- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003270615
作品紹介・あらすじ
オウィディウス、ラブレー、カラヴァッジョ、ゴヤ、ランボー、スティーヴンソン、ペソアなど、過去の巨匠が見たかもしれない夢を、現代作家タブッキ(一九四三‐二〇一二)が夢想し描く二十の短篇。夢と夢が呼び交わし、二重写しの不思議な映像を作りだす、幻想の極北。
感想・レビュー・書評
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現代イタリアの作家タブッキ(1943ー2012)が、歴史上の芸術家がかつて見ていたかもしれない夢を想像し作品化した連作短編集、1992年。
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夢にまつわる著述家というと、真っ先に思い浮かぶのは『夢判断』のフロイトと『夢の本』のボルヘスの二人。しかし、この二人では夢に関心を向ける動機、夢から先への進み方が全く異なっているように感じられる。
フロイトは、夢を性的なものと結びつけて解釈しようとする、夢を足掛かりにして人間の内部に向かって沈潜していこうとする。夢というもののなかに、夢見る当人の存在が高密度の一点として凝縮されてしまっている感がある。
それに対してボルヘスは、夢を人間の外部へと通じる秘密の抜け穴のようなものとして捉えているのではないかと思われる。人間の外部にある《永遠客体》へと通じていく回路として。それは、ボルヘスの文章を読んでいて感じる、人間のスケールを超えて時間的にも空間的にも遠くに高まっていく「高度の感覚」、その「高度」において人間が自己という一個性を消失して中空に発散していってしまうような感覚、に通じるのではないかと思う。
ではタブッキの本書。率直に言って、読んでいて想像の広がりが惹き起こされることはあまりなかった。「歴史上の芸術家がかつて見ていたかもしれない夢」の作品化という試みからして、夢へのボルヘス的なアプローチを期待して読んでしまったのだが、読後感はあの「高度の感覚」「消失と発散の感覚」とは異なるものだった。「夢」の内容が巻末「この書物の中で夢みる人びと」の略歴をなぞるようなものであったこと、いくつかの「夢」に露骨な性的描写が含まれていたこと、がその理由かもしれない。その意味では期待外れであったし、期待を裏切る面白さというのも感じることができなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
過去の巨匠が見たかもしれない夢。
最初の何人分かは夢の形をとった幻想譚だと思って読んでいたところ、コウルリッジあたりで「あ、これは作品に影響を与えた夢なのか!」とピンときてしまったら(老水夫行、好き)、もう本当に彼らが見た夢のような気がしてしまって仕方が無い。
ピノッキオも宝島も、多分こんな夢から出来たんだよ、きっと。
個人的にはペソアとフロイトが面白かった。 -
シャヴァンヌの画がすてきな本書、超短篇集なので集中力激減の昨今でも気持ちよく読める。実在の画家や作家が見そうな夢をタブッキが想像して書く形式。ただこれらの超短編に迫真性を持たせるために、タブッキがどれだけ各著名人たち(好き・興味があるひとたちばかりなのだとは想像する)の生涯や作品について取材し、解釈に時間を費やしたかを考えると、「圧倒的教養...」と気が遠くなるのだった。大学で文学の教授だったんだからね、当然なんだろうね... ラブレーの回が好き。タブッキはおいしいもの好きだったと思う。
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夢のなかの永遠性を感じさせる万華鏡の映像は、時間軸を操作するように著者が心臓のなかの心臓を動かすと、変幻極まりない文字の表情劇になる。巨匠たちの心臓の根底に横たわる記憶のなかの芸術の血統や極致が、共振共鳴している。著者は読者が最高の芸術家を感じうる境地に浸れるように巨匠たちの意図と業績を明らかにしたのだと思う。
お気に入りは月に魅せられた男ジャコモ・レオパルディの夢。夜の砂漠、おしゃべりをする羊、色とりどりのケーキ、銀の少女。月に導かれて言葉を追いかければ、わたしもこんなきらきらな夢を見ることができるかしら。 -
本屋でふらふらしている時に思わず手に取った本。
まともに知識があるのがゴヤ、後は名前をちょろっと聞いたことがあるorブクログに作品だけ登録したor全く知らない人々ばかりで、少々悔しい思いをした。が。一つひとつの夢が魅力的で、次に本屋に行くのが非常に楽しみだ。
<なにかの象徴としてではなく「存在する」夢>
夢文学についてもっと色々読んでもっと色々考えたい欲が強くなりました。 -
各人物への著者による解説が、著者がその人物をどう思っているかを端的に表していて面白い。経歴からの後付け感があるせいか夢本来の荒唐無稽さはさほど感じない。他のタブッキ作品を読んで戻って来たら、もっと深く考えられるかもしれない。
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巨匠たちが見たかもしれない夢を、自分が見たような気分になれる。