- Amazon.co.jp ・本 (124ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003420911
感想・レビュー・書評
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あれ?前に読んだことあるような…と思ったけど、大学1年生の時の社会学概論で相当ウェーバーについてやったから、そのせいですね。たぶん。にもかかわらず頭使った。薄い本なのに。個人の行動が社会との共同認識等の中で生み出す状態について/認識の種類について/認識の前提になるものについて/共同体について。本筋とは関係ないけれど解説でロシアの農村共同体ミールのことを読んだら、世界史で勉強した記憶が呼び覚まされて、その辺のところをもう一度勉強したくなった。
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マックス・ウェーバーは好きだ。
これは1913年に書かれた、一応独立した論文である。内容は方法論的、概論的なものであり、社会学的思考を展開するというよりもその基礎を論じている。それだけのものだから、物足りないと言えば物足りない。
ひっかかったのは、社会集団に所属する「個人」を、ウェーバーが「原子」にたとえ、その個人(の行動)への理解から理解社会学が始まる、としているところ。
私が思うに、「個人」と「集団」は別のものであり、ひとりひとりのモナド=個人を追っていけば行くほど、その複雑な心理や行動はどんどん範型から逸脱してしまうので、逸脱者=マイノリティを排除しない限り、「理解社会学」は成り立たないのではないかということだ。
しかし1913年という時点では、まだ「個人」はここまで「多様化」しておらず、何らかの範型にたやすく分類できるように「見えた」のかもしれない。 -
正味100ページ弱なのに何だこの異様に時間のかかる読みにくい悪文は──と己の頭の悪さを棚に上げて毒突きつつ、ゲマインシャフト行為だのゲゼルシャフト行為だの定律だのといった概念をごくごく呑み込む。なるほど社会理論といえども科学的な分析にはこれほどの厳密な定義付けが必要だろうさ。おかしいな、社会科学専修だったはずなのに全く囓りもしなかったな。まあいいか。