- Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003314111
感想・レビュー・書評
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この本は、当時(明治12年12月初版)の知識人にはかなり行き渡ったのではないだろうか(明治16年の第四刷までの累計で3,500部と云われる)。つまりは、この本にある見聞が、後の明治国家の方向性を決定付ける役割(の一部)を果たしたと云えるのではないだろうか?
というのも、この本の第五部の第九十八巻「榜葛刺(ベンガラ)海航程ノ記」から第百巻「香港及ヒ上海ノ記」にあるのは、当時の欧米列強による「弱肉強食」とでもいうべき侵略の有り様だったからだ。当然、当時の日本の指導層は、「次は日本だ」と思ったに違いない。それを現実に思い知らされたのが、後の「三国干渉」だったのではないかと思い至る。
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弱ノ肉ハ、強ノ食、欧州人遠航ノ業起リシヨリ、熱帯ノ弱国、ミナ其争ヒ喰フ所トナリテ、其豊饒ノ物産ヲ、本州ニ輸入ス、其始メ西班牙(スペイン)、葡萄牙(ポルトガル)、及ヒ荷蘭(オランダ)の三国、先ツ其利ヲ専ラニセシニ、土人ヲ遇スル暴慢惨酷ニシテ(以下略)
「米欧回覧実記(五)」p.307
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本文は昔の「カナ混じり文語調」で書かれており、慣れないと読みづらいかもしれない。しかし、彼らの感じた危機感は、文語体という敷居を越えてなお、察するに余りある。
当時の戦争(日清、日露の両戦役)を「侵略戦争」と断ずるのは容易い。しかし、その根底に斯様な危機感があったことを知らずして、安易に「侵略戦争」と断言することに、私は躊躇いを感じる。そう断言することを「事後の正義だ」などと揚言するつもりは無いが、知っておくべき自国の歴史の一面であり、是非一読しておくべきと強く感じた。
かなり高価だが現代語訳版も販売されているという。単なるエンサイクロペディアとしての価値のみならず、明治国家を取り巻く世界情勢を読み解く貴重な記録としても、高い価値を持つ一次資料である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
みなさん日本史で勉強されてご存知だと思いますが、明治の岩倉使節団の欧米見聞報告書の現代語訳です。いずれ留学しようと思っている方はぜひこれを読んでから出かけてください。頭の中が好奇心全開の留学モードになります。拾い読みOKです。これを読んでから岩波文庫(請求記号:080/la/141、リベラルアーツ資料コーナーにもあります)の漢文調の原文にチャレンジしましょう。英語翻訳版もあるのでこれで英語の勉強もできます(現代語訳の上の棚に並んでいます)。
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2月になって文庫本を手に、読みはじめている.中学の歴史、高校日本史の教科書にも答唱する使節団の公式報告書というべきか.
初巻はアメリカ編.
使節団がなぜ最初の訪問国をアメリカに選んだのか.航路事情ということでもあるまい.案内人の米国人が同行している.<ペリー使節に対する返礼>を大儀としてるのか?、そこを読み取りたい.
学制・鉄道・鉱産
渡泊22日(明治4年11月~).その行程は省略されている.報告は最初に国論全体、つぎに訪問地.
国論総体で注目は、1)集合団体型学校制度の普及、2)鉄道輸送網、速度より網目、3)鉱産資源の豊富さ.
徳川の世に本邦の金銀は海外流出.
