- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004310587
感想・レビュー・書評
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う~ん、齋藤先生の本は、やはり「声に出して読みたい日本語」「読書力」以上のものはないみたい。本書は、たまにいいメッセージは飛んでくるが、全体には散漫で統一感・系統性がないのがとても残念。
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教採の過去問に出てきて気になった一冊。
いいこといっているんだけれど、同じことを何度も言っていてしつこい。読書が大事なのはわかるけど、押し付けているように聞こえてしまう。一見するといいことなのだが、再読すると「?」が浮かぶ。
教師を志望する学生の半数以上は大学入学時に読書の習慣がない。少なくとも人に何かを教える職業に就きたいと思っているならば、読書の習慣は最低限必要だ。自分自身が本を読まず学んでいないのに、教えたがるとすれば、それは本末転倒だ。学ぶことのプロフェッショナルであるからこそ、教える側にたつことができるのだ。(pp.5-6)
→最読書意外でも学ぶプロフェッショナルになれるのではないだろうか。
自由な個性を伸ばすということで教科の選択制がとられているが、私はそういう理論を信用していない。それが必要ないと高校生にどうしてわかるのか、ということだ。自分たちに物理が必要でないと、なぜ物理を勉強していない物にわかるのか。(p.27)
→では、戦争を経験していない人は、戦争が必要でないということはできないのだろうか。
このようなへんな理論で大人は子どもたちに押し付ける。それがよかったかはすぐにわからない。わかったとき、もしそれが失敗だったら、彼らは責任をとれるのか。その時には生きているかすらわからない。無責任だなー。
勉強するということの基本は、人の言うことを聴くことである。耳を傾けて我慢して聴くという心の構えが求められる。(p.37)
→書かなくても、この主張がおかしいことはわかるだろう。
私たちが公立の小中学校を国民の税金で賄っているのはなぜかというと、この社会を支えていくのに必要な基礎的な知識・能力を次世代に身につけてもらうためだ。(p.113)
→私たちの税金で賄っている、科研費で研究している人の研究はこの社会の役に立っているのかな?え?すべてが本当にそうと言えるの?
ついついひねくれて書いたが、いいことも言っている一冊だ。
(まっちー) -
教育に携わる上で必要なチカラ。若いときには売れず、今大学で教えることができるようになってこの職が楽しくてしかたがない、という実感がうらやましい。
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「教育の根底にあるのは、あこがれの伝染である。」
最初の方は、ふむふむ、うんうん、なるほど、納得!と読んでいたけれど、後半部分に差し掛かりふつふつと違和感が沸き起こり最後にはむかついた1冊だった。ていうか、この人は結局は机上の空論を掲げているようにしか思えない。
どこか荒れた小学校にでも行って1〜2年とか他の普通の先生と同じように雑用もやって、保護者の相手もして、それでもこの人の言うような教師像を実践できてからこそ、こういう教師が最高だ!ということを言ってくれ。
もし、この本をバイブルだと思いながら担任を持っている小学校教師がいたとしたら、その人は絶対に気付かないうちに子どもたちを傷つけているだろう。教師がどうのこうのという前に、もっとすべきことがあるのではないのか?こんなの研究者のエゴだ。と久々に怒り心頭にさせてくれた1冊。
私の仕事には役立ちそうな語句がいっぱいあったので★2つ。 -
教えることとはどのようなことか、その魅力について書かれている。ただ、とにかく何でも“〜力”という言葉にして説明するのが強引過ぎるきらいもある。
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導入部分はすごく惹かれ買ってみたのだが、
内容は自分にはあまり関係のないような話だった。