- Amazon.co.jp ・本 (122ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003380819
感想・レビュー・書評
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プロテスタントにとっては基本的なことばかりだが、あらためて読むと自分が少し変えられた気がした。日々の祈りにおいても、目の前の事のみを祈るのではなく、変らぬ十字架の救いに感謝を捧げようと思わされた。とても影響力のある本だと思った。
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ルターはとにかく、人は「律法の行い」によってではなく「信仰」によって義(ただしい)とされ救われるということを、それに関する様々な誤解を具体的なただしながら丁寧に説明していく。そしてまたその説明の中で、当時のカトリック教会がイエスの時代のユダヤ教徒たちと同じ過ちを犯していることを控えめながら指摘していく。
本書は、宗教改革における歴史的役割を確認するためだけでなく、現代において「ローマの信徒への手紙」をただしく読むための手引きとしても有用であると感じた。 -
キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。
キリスト者はすべてのものに奉仕する下僕であって、何人にも従属する。
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この本が有名
な、「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しな
い」と、「キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する」と
いう二つのテーゼで始まることは有名である。外から内ではなく、内から外へ、とい
うルターの信仰観が明らかにされている。エラスムスは人間本性において直接的に自
由を見る傾向があるが、ルターは自由を「奴隷」や「罪」という反対概念との弁証法
的な関係で捉えるのである。
全般的に、このテーゼの展開に終始しており、ルターの他の多くの著作に見
られるような、具体的な対象を持った批判や論駁などは見当たらない。しかしそれゆ
えに、現代に至るまで多くの信仰者によって読み継がれてくるような、普遍性を持ち
えたのであろう。福音主義キリスト者が常に立ち返るべき中心的事柄が凝縮されてい
る書物である。
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「自由」と一言で言っても、仏教的自由とキリスト教的自由とは意味が異なる。
「表現の自由」とか「自由主義経済」とかいう場合は、これは欧米からもたらされた概念なので、もちろんキリスト教的自由をさす。
だから、キリスト教の発想を理解しなければ、ビジネスも政治も世界に取り残されることになる。日本では最近世界に通用するイノベーションが生まれないと言われるけれど、それはここに原因があるのではないかと思う。
クリスマスに読む本としては最適だったと思う。
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人自身による影響以上に、人に影響を与えうるのは、その人自身の思想である。
イエスの生き方以上に、イエスの思想こそにより多くの示唆が含まれいる。 -
当時、ルターが宗教改革の時に何を目指したのか何を言いたかったのかが凝縮されていて、前提と提案、その広がりと受容、いろんな意味で興味深く読むことが出来た。ここでいうルターの言っていることは信仰に求められる真髄のようにも思える。何かに向かって誠を尽くそうとする人の姿が垣間見れられた。また聖書を読む時にその理解の助けとしたい。
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自分がキリスト教徒ではないのと、翻訳が読みにくいのとであまり頭に入って来なかった。
聖書を読んでいたらもう少し入り込めたかも知れない。
ただ、ルターの宗教に対する真面目で熱い想いが伝わってきた。