モーツアルトの手紙 下―その生涯のロマン (岩波文庫 青 504-2)
- 岩波書店 (1980年9月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003350423
感想・レビュー・書評
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幼少の頃天才と呼ばれ、世界各国から
賞賛を浴びて…何よりも両親からの
期待に応えて、褒められ、認められた
少年が挫折を知りながらも大好きな
音楽と向き合った一生。
天才と言われ、その才能を生きてる間には
なかなか認められず、変わり者のイメージも
あるけど、モーツァルトも一人の人。
幼少期の無邪気さ。
奥さんへの愛に溢れていたこと。
お父さんに認められるためにずっと
努力して音楽と向き合える姿勢は
幼少期から全然変わらなくて、
強い意志の持ち主。
そんなことが手紙から少しずつ
見えてきてまたモーツァルトという
人の魅力が見えてきて面白かった!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小林秀雄から。
なんとも不思議な星のめぐり合はせの下に生きてきたひとだと感じた。音楽家の親の元に生れ、思ひ掛けず音楽の力に目覚め、彼にはもうそれしかできないといふのに、そのためだけに生きることは叶はず、たくさんの生活的なことで煩はせられる。
それでも彼は書くこと、音楽をすることをやめなかつた。彼は自分に与へられた力を疑はず、遺憾なくその力を発揮した。どんな生活の荒事も、彼の音楽をかき消すことはできなかつた。彼の音楽を止めることができたのは、病とそれによる死だけだつた。彼の抱いた自身の力に対する自覚は本当にさう感じられことなのだ。彼は自身の音楽にうそをつくことができない。
手紙の中でみせる轉げ廻つて流れていく様なことば。それ自体がまるで音楽のやうだ。きつと彼の肉声もさういふ音楽をもつたものだつたに違ひない。とても心地よく、それでいて、決して軽佻浮薄だといふことはない。確かにひとつのハーモニーをもつて届く声。友に哀願する時も、きつと音楽だつたやうな気がする。どこか斷りきれない、哀愁漂ふ歌唱。
何をどうしやうとも、彼のなすことはすべて音楽になつてしまふのだ。そして、ひとつの音楽が流れていくかと思へば、次の音楽がやつてきてしまふ。この流れてゆくものを書きとめることができるなら。それがはかなくも彼が書き続けることを望んだことなのかもしれない。
彼が時にみせるあの表情は、ここではない、音楽の世界への途方もない憧れと、その世界を知つてしまつたただひとりの人間のもつ渇き。
歴史にもしもなどといふことはあり得ないから、彼がもし生活に不自由なければ…といふ空想は不毛だ。彼はかういふ星のもとに生れ、そして、奏で続け、去つていつたのだ。それ以上のものもそれ以下のものもない。けれど、さういふ人間だからこそ、様々な尾ひれの伴ふドラマが絶えない。失つてはじめて、彼の声が届くとは誰が考へられただらう。
改めて彼の作品を聞くと、喜びも哀しみも流れてゆく、どうにもならない彼のイメージが立ち上る。 -
演奏旅行先での出来事を家族に報告する手紙、
自分の実力を認めてくれない権力者を非難する手紙などで
占められていた前巻に対し、
後巻は、知り合いに借金を申し込む手紙、
療養先にいる最愛の妻に送るラブレターなどがメインとなっていて、
手紙の端々に書き込まれている冗談やおふざけは相変わらずだが、
書かれている内容は暗いものも含まれるようになる。
実力がありながらも、自信過剰で、謙虚さがなく、
力ある者に取り入る事の出来ない世渡り下手、
そして夫婦揃っての経済観念の欠如故に
困窮した生活を送らざるおえなくなった若き音楽家の人生が
その手紙より浮き彫りになっている。
本作を読むだけでなく、映画「アマデウス」も併せて観ると、
映像のモーツアルトが彼の書いた手紙より偲ばれる
モーツアルトのイメージに近く、より一層楽しめるかも。 -
モーツァルトの真実の顔がわかる
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