのではなく、ベートーヴェンという人間に惹かれ、そしてその音楽を愛していたからこそ『ジャン・クリストフ』という大著が完成できたのであろうと察せられる。
この『ベートーヴェンの生涯』は、ロランのベートーヴェンに対する愛にあふれる視点から、感情の起伏とその時折に創造した楽曲を含め彼の人生が描かれている。したがって、この著作を読みながら楽曲を聴いて、ベートーヴェンという天才の生涯に思いを馳せてみるというのも非常に楽しいベートーヴェンの楽しみ方ではないかと思う。
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ベートーヴェンが作品のほとんどを耳が聞こえない状態で書いたのに驚いた
古めの文体がベートーヴェンのイメージと合っていてよかった -
歴史というのは証明であり、我々の灯火なんです。
実際にどんな苦難にも打ち倒されずに歩みきった人間がいるのだということ。
この作品を読むと、不幸であることがことごとくベートーヴェンを前に進ませたのだということがわかると思います。
彼ほど思い悩んだ人間はいない。でも彼ほど偉大なことを成し遂げた人間もいない。
ベートーヴェンを常に支えていたのは信仰なわけですが、だからこそあのコーラル・シンフォニーと呼ばれる第九交響曲に対して拘ったんですね。最後まで声楽の部分をいかに仕上げるのかを悩み続けた。
それは神の創造物である我々が奏でる音楽であったためなんです。
つまり、彼の中心軸はそこにあった。だから身に降り注ぐ不幸は彼を一時悩ませはしたけど、それが結果的に彼に最大の「歓喜」を与える源泉ともなったんです。
「彼の力は悲哀と戯れているように見える」と。これこそがロマン・ロランの素晴らしい所で。
つまり悲哀が悲哀ではなくなっているのだということなんです。彼ほどの不幸は普通は無いわけだけど、彼の作曲した作品を聴けば、その悲哀が全て昇華されていることがわかる。
人間は闘うことで勝利を得る。闘わない者には勝利は無い。ならば、過酷な戦闘をした者は巨大な勝利を得るということなんです。
不幸というのは実は悪いことじゃないんですよ。ただこういう風に言っても誰にも通じないけど。
でも本当にそれがわかると、人間は「不幸と戯れる」ことが出来るんです。面白いんですよ。まあ、今はみんな不幸を異常に嫌いますからね。私のような人生のベテランになると面白い。不幸が不幸でなくなる。
で、自分の中に不幸が無くなると、他人の中の涙が見える。誰もが辛い思いをし、涙を抱いていることがわかる。歴史は涙の歴史なのだということがわかる。
人生というものが素晴らしいものなのだということがわかります。
ベートーヴェンは不幸を乗り越えようなどとは考えていないんですね。ただひたすらに神、信仰のために曲を創りたいと考えていた。
私はいつも役目を果たす人間になれと言っているんですが、それがどんなことも転換し、価値に変換する生き方になるからなんです。
転換できるのだから、何も恐れることは無いんです。最後には死ぬだけなんですから。
ここがポイントなんですね。自分が価値あることをし続けることなんです。
「私は、はっきりとみせてやりたい。真実高貴なる行為によってのみ、人は不幸に堪えうるものなのだといふことを」(ベートーヴェン「ウィーン市議への言葉」1819年2月1日)