イスラーム主義とは何か (岩波新書 新赤版 885)

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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004308850

感想・レビュー・書評

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  • 読了—1月2日

    【まとめ】
    <イスラーム主義の登場> 
     筆者は社会人類学を専門とする東京都立大学(当時)教授で、自身のフィールドワークに基づいた研究をされている。本書はサウディアラビアでは18世紀のワッハーブ派、スーダンでは19世紀のマフディー運動を通してイスラーム主義の萌芽的特徴といえる近代性(西欧近代との接触)を確認し、イスラーム主義とは何かを説明する。
     筆者は、イスラーム主義を、西欧近代に触れ、それに影響を受けながらも、政治的イデオロギーとしてイスラームを持ち出す運動と解釈する。それは、近代と伝統の微妙なバランスに立脚するものであるけれど、彼らには両者が矛盾なく同居しているという。イスラーム主義の特徴は、その中心的メンバーは(ナショナルな単位の)高等教育を受けた中流のモダニストだということである。彼らは「伝統的イスラーム」の言葉を用いつつ、イスラーム社会の現状改革を行なおうとする中で、植民地の現実から帝国主義や資本主義など近代的語彙を用い、社会の下層市民を指導して行く。そして筆者は、1930年代に興るムスリム同胞団をイスラーム主義の特徴を兼ね備えた運動体とみなし説明を加えている。

    <イスラーム主義とイスラーム復興の共通性> 
     1969年、第三次中東戦争でのアラブの敗北、及び70年代前半のサダトによる「門戸開放」政策による「消費社会」の到来と貧富の格差を前に、ナショナリズムに代わり宗教を持ち出し改革を叫ぶ組織が支持されるようになる。特に貧富の差は、下層中流階級を直撃し、彼らの中の高学歴なものは再び宗教を持ち出し政治改革を訴えた。さらに、社会的背景として大衆教育が施されたことが運動の急進化を支える結果になった。というのも、大衆の識字率の上昇でウラマーなど「権威的イスラーム法解釈の独占体制」が揺らぎその宗教的権威が低下し、「正統教育」を受けない者による独自解釈が横行したからだ(ジハード団など)。そのような組織は、穏健なイスラーム組織にも批判の矛先を向け、孤立先鋭化していく。
     筆者は、このような1970年代以降の政治的運動と同時期に発生する、文化的社会的な「イスラーム復興」という現象にも注目する。この現象自体は(イスラーム主義に共感を示しても)政治性を有したものではなく、イスラーム主義とは区別が必要であるという。この動きは、女性の社会進出と再ベール化の関係から明らかのように近代化が必ずしも(欧米の考える)世俗化(=宗教の私的領域への後退)には繋がらないことを示している。ここにいたって筆者は、イスラーム主義に見られる、「モダニストとしてのイスラーム主義者」と共通の疑問をみている。

    【感想/コメント】
     本書は、現在中東で生じている「民主化」の動きを理解する上でも、その背後で大きな影響力を有しているムスリム同胞団の基本を知る上でも優れたテキストであると思う。尤も本書ではイスラームの教義などに関しては殆ど述べられておらず、その学習には他を当たる必要がある。
     本書の価値は「近代化=世俗化」への疑問に凝縮されているだろう。少なくともアラブ諸国において生じる「近代化」の進展と一見相反する政治への宗教の関与は、少なくとも当事者にとっては歴史的に意味を持ち、矛盾なく同居していることを指摘することは非常に重要な視点である。というのも、この問題は決してイスラーム圏、アラブ圏だけの問題ではなく、今日のヨーロッパで生じている問題の根幹でもあるからだ。
     第五章で、理論を用いながら述べられるように、この問題は「近代」をいかにイスラームの視点から解釈するかというところへ帰着せざるをえないのかもしれない。「イスラーム的近代化、より正確にいえばムスリムたちの近代化には、彼/彼女たちの生きてきた歴史的、社会的環境に応じて、さまざまな可能性、さまざまな道筋があるという発想」が大事だという。しかし一方で、筆者は、「イスラーム的近代性」という概念自体にも消極的である。それは結局、イスラームの地域差からくる多様性を廃した議論になり、西欧対イスラームの二者択一的な議論に終始して恐れがあるからだという。地域の差異に基づいた人類学者ならではの視点に今後とも注目したい。

  • スンニ派とシーア派の違いがよくわかった。

  • [ 内容 ]
    9.11事件以来、注目を集める「イスラム原理主義」の運動。
    なぜイスラームは最近になって復興してきたのか。
    また一段と純化しつつある背景には何があるのか。
    長年アラブ地域を調査してきた著者が、この現象に「イスラーム主義」という分析概念をあてはめ、その起源を歴史的にたどり「もう一つの近代」の有り様を提示する。

