中世の文学伝統 (岩波文庫 青 171-1)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003317112

作品紹介・あらすじ

風巻景次郎(1902‐60)は、日本文学史の書きかえを生涯の課題とした。本書は、上代における和歌の成立からはじめ、『新古今集』『山家集』『金槐集』など中世300年の代表的歌集とその歌人たちを通覧することで和歌こそが日本文学をつらぬく伝統だと論ずる。鮮烈な問題意識をもって日本文学の本質に迫る力作。

感想・レビュー・書評

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  • 中世の文学伝統とは取りも直さず和歌の伝統である。本書は藤原定家において頂点を極める中世和歌史の簡明平易なスケッチであり、それがそのまま格好の日本中世文学入門となっている。正岡子規以来の万葉集礼賛の風潮に疑問を呈し、技巧に偏した退廃美とされることの多い古今集、新古今集に新たな光を当て、その芸術性を再評価している。

    また本書は文学と伝統の関係についても再考を迫るものだ。和歌は宮廷文化を基盤として発展したが、その宮廷文化が武家の台頭によって侵食され、行きづまりを見せた時に文学として自立し、高度な芸術性を実現し得た。「伝統は、失われんとするが故に、改めて愛することを強いられた心に樹てられる。」没落しつつある貴族社会には「原理的に新しいもの」は何もない。だが、そうであるが故にこそ「現実を精神に隷属させる豪奢な放蕩」が尊ばれ、幻影を形象化するために「彫り出すものの像をたえず虚空に見つめ得る眼」が研ぎ澄まされる。だがそれは「無限に緊張した注意力」を必要とするもので、呑気な遊興とも形式に堕した花鳥風月とも無縁である。まして伝統への無媒介の同化を強いる「日本主義」とはどこまでも異質なものだ。

    もっとも著者の文学観には近代主義的な狭隘さを感じないでもない。著者が高く評価する定家は、それまで貴族社会の社交のたしなみであり、歌謡とも完全には分離していなかった和歌を純粋な詩として独立させた。それは確かに卓越した芸術的完成と言えるが、同時に個人の創造性という、ある意味で特殊な理念に芸術を限定するものでもある。定家を「最初の近代詩人」であるとし、定家と最終的に袂を分かつ後鳥羽院を「最後の古代詩人になることによって実は近代を超え」ていたと喝破した丸谷才一の『 後鳥羽院 (ちくま学芸文庫) 』と比較して読んでみるのも面白い。勿論どちらが「正しい」とか「優れている」とかいう問題でははい。

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