平安京遷都〈シリーズ 日本古代史 5〉 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312758

作品紹介・あらすじ

権力争いの結果、予期せず皇位について桓武は、皇統の革新を強調すべく二度の遷都を行った。以後長らく日本の都として栄えることとなった平安京。その黎明期、いかなる文化が形成されたのか。天皇を中心とした統治システムの変遷や、最澄・空海による密教の興隆、また地方社会の変化にも目配りしつつ、武士誕生の時代までを描く。

感想・レビュー・書評

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  • 平安時代は明治時代になって軟弱な貴族文化の時代と貶められた。代わりに神武東征や神功皇后の三韓征伐の古代が持てはやされた。正岡子規の「万葉に帰れ」も明治政府の風潮の影響がある。司馬遼太郎『坂の上の雲』では日露戦争の軍人と正岡子規を結び付けているが、その着眼点は合っていることになる。

  • 明治時代に「軟弱」と言われ、正岡子規も万葉集を重視しこの時代の古今和歌集をボロクソに言った。しかし、その後に繋がるものが多い。ウジ(次)からイエ(家)、武士の誕生、人から土地へと変わる税などなど。
    天皇は元服していないと務まらないという考え方からの転換期でもあり、幼帝が誕生した事で中継ぎになる女帝や何かとトラブルが多かった兄弟間の皇位継承が減っていく。これは天皇が機関化する始まりでもある。また、子供は神もしくは神の依代であるから、政治的に中立な存在が望まれ、摂政や関白の誕生にも繋がる。とは言っても、藤原氏が天皇の力を簒奪したわけではなく、あくまで行政面のみ。
    政治システムの変更は内裏の変更にも繋がり、形を変えていく内裏について触れられているのも興味深かった。
    仏教面では、最澄や空海が登場。なぜ前者の天台宗から多数の鎌倉新仏教が生まれたのか?空海の真言宗が最初から完成されたものであったのに対し、天台宗は未完成であったがゆえ広がる可能性を秘めていた。

  • 菅原道真の遣唐使中止建言が大陸との決別と国風文化の隆盛を招いたと昔の教科書は書いているが、それ以降も民間レベルでは貿易は続き、貴族もそれを利用して大陸の文化を摂取し続けた。平安時代は大陸との交流が、その後の日本に影響を与え続けた端緒の時代だろう。

  • <目次>
    はじめに
    第1章  桓武天皇とその時代
    第2章  唐風化への道
    第3章  「幼帝」の誕生と摂政・関白の出現
    第4章  成熟する平安王朝
    第5章  唐の滅亡と内乱の時代
    第6章  都鄙の人々
    おわりに

    <内容>
    まず大変読みやすかった。文がすんなりと頭に入る。次に、平安時代を新しい研究を基にきちんとまとめてくれている。教養書としてレベルが高い。
    授業で使いたいフレーズが多くあった有益な本だった。

  • 平城京から長岡京を経て平安京に遷都された頃から、10世紀の終わりあたりまでの日本史を解説した書。天皇家の皇位継承をめぐる紛争や文化の発展など。平城宮の時代に、案件の決裁をもらうために、担当者が朝堂院の弁官の決裁をもらい、大納言の決裁をもらい、さらに右大臣・左大臣の決裁をもらい、最終的には天皇の決裁をもらうという慣行があったことに感動する。現代の起案の決裁と同じではないか!などと職業病ですね・・・

  • 本書は桓武天皇による2度の遷都から10世紀の終わりまで、いわゆる平安朝の時代を対象としている。平安朝の特色は明治まで続く日本文化、とくに貴族文化の枠組みがつくられた時代であった。著者はその原因として宮廷の構成原理が私的なそれを中心としたものから公的なものへと変化してきたこと、イエや家職が成立してきたことと関係すると論じる。

    また天慶の乱を契機に成立してくる武士について、職能制的武士論の立場を筆者は採る。「武士とは一種の殺し屋でありながら、武力を必要とした都の人々に、眉をひそめられながらも用いられた必要悪であったといえるであろう」(187)と述べられている。

  • 中学高校ではさらっと習った事が、詳細に綴られていく。これまでの巻の天皇中心の記述に比べ、蝦夷の反乱や仏教者の動き、武士の起源などに触れていて、単調にならない膨らみのある内容になっていた。

  • 明治天皇は、もともと白粉を塗り、お歯黒をつけていたことをアーネスト・サトウが目撃しており、孝明天皇が、描き眉、白粉、頬紅、口紅をさして、お歯黒をつけていたことも、イギリスの外交官ミッドフォードが証言しているという指摘が興味深かったです。明治天皇の像が、作為的なものだったことがわかります。
    また、次の指摘も興味深かったです。平安時代には、しかるべき地位にいれば誰でも天皇になれたのであり、天皇の「機関化」といってもさしつかえない。
     そして、次の指摘は納得できます。「称徳天皇以来、近世まで女帝は出現しないが、その背後には、幼帝の出現も大きく関係していたと思われる。」

  • 桓武天皇による長岡京遷都、平安京遷都から、平安時代~10世紀までを記述。この時代になると、もう古代というよりは中世のにおいがプンプンとしてくる。それだけに、現代との直接的なつながりもあり興味深い。

    天皇の存在は、格式で規定され機関化された。さらに、政治機構が整ったため、天皇が実際に政務をとる必要がなくなった。その結果、幼帝が出現するようになった。天皇機関説は平安時代から存在したということか。

    古代の豪族支配の名残だった郡(評)の長が試験採用となり、中央支配となって在地豪族が消えた。しかし、国―郡―里制における税収が成り立たなくなった。これを捨てて国司受領制という間接支配に切り替えた。(ちなみにこの「受領」が現代の「受領証」に引き継がれている

    租庸調を中央が総取りして後、官費や俸給で分配することをあきらめて、必要分を証文(切下文)で代用させ自助努力で取らせるようにした。これが中世以降の「手形」に発展する。

    一方で古代から残ったものとして、匍匐礼、跪伏礼がある。中国は基本的に立礼。地べたに這って礼をするのは日本独特で、魏志倭人伝にも描写がある。桓武天皇はこの地べた礼を禁止したのだが、結局、現代まで残った。「土下座」も跪伏礼らしいです。

    他にもいろいろあるけど、かな文字とか、密教の伝来などは教科書にもあるので省略。

  • 9784004312758 223+6p 2011・6・21 1刷

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著者プロフィール

川尻 秋生(かわじり あきお)
早稲田大学文学学術院教授。日本古代史。
〔主な著作〕『古代東国史の基礎的研究』(塙書房、2003年)・『全集日本の歴史4 揺れ動く貴族社会』(小学館、2008年)・『シリーズ日本古代史5 平安京遷都』(岩波書店、2011年)・『古代の東国2 坂東の成立』(吉川弘文館、2017年)・『シリーズ古代史をひらく 文字とことば』(編著、岩波書店、2020年)

「2023年 『墨書土器と文字瓦 出土文字史料の研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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