友情について (岩波文庫 青 611-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361139

作品紹介・あらすじ

『老年について』の姉妹篇として書かれた対話篇。古代ローマの政治家で賢者の誉れ高いラエリウスが、無二の親友であった小スキーピオーを喪った動揺さめやらぬ中で、二人の女婿を前にして、友情について語る。友情論の古典の新訳。

感想・レビュー・書評

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  • 賛同できるところもそうでないところもあるが、賛同できないところをあえて見つめ直すことで自分にとっての友情が再定義できたのでよかった。

  • 「真の友人を見つめる者は、自分の似姿を見つめることになる...」
    「さて、われわれが友情の中に求める不動の堅固さの基盤は、信義である。なぜなら、信頼できないものは不動ではないから。」

    社会人になり始めると、人との出会いが増えたり、また今やネットで人と繋がれる時代なので、人間関係に関する悩みは尽きない。なので本当に信頼できる人との関係性はすごく大事だったりするし、なんとなく友達という風に処理してはダメな気がしてきた。

    真の友情関係には、利害関係を持たずに、相手をリスペクトし、心から信頼できるという信義が必要。

  • それなくしては友情もありえぬ徳というものを尊び、徳以外には友情に勝るものはないとまで考えよ。

  • ちょっと陳腐な感は否めないが……。

  • キケロは、シーザーと同時代のローマに生きた政治家ですが、ラテン文化を代表する名文家としての誉れも高いことを知りました。

    友情についての深い洞察が、親友であるスキーピオを喪ったラエリウスにより語られる、という設定になっています。

    以下の言葉がとても印象に残りました。

    「確かな友は、不確かな状況で確かめられる」

    真の友情というのは、その人物の徳を敬愛することであり、それに接することにより自身も行いを正すことが出来る、と言います。

    お互いに高め合うことができるような関係、それは国籍、年齢や性別を超えて成り立つのではないでしょうか。そう思いました。

    • mmssmmさん
      私も、大事な人とお互いに高められる関係でいれたらと思っています。
      私も、大事な人とお互いに高められる関係でいれたらと思っています。
      2019/05/14
  • 友情とは、依存ではなく自立から生まれる。

    友情は実益から成るのではなく、本性から惹かれ合うことで成る。

    友情が実益を追うのではなく、実益が友情を追う。

  • 4-00-336113-x 131+13p 2004・4・16 1刷

  • 友情と徳に深い関係があるらしい!
    徳を高めることで、深い友情を築ける。
    徳を高めるために、友情を築く。

    友人が亡くなっても友情は不滅。

    という理解です。

    自分に徳がないのに、自分を磨かず、徳のある人との友情ばかり求めようとするといった内容が耳に痛かった。

  • 友情や愛、徳、知

  • 秀れた人々の中にしか友情はありえない、と思う。(p.22)

    友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ。。それは、真の友人を見つめる者は、いわば自分の似姿を見つめることなるからだ。(p.27)

    さて、わしは友情について機会あるごとに考えてきたが、いつも考察すべき最大の問題だと思われていたのはこのことだ。友情というものは弱さと欠如の故に必要とされるものであるのか、即ち、奉仕したりされたりすることによって、各人が自分のちからではできないことを他人にしてもらい、代わりにこちらからも返す、というようなものなのか、それとも、それも友情の持ち前ではあるにしても、友情にはまた別の原因、もっと蒼古として美わしく、もっと人間の本性そのものに由来する原因があるのだろうか、という問題だ。(p.30)

    友人によって得られる実益より、むしろ友人の愛そのものが嬉しいのだから。友人から出るものも、思いやりをもって出てきて初めて喜びとなる。(p.48)

    忠告を与えかつ与えられること、一方は率直に、しかし苛烈にならぬよう行い、他方は嫌がらず我慢して受けること、これが真の友情の本分であるっように、友情には阿諛、おべっか、追従以上の害毒はない、と考えるべきである。(p.74)

    スキーピオーは突如奪い去られてしまったけれども、わしにとっては今も生きているし、ずっと生き続けるであろう。なぜなら、わしの愛したのは彼の徳であって、それは消滅していないし、いつでもそれに接しておれたわしの目の前にたち現れるばかりでなく、後の世の人々にも、ひときわ鮮やかに記憶されていくであろうから。彼の思い出と雄姿を手本にしなければ、と思わないような者は、決して大志大望の業に取り組むことはあるまい。
    幸運により、あるいは生まれながらにわしが授かっているもの全ての中でも、スキーピオーとの友情に比べうるものは一つもない。国政に関する意見の一致も、家庭生活における相談事も、喜びに満ちた安らぎのひと時も、この友情あればこそであった。気づいた限りでは、どんな小さいことでも、わしは決して彼の感情を害したことはないし、彼から嫌なことを聞いた覚えもない。家も同じなら、生き方も同じで共通、軍役のみならず、旅行の時も田舎で暮らす時も一緒だった。
    常に何かを知り学ぼうとする熱意については、何を語る必要があろうか。われわれは暇さえあれば衆目を離れて、研究に時を忘れたものであった。それらのことの記憶や思い出が、もし彼と共に滅びてしまっのなら、切っても切れない無二の親友を失くした悲しみは、いかにしても耐えられぬところであろう。しかし、それらのことは消滅していないし、むしろ、わしが追想し思い出すのが供養となって、ますます大きくなるのである。また仮りに、それらのことがすっかり奪われてしまったとしても、わしの齢そのものが大きな慰めとなってくれる。もうこの歳になれば、その悲しみの中にもっと永く浸っていることも叶わぬのだからな。すべて時の間のものは、大きくとも耐えられるはずなのだ。
    以上がわしが友情について語りたかったことである。それなくしては友情もありえぬ徳というものを尊び、徳以外には友情に勝るものはないとまで考えよ、と君たちには勧めておく。(p.82-83)

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著者プロフィール

前106-43年。共和政ローマ末期の政治家・弁論家・哲学者。代表作は、本書所収の二篇のほか、『国家について』、『弁論家について』、『トゥスクルム荘対談集』など。

「2019年 『老年について 友情について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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