読んじゃいなよ!――明治学院大学国際学部高橋源一郎ゼミで岩波新書をよむ

制作 : 高橋 源一郎  鷲田 清一  長谷部 恭男  伊藤 比呂美 
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316275

感想・レビュー・書評

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  • (高橋)書いた当人が全部わかっているうちは駄目だって荒川さんは言っていました。書いた当人も分からない。当然読者も分からない。でも、気が付くと読者が先に分かったりする。これが面白いのだと。(p.59)

    (鷲田)学長室のドアや机も学内の木を切って作ってくれたし、料理の巧い人も冷蔵庫にあるもので作る。あり合わせのもので作るというのが芸術家はもともと巧いんです。そして、ここで大切なのは勘なんです。普通ならごみ箱行きみたいなものでも、あ、これ使えるって。学問をしている時でも、日常生活をしている時でも、その勘っていうのがすごく大事で、これ行けるとかこれ使えるっていう感覚がないとダメです。(p.66)

    (長谷部)憲法学者に良識があるのかというと、私はあるとは断言しにくいのですが(笑)、これは良識があるかないかというのは、事実の問題というよりも、良識って要するに我々人間がいつも一人ひとり日々考え、判断していることです。人間っていうのはそういうもので、どう行動するのか、どう生きていくのか、職業の選択から、例えば今晩の晩ご飯は何を食べようかということに至るまで、理由に照らして考えるものですね。理由に照らして考えるという活動のことです。それが良識に訴える、良識に戻れということです。(p.196)

    (伊藤)日本語で詩を書く人たちに、小説でもいいけど、本当に言いたいのはね、現代の同世代の、日本語のものは、あまり読み過ぎるなってこと。そうすると、今やっている表現をスタンダードにしちゃうんですよ。私たちが見ているのは違うの。小説だったら、誰だろう。マルケスとかさ、ギュンター・グラスとかさ、フローベルとかさ、ドストエフスキーが同世代だと思って、それを読みながら、今の時代を感じてそれを表現する。もし才能があれば行けますよ、のし上がれる。才能がなければ駄目だよ。でもそういうものだから。(p.309)

    (伊藤)誰でも自分の生活から大きな存在のあったものがいなくなる時には、それを感じる。それは悲しいかもしれない。でも、長い目で見た時に、死というのは、プログレッションの一つだから、生きているところからつながっていくもので、悲しむべきものじゃないと思うんです。
     うちの母が死んだ時なんて、ああ、よく生きたって思ったもん。女が一人死んだのを見届けた。次は私だって。(p.329)

    (あとがき)高橋ゼミには「ことば」が大好きな人が多い。私もそのうちの一人だ。例えば「街で君に似てる人を見たよ。」は告白だと思うし、「会いたい」といわれるよりも、「こっちの今日の夜ご飯はマグロ丼。」と言われる方が会いたくなったりする。不思議だなぁと思う。私はそういう言葉の力のようなものが本当に好きだ。そしてそんな風に言葉を使うことができれば、それは「よりよく生きる」ことに通ずるのでは、と思っている。(pp.342-343)

  • 鷲田さん、朝日新聞の言葉欄の人だ。知識や思考の深遠さに驚く。
    長谷部先生、法律家なので一番身近な存在で、考え方も理解しやすい。
    伊藤さん、突拍子もないという一つの方。普通の人が真似したら大火傷しますね。

  • 志高く、学ぼうと集まった、高橋源一郎のゼミ生達の熱気が凄い。
    岩波新書を学生と熟読し、作者と対話するという形式も面白い。
    先生として呼んでいる方々がどの方もさすがにオリジナリティーが高い。

    ところどころに、私自身が学生時代に感じた、サークル活動等で熱く狂信的な人たちのナルシスティックな雰囲気も思い出してしまった。少し排他的というか、のんびり他者を受け入れられないというか。まあ、志高いとそうなりがちなのかもしれないけど。

  • タイトルのつけ方は個人的には気持ち悪い感じはしますが。
    内容的にはとても面白い内容だったと思います。
    明治学院大の著者のゼミで実施された、岩波新書を読み込み
    その著者(鷲田清一氏・長谷部恭男氏・伊藤ひろみ氏
    の3人)とQAを実施するという内容。
    大学生は書籍を読まないという話があって、それが個人的な
    課題にも関連しているのですが、本当に大学生が本を読まないということが一般化されているのか?
    確かに読む人が少なくなっているのは、そうなのだろうと
    思いますが。もっと、この本のように、本を読むことの
    楽しさや、満足感などが、他の人にも伝わるような
    取り組みがほかの人たちにも影響して、本を読む人が
    増えていくような気がしました。

  • やっぱり源ちゃんならでは、の企画もの。
    色んな考え方、否定がないのが一番いい。

  • まるで、自分もゼミに参加しているかのような臨場感!
    三者三様のおもしろさでしたが、特に伊藤比呂美さんには脱帽でした!

  • 昨年12月11日から、延々読んでいたもの。つまらないと感じていたのかな。岩波新書に著作がある三賢人(鷲田清一さん・長谷部恭男さん・伊藤比呂美さん)に基調となる話をしてもらったあとで、質疑応答が進むという体裁。
    鷲田さんでは「アートが、生活が立ち上がるのに際してどうかかわるのかを見ていきたい」、長谷部さんの「戦争は、負けた方の社会契約が破棄されてしまうというもの」が心に残った。
    途中で挟まれている、大学生による「私と岩波新書」は、気恥ずかしくて読めなかった。

  • 高橋源一郎氏の授業を追体験できているような気分になれる本。
    岩波新書をその著者とともに読み解くという授業だが、この新書で取り上げられている著書はそれぞれ読み応えのありそうで、そのうち読んでみたいと思った。
    まずは哲学者の鷲田清一の「哲学の使い方」
    大阪大学総長時代から彼の発言には注目していたのだが、京都芸大の学長になり、さらに芸術に寄り添った発言が見られ、個人的に心強いなと思っていたところ。一度、実際に話を伺いたいと思う人。
    二人目は長谷部恭男の「憲法とは何か」
    普段深く考えることがなかった憲法について、9条のことや改憲のことも含めて考えるきっかけになった。
    三人目の伊藤比呂美の「女の一生」は強烈だった。
    彼女の生き様や、発言のスタンスが圧倒的で読んでいてハラハラさせられた。
    御三方の話も面白かったのだが、それぞれの授業で展開される高橋ゼミ生による質問に対するやりとりが面白く、僕もモグリでその授業に参加したかったなと思ったね。
    聴講生には正規の学生の他に「非正規」の、つまり卒業生や休学中の学生やその他諸々の学びに触れたい人たち、高橋源一郎氏と学びの時間を共有したいと思う人たちがあふれ、本書からもその熱気が伝わってくる。
    こんな授業に参加して見たいし、こんな授業をしてみたいと思う。

  • 編者が大学で教えるようになり、試行錯誤しながらたどり着いた教授法で、一冊の岩波新書を徹底的に読み込み、そしてその著者に来てもらい、議論をする中で、その本の「先の先」まで読もうという企画。著者は三人。鷲田清一、長谷部恭男、伊藤比呂美。それぞれの著者の味も出ながら、その著書の内容も深く掘り下げた議論で、ライブ感のある読み応え。実際に挙げられた本を読んで再読すれば更に深まる可能性大。

  • 頁数が多いのに「さくさく」読めた。
    面白かったし、わかりやすかった。
    伊藤さんは強烈な印象。

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