    [ 目次 ]
    序章 「イスラム原理主義」から「イスラーム主義」へ
    第一章 「一神論の徒」の蜂起
    第二章 「イスラーム救世主」の栄光と挫折
    第三章 背広を着た「伝統主義者」
    第四章 イスラーム復興の時代
    第五章 ムスリムの「近代」
    終章 「九・一一」の前と後
    あとがき

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    [ 参考となる書評 ]

  • 日本人はイスラームに対して偏った考え方を持ってしまいがち。これを読むと、一口にイスラームと言っても様々な考え方を持った人がいると分かる。

  •  イスラム原理主義という言葉はメディアを通して、または日常生活で何気なく用いられている。その一般的な意味は旧態然とした狂信的な集団、命を賭してもアメリカを初めとする近代的なものへ攻撃を繰り返す救いようがない野蛮人、といったところであろうか。

     本書で著者はこの「イスラム原理主義」という語に潜む不明瞭さ批判し、西側メディアがいわばオリエンタリズム調のレッテルとして創り出したものであることを指摘する(これはもう死ぬほど言われたことだ)。その上で近代に興ったイスラーム側の改革運動を「イスラーム主義」と「イスラーム復興」に分けて定義し直し、真に学術的使用に耐える概念を確立しようと試みた。

     「イスラーム主義」とはイラン革命に代表されるような、西洋的近代化が進むイスラーム世界であっても、あえて「真正な」イスラーム秩序によって政治を進めていこうという考えを指す。その根底にあるものとして、著者はウォーラーステインの「世界システム論」を援用し、従来はイスラーム世界内での出来事として収まっていた改革運動が、世界システムに組み込まれていくにつれ近代的要素を色濃くしていったと主張する。そしてその実例として、18世紀のワッバーフ運動、19世紀のマフディー運動、そして20世紀におけるエジプト同胞団をそれぞれ取り上げていく。

     「イスラーム復興」とは現代において、イスラム法に基づいた生活を選択する社会的・文化的動きを指す。著者はここで一時期非常に少なくなっていたエジプトにおける女性のヴェール着用が、80年代以降自発的な形で復活していったことを取り上げる。著者によればこれは宗教的なアイデンティティの模索であるとされる。

     だが、ここで用いられている「近代」とはなんであろうか?著者はごく当然のことのように(そしてここに私も異論はない)、西洋社会が辿った近代化を唯一の近代化への道筋とする「単線的近代化論」を否定し、その上「近代化」を「世俗化」や「工業化」といった諸要素に分解し、それぞれの文明・社会によって近代化が包摂する概念は異なるという「複線的近代化論」を採用する。これは一見、イスラーム社会の近代について考えるにあたり、適当なものであるようにも思える。

     だが、本著内で用いられる近代とは、ウォーラーステインのシステム論が西洋近代世界の分析から始まったように、明らかに西洋社会に端を発した近代概念を念頭に置いているように見える。そしてその概念自体が西洋の歴史学・思想から生じたものであることを鑑みると、非西洋の工業化・世俗化段階にたいして「近代」という用語を用いるのは適切なのだろうか。

     我々が問題とすべきなのは西洋的近代を善と悪、文明と野蛮の物差しとして考える西洋文明中心主義であって、「近代」と西洋社会を結びつけること自体を否定すべきではない。一方で、世俗化や極初期の工業化への
    兆しは、非ヨーロッパ社会の一部でも見られた。これをその地域の「近代」への一歩と解釈すべきだろうか?当然答えは否であり、「近代modern」という語に潜在的に潜む西洋の発展類型への依存により、そうした運動は「近代」ではない。そして日本やトルコに代表される西洋の文物を吸収しようとする運動は、「近代」と呼称されるだろうし、すべきであるし。いっそ「近代」という語を捨て、まったく新しい社会変動、変化の類型として当時のイスラーム社会を捉えることはできないのだろうか。

  • そもそもイスラーム主義の定義は何か?社会学からのアプローチがなされています

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著者プロフィール

1949年生まれ。博士(社会人類学)。東京都立大学人文学部,同大学大学院社会科学研究科で社会人類学を学ぶ。国立民族学博物館,東京都立大学人文学部を経て,2005年より東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授(2006-2009年まで所長)。2009年死去。
主な著書に,『イスラーム主義とは何か』(岩波書店,2004年),『近代・イスラームの人類学』(東京大学出版会,2000年),『異文化としてのイスラーム――社会人類学的視点から』(同文舘出版,1989年)などがある。第2回アジア・太平洋賞特別賞(1990年),第56回毎日出版文化賞(2002年),第22回大同生命地域研究奨励賞(2007年)など受賞,紫綬褒章(2008年)受章。

「2014年 『エジプトを植民地化する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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