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── ギボン/村山 勇三・訳《ローマ帝国衰亡史(08)19580405-19920928 岩波文庫》
…… もし聖ペテロまたは聖パウロのようなクリスト教の使徒がヴァテ
ィカンの法王宮を再訪することができるとしたら、彼等はおそらく「こ
の壮大な宮の中にこのような不思議な儀式で崇められている神様の名は
何というのか」と質問することであろう。オクスフォードまたはジュネ
ーヴでは、彼等の経験する驚きはもっと少ないであろう。しかもクリス
ト教会の教義問答を精査し、彼等自身の書いたものや彼等の先生(すな
わちクリスト)の言葉に関する正教派注解者連の注解を研究することは
やはり彼等の免れることのできない職務であろう。しかし、トルコ人の
聖ソフィヤの会堂は美しさと大きさとが加わっていても、教祖マホメッ
トの手でメディナに建立された素朴な聖堂をそのまま代表する。回教徒
らは、その信仰と礼拝の対象を人間の感覚及び想像力の水平線に引きお
ろす誘惑に儼として一律に踏みこたえた、「余は一つの神とその神の使
徒マホメットとを信ず。」これが回教の単純不易な教義である。神の霊
的肖像はどのような可見的偶像にも引きおろされたことが未だかつてな
いのである。(P181)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030518 偶像論