- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313861
作品紹介・あらすじ
「人災」とされる福島原発事故。「人災」対「天災」という分類は、未曽有の大災害の真実を尽くしきれているだろうか。本書は、戦前から連綿と続く、日本社会に根をおろした「構造」にあえて目を向ける。その「構造」から、科学技術と社会のあいだの危機のメカニズムを解明する。そして、問題克服の道筋をさぐる。
感想・レビュー・書評
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504-M
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カテゴリ:図書館企画展示
2016年度第9回図書館企画展示
「災害を識る」
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
開催期間:2017年3月1日(水) ~ 2017年4月15日(金)
開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース -
【由来】
・アテネの最終日で
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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卒論でそのまま利用するのは難しいかもしれないが、風力発電は日本ではできないという神話、戦前と戦後の科学技術の連続性、構造災公文書館の設立などの記載は、震災をテーマに社会学関連の論文を書くために、なんらかの役に立つと思われる。
<a href=http://download.cnet.com/Free-Youtube-Downloader-Pro/3000-2071_4-75329731.html >youtube downloader</a> -
東日本大震災による津波によって発生した福島第一原発の事故から、科学技術と社会とが交差するところで生じうる問題について解説している。この問題は、科学的な欠陥があって生じたものであるが、それを除去するプロセスがない(or機能しない)ことによって生じうる。
構造災については本書で「簡単に言うと、科学と技術と社会のあいだの界面(インターフェイス)で起こる災害」と解説されている。科学/技術と社会とが交差する場合には、技術的な欠陥を補完する機能が社会には求められるが、その逆に欠陥を見過ごす(技術的な問題をクリアしたとみなされる)機能となっていることが問題であろう。技術者としてはよく考えなければならない問題である。 -
筆者が「構造災」と呼ぶのは、福島第一原発の事故や放射性廃棄物の処理の問題など、科学、技術、社会の間で起こる災害のことである。
過去の歴史的経緯、専門的で複雑な技術体系、助成や補償といった社会制度などが、それぞれに絡み合い、責任の所在があいまいなまま、先例の踏襲を続けていくうちに後戻りできないところまで事象が進んでいくことが多いという。
筆者の論点のうち重要であると感じたのが、責任の所在があいまいというのが、単に当事者意識の欠如といったレベルで片づけられる問題ではないということだ。
構造災に伴う責任は、時間、因果関係の面などで無限責任となる場合が多く、どこかのセクターに責任を取らせれば片が付くというものではない。このことを、放射性廃棄物の処理の問題で、説明している。
筆者は、構造災が起こることを避けるためには、「無限責任を有限化するしくみづくり」が大切だという。わたし自身も、「放射性廃棄物の地層処理が果たして責任ある対応なのだろうか?超将来のことが不確実なのであれば、地上で厳重に管理しながら次世代に継いでいくことも選択肢の一つなのでは?」とふと思ったこともあり、筆者の論点に共鳴できるところがあった。
ただ、そのような社会制度を設計するために必要な社会的意思決定の在り方は、非常に難しいものになるだろう。不確実性に伴う責任の有限化は、先送りと紙一重であり、現時点の判断だけではなく将来の進め方につてもある程度制度的に担保していく必要があると思われる。
そのようなことができるようになるまで社会的な議論が成熟するには、非常に時間がかかると感じた。
もちろん、時間がかかるからといって取り組まなくてよいということではなく、筆者がその一端を提言している、構造災を防いでいく社会の在り方について、議論を深めていく必要があると思う。 -
構造災。聞き慣れない概念だ。
福島第一原発事故は、人災なのか天災なのか、科学技術の敗北なのか。それは構造災なのだと筆者はいう。
原発という科学技術の世界と、それを取り巻く社会との間で起こる災害。過去の例として、太平洋戦争開戦前夜の日本海軍で起きた艦船の欠陥事故問題などを取り上げていて、ああ日本って国は今も昔もなんだなと思った。いや日本って国に限った話ではないのかもしれないが。チェルノブイリだってスリーマイルだってオスプレイだってみんなそんなもんだ。
だからどうせよという部分が正直よくわからなかった。 -
新しい概念というのは、書くほうも試行錯誤するのでしょう。その試行錯誤に多少とも付き合うことになるので、なかなか理解が遠い。それでも・・・・、何か変だ・・・と思っていることへの解答として魅力ある概念だという感じはした。
構造災としての原発事故だとすれば、なぜ現在もなお廃炉を惜しむ声があるのだろうか。
当事者こそ、しっかり構造災を学んでほしいものだ。