シャドウ・ワーク (岩波文庫 白232-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003423219

作品紹介・あらすじ

家事などの人間の本来的な諸活動は、市場経済を支える無払いの労働〈シャドウ・ワーク〉へと変質している。人間がシステムの従属変数となっている危機を、経済、社会、政治、知的活動などさまざまな切り口から論じ、自立・自存した生の回復を唱える。文明批評家イリイチによる現代産業社会への挑戦と警告。

感想・レビュー・書評

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  • イリイチのあまりにも有名な言葉である。1冊まるごとシャドウワークの本であると思っていたら、最後のわずか40p.の部分でしかなかった。

  • タイトルが気になったので衝動買い。ちょっと想定していた内容とは違っていた、というのが最初の感想。「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か」と同じような、支払われない労働に関する論説かと思っていたが、それに留まらない。
    そもそも、人は生きるうえで現在のような市場で全てをやり取りする社会を必要として居なかった。生活に必要なものは基本、自給か、自給したもの同士の交換で成り立たせていた。賃金をもらって生活必需品と交換するのは、それでなければ生きられない貧民の生き方であった。この辺り、サピエンス全史にも、たしか人間は社会を作ることでそれまでよりも貧しくなった、という言説があった様に思う。
    それがいつの間にか、賃金を貰う働きこそが唯一の価値を生む行為へとすり替わる。だが、マルクスの労働力の再生産の概念を待つまでもなく、人は食べ、眠り、住まなければ働くまでもなく生きていけない。だから、それを支える活動が必要になる。支払われない活動が賃金労働に必然的に伴われる必要があり、これがシャドウワークに繋がる。育児も、ケアリングも同様である。
    つまり、シャドウワークは単に支払われない労働というだけでなく、人の自立と自存を奪う賃金労働という生き方を強要するうえで必然的に拡大していくものであり、それ故に無賃であるというよりも深刻である、ということらしい。
    さらに、それまで存在したヴァナキュラーな言語が統一された「国語」ないし「母語」になることによって、生き生きとした人の交流、交歓が失われていくこと、代わりに学校という商品との交換が生じていくこと等、画一的な社会を整備していく事の弊害も説いている。これまで、統一された国語を学ぶことは人の学びを拓く行為と肯定的に受け止めていたが、どうもそれは一面的な見方なのかもしれない。
    他にも現代社会を形作る要素についてさまざまに批判が加えられており、読了に時間を要したが、久しぶりに考えさせられる本だった。取り急ぎ印象をメモしたので、何回か再読して考えを整えたい。

  • シャドウワークとは無料な仕事。ヴァナキュラーとは土着。
    双方とも聞きなれない言葉。
    家事などのシャドウワークは重要な仕事にも関わらず、無報酬。男社会が作り出した負の遺産かもしれません。

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