- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003751084
作品紹介・あらすじ
西欧世界とはまったく異質な輪郭と色彩をもつインディオの世界認識のありかたを称揚し、ヨーロッパ文明とインディオ社会のヴィジョンの対立をストレートに描く、ル・クレジオの記念碑的著作。失われた土着の宇宙観とその残照を擁護する、現代文明批判の書。
感想・レビュー・書評
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西欧文明に行き詰まりと限界を感じている著者のル・クレジオが、その対極にある、いわば理想の姿としてインディオの文明を位置付けている。例えば、自己を際立たせる主体的な言語行為(西欧的)に対して、多くは沈黙を持ってなされる呪術的な言語とその論理(インディオ)。絶えず発展や進化を強要され、何ものかの実現をめざし続ける西欧に対して、何ものも欲しないインディオなど。そのように、音楽や美術などあらゆる点において、インディオのそれが称揚されるのである。そして、多数の図版もまた、この目的のために供与されている。
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都市とインディオ、ハイとワンドラ。文明への強烈な批判、クレジオの作品は依然にも読んだことがあったから、多少理解の前提の上に読めた。
このアフリカ出身のフランス人作家の手によって書かれる言葉は、常に西洋文明に対し一定の距離を置こうとする。彼は支配や権力、科学というの冷徹さに対して、嫌悪感をむき出しにし、アンチテーゼとしてのより原始的で人間的だった世界へのノスタルジーを募らせる。ここでは「インディオ」という一つの世界に、クレジオはその濃縮された価値観を見たのだろう。そして、それが強烈な文明批判である上に、さらに美しい散文詩の色彩が本全体を一つの色に染め上げている。それはインディオ達が顔に塗料として塗る、深い深い赤の色だ。
レヴィストロースの本を読んだ直後だっただけに、とても印象に残った本だった。もっともクリスチャンとしては、少し心情に抵抗を抱きながら読んだ本でもあったのだけど。 -
フランスのノーベル文学賞受賞作家、ル・クレジオのインディオとの生活体験をもとに書かれた。「現代文明批判の書」とあるが、そもそも文明-インディオの二項対立自体への問題提起であるようにも感じられる(p25「両者を分けることは不可能だ」)、緊迫感溢れる若々しい作品。詩のよう。フランス的な思わせ振りの表現がはなについたり、生理的に無理な人にも感覚的に訴えるはず。そう願うのは、個人的にフィーリングの合うものだったから。こういう考え方、観点に共感し思い入れをするひとは、まともな社会生活を送ることが困難なひとだろうが。
インディオに仮託して自身の思想を機能させようとしているのか。沈黙(言葉への懐疑)、歌(鳥は歌わない)、道具としての絵画(p112インディオは絵を展示しない、p113)。
原題はHai(ハイ)、「活動と精力」。最後に(p159)世界はハイとワンドラで成り立つと主張する。対立項は「現代文明」ではなく、「ワンドラ」だ。 -
ル・クレジオは沈黙の心地を知りながらも、この文を書いて沈黙を破った。それが内容とは別に、本書の面白いところだと思う。彼の感動は本物だ。しかし沈黙や歌にのみ"生"を感じるのであれば、ずっとインディオと共に暮らすことができたはずだ。しかしそうはしなかった。なぜか?彼の(精神的な)故郷がフランスにあったからだと考えられる。彼はインディオと共に暮らし、家族を感じ、インディオになって宇宙観を知りながら、一方の身体は別の場所で生まれて育ち別の軸を知ってしまっていた。文字を書かずにはいられなかった。感動の沈黙を破らずにはいられなかった。それは必ずしも悪いことを意味しない。彼が書いてくれなければ、私はインディオのこの脈動を知ることはなかった。そして書かなければ、彼は故郷に還れなかったのだ。
この本で沈黙の躍動を知る。一度言葉を発してしまえば、沈黙でない。一度声を発して仕舞えば、発して、発して、考えて、書いて、発して、言葉言葉言葉、うるさいくらい無限の回数のそれで打ち消し合った末に、沈黙とほぼ同じほどの凪ぎを得るしかないのではないか?彼の文はそれをしている。これは内の中の外、外の末にある内だと言えるのではないだろうか。
我々は家や街というシェルターで地球の体温を遮断した。安心の代わりに、森や、風や、温度、太陽、雨、季節、傷、動物と隣り合わせで生きることを失った。自然がない中で退屈しないように人類は新しく文化をつくり、文字を書き、絵を描き、音楽を奏でて、芸術を生み出したのだと私は考えている。私にとって、芸術は森の代わりなのだ。森に行けば芸術をしなくても満足してしまう。しかし、一度便利さを知ってしまえば森でずっとは暮らしていけない。森や海は遺伝子の故郷であるが、身体それ自体の故郷は街にある。だから両方に焦がれてしまうことは、誰にも責めようのないことだ。それを踏まえると、この言葉が本を読んだ時とは違うものに聞こえて来る。「芸術というものはなくて、あるのはただ《医術》だけだということを、いつの日か人々は悟るにちがいない。」私からすれば、この本も医術であり、この言葉の群生は宇宙的な生を知る役割を果たしてくれている。 -
良い本だと思うんですが、周りがひいているにも関わらず、作者の好き過ぎて熱くなって周りの様子が見えてない感が気になる。結構叙情的というか、しつこいねっとり。写真も付いてるし(本人と奥さん所有)、それで結構雰囲気伝わるのだから「私の生涯かけてます感」重いわあ。その写真の解説にも前書き書いてあって、「あくまでインディオ達が所有しているのは思想であって物ではない」
う、うるさい。でも本当に写真も内容もいい。作者がうっとおしいだけ。そんなに西洋文化をにくまなくてもいいじゃーん。 -
2017年7月9日に紹介されました!
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ほとんどわかってなくて、装丁が綺麗な本という印象が強いんだけど、それでも学術的な文章ではなくて、ル・クレジオ個人の感覚を強く感じさせる文章だったのは惹かれた。ひとつの文化を突き詰めて、そこに色々な感覚が付随してくる感じも好きだった。
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これこそが異なる価値観だ。異なっていても理解できることもある。