その知識はあったのであろうが、金銀山の豊富さに目をみはる箇所が.随所.長州閥二世は、本書を読んだか.国力の違いは明白.そこがまず、開示される. -
岩倉具視を特命全権大使とする訪欧米団は明治4年(1871)11月10日に横浜を発ち、アメリカに向かう。目的は江戸時代に結んだ不平等条約の改正のための下準備とそのためには外国の法制度を知ることが必要である。当初は大隈重信の発案の大隈使節団構想であったが、外国との交渉は内政の主導権に関わることから大隈を支持した太政大臣三条実美に対抗し岩倉と大久保利通は木戸孝允と計り、西郷隆盛、板垣退助らを説得し岩倉、木戸孝允、大久保利通ら薩長連合の指導者に対外的な外交交渉に慣れている旧幕臣を含めた使節団を派遣させることに成功した。
明治4年廃藩置県後の新政府の人員は以下のようになっている。太政大臣三条(34)、右大臣兼外務卿岩倉(47)、参議西郷(43)木戸(39)板垣(34)大隈(33)、大蔵卿大久保(42)等。留守政府の西郷等とは廃藩置県の実効をあげ出来るだけ新規の改正を避けるという約定を作ったが、留守政府は陸軍省・海軍省・近衛兵を設置し徴兵令を布告、西郷が陸軍大将を兼任している。また鎖国中の朝鮮政府が政体の変わった日本の国書を形式が異なると拒絶したためー140年前からこういう関係なのだー武力征伐での開国いわゆる征韓論の板垣と、派兵には反対し自ら全権大使として訪朝すると一旦はまとめ、岩倉使節団の帰国を待つ西郷だったが、欧米を”見た”使節団は内政と国力増強を優先して訪朝を否決、下野した西郷、板倉から西南戦争と自由民権運動が生まれていくことになる。
使節団は岩倉大使、副使に木戸、大隈、工部大輔の伊藤博文(31)外務小輔の山口尚芳を初め46名、平均年齢30才前後で最年少は18才と非常に若い。岩倉はこの実記の著者久米邦武(33)と現地参加の書記官畠山義成を常に同行させ記録を残させた。使節団の正式資料としては大使事務書目27冊と理事官視察官取調書目41冊があるがそれとは別に回覧実記全100巻5編を久米に編纂させ明治11年に発売させた。これは一般向けの報告書であり、欧米に関する最新の百科辞典であり当時の政府の考えを示すマニュフェストでもあると言える。また貿易や産業の利益構造にも思索は及び日本で最初の欧米市場のマーケティング資料でもある。
使節団には5か条の御誓文に関わった由利公正や東久世通禧もいて、ワシントン滞在中に思い出した木戸は御誓文を再発見し立憲政治の出発点として見直されることになる。随員18名、留学生43名には自由民権運動の中江兆民、津田梅子や山川捨松など女性4名、ハーヴァードでローズヴェルトの知己を得後にポーツマス条約で奔走する金子堅太郎、MITで鉱山学を学び三井三池炭鉱をドル箱に変えた団琢磨、大久保の息子で長女が吉田茂に嫁ぎ、ひ孫が麻生太郎と武見敬三の牧野信顕、現地参加の通訳新島襄などもいる。
一行はサンフランシスコからロッキーを越えシカゴ、フィラデルフィヤ、ワシントン、ニューヨークと東に向かい各地の人口動態、産業、歴史、自然環境など事細かに記録している。水銀を使った金銀の精錬や銅板印刷、力織機、紙幣の印刷などかなり技術的な内容も正確に記載され久米の教養の高さには驚かされる。
基本的には淡々と事実を書き連ねる久米だがロッキーを越えユタからネブラスカ州オマハに入ったころの感想には熱い思いが見える。「世界の財宝は貨財ではなく物力であり、国力の元は人口にある。」当時のアメリカの人口は4000万人でGDPは1990年の購買力平価換算で1000億$、対する日本は人口は3400万人と欧米主要国並だがGDP250億$だった。それでもGDPはスペインより高く、人口が10倍の清もGDPは世界最大で1872億$だが一人当たりでは日本の方が高い。アメリカは移民と黒人奴隷で国力を増強させているのは明らかだが「けだし不教の民は使い難く、無能の民は用を成さず、不規則の事業は効をみず、民力の多きも、その至宝となる価値を生むためにはどうして漫然と希望するだけでできようか」高尚な学問より基礎教育だ、米国の基礎教育はキリスト教の信仰が元になっている。しかし、東洋では上流階級は高尚な空論か浮ついた文芸に走り、中流は金と賭博に走る。
アメリカについては豊かな土地に自主独立不覊の精神あふれる移民を宗教を元にした規律でまとめているのがその隆盛の元という見立てだが、選挙制度については最上の俊才を集めることは出来ず、多数決では上策ではなく下策に落ち入るポピュリズムの限界を指摘している。
それにしても岩波版は旧仮名遣いで読むには辛い。読点が多くリズミカルな文体なので慣れれば何とかなるがやはり頭には入りにくい。 -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
書斎の本棚から百冊(立花隆選)35
日本近現代史
日本の近代は明治の指導者たちのこの一大見学旅行からはじまった。 -
明治4年から明治6年まで海外文化視察の名目で日本を発った男たちがいた。そう、ごぞんじ──特命全権大使・岩倉使節団である。<br><br>
大使随行(実質は書記官?)久米邦武の速記した膨大な海外視察データ(100冊にもおよぶ!)『米欧回覧実記』を、コンパクトに文庫本5冊に凝集して岩波文庫さまが出してくださった<br>(こんなマニアックな本、誰が買うんでしょうねええ?!ま、わたしのようなオタク歴史マニアが買うんだろうな!岩波書店ってホント無欲っていうか商売欲なさすぎ!でも愛してる。)<br><br>工場や施設の見学中に見聞した内容だけでなく、時に触れて自分なりの感想まで書くという余裕の離れワザ。久米邦武のおそるべき筆記スピードが想像せられる。