- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004317623
作品紹介・あらすじ
大勢の死者が出た東北大震災の後、著者は柳田国男が戦争末期に書いた『先祖の話』を読み返す。外地で戦死した若者たちの霊を思う柳田にとって「神国日本」とは、世界人類史の痕跡を留める「歴史の実験」場だった。柳田の思考の「方法」を見極め、ジャレド・ダイアモンド、エマニュエル・トッドらを援用した卓抜な世界史次元での「文学」と「日本」批評。
感想・レビュー・書評
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歴史は実験可能。自然選択という意味で。再現性を持つという意味ではない。ロシア革命や国際連盟の創設は社会変革の実験の典型。マルクスやカントの構想した理念。エスペラントの運動も実験例として挙げられる。フランスの反対で挫折したらしいが、自然発生では無い、人工言語の公用語化だ。
しかし、人間の営為が理念を裏付けにしている事を明らかにした時点で、行動は全て実験的側面を持つため、史実における実験とは、その規模感の相違が定義する限りではないだろうか。歴史的トピックスとして取り扱われた事象に対し、それを世界史実験と呼ぶべきかは疑問。日本の英語教育はそうではなく、エスペラントはそうだという取捨選択は、思考実験としてはただのジャンル分けという気がする。
しかし、考察は面白い。マルクスは商品が貨幣と交換される事に「命がけの飛躍」を見出すが、キルケゴールも神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、それをなし得ない状態を「絶望ー死に至る病」と呼んだ。マルクス的には売れなかった商品。同時代人の二人の視点。ヘーゲルの観念論的哲学の転倒とも結びつけるが、結局、受け容れられなかった幻想こそ認知共有における死であり、そこに信頼を託す様が命がけという表現にも思える。言語ゲーム、認知共有されぬ孤立した思想は、歴史を作らない。死というよりも、生誕の否定。個人的な妄想。
理念は社会的に受容された時点で実験として成立し、具象化し観察されれば、認知共有され歴史となるのだろう。それだけの事、という気もするが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2010年に『世界史の構造』を書き終えた柄谷行人が、柳田国男について考察した一冊。
第一部は「実験の史学をめぐって」と題され、主に柳田国男が戦前に発表した「実験の史学」の評価がテーマとなっている。柳田国男は日本各地での方言の共通性を調査することで、空間が離れつつも共通した歴史・文化が存在しているということを比較文化論的に示そうとした。しかしながら、その後で柳田はこうした探求のアプローチを取ることがなくなり、その背景にある彼の思想の変化と共通性を炙り出すのが第一部でのテーマである。
続く第二部は「山人から見る世界史」と題され、天狗や仙人として表象され、平野部の社会からは完全に途絶された世界を生きる”山人”に対する柳田国男の興味と、そうした表象をインドなど他国での表象と付き合わせつつ、その意味するところを探る論考となっている。
いずれにしても、柄谷行人と柳田国男、という取り合わせが個人的には意外であり、民俗史に関する独特の探求アプローチが面白い。 -
神さま、ご先祖さま、ありがとう!
私たちは
これまでの無窮の時間を紡いできた見えなくなった先人達と、
有機的なつながりを持って、親しく関わって今を生きているのです。
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本居宣長が見出した「古の道」は、
「作る」「作為」ではなく、「なる」ということ、「自然(じねん)」。
日本神話においては、中国と違い、宇宙や国を「つくる」という要素が存在しない。
「うむ」「なる」という要素が強い。
神道は理論ではなく、事実、人間が現実に生きている有様に見出されねばならないとし、
宣長は古の道を古事記に見出した。
古事記や日本書紀は大和朝廷による国内統治の正統性を示すものであった。
中国では、前代の統治は厳しく批判されたが、日本の場合はそうでなく、正統性は連続的で無窮であることに基づく。
ただし、この観念が確立されたのは、鎌倉幕府以降、大和朝廷の支配が終わり、武家政権の正統性を天皇に仕えることが不可欠となったからである。万系一世の観念が不可欠となった。
●平田篤胤の神道は幕末に討幕運動のイデオロギーを果たしたが、維新後五年に排除されることになる。
平田派が追及していた復古=社会革命は、徳川幕府の支配と結びついた仏教を批判。
神仏分離は徳川幕府の支配体制からの脱却を意図していたが、
明治五年、神道は国教化され国家機構の一端となる。
「信教の自由」が明記される反面、国家神道は「敬神」の対象であり、宗教的信仰ではないとみなされた。
そこで社会改革を目指していた平田派は排除されていく。
平田篤胤は単純に排外的ではなかった。欧米諸国のものを柔軟に取り入れることも神の心だとした。
平田は本居宣長の古道に飽き足らず、そこにないものをキリスト教から取り込む。
マテオリッチ『天主実義』を取り入れ、独自の本地垂迹説を唱え、
アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの造化三神を三位一体の神としてみる。
キリスト教の起源も、日本の神道が外に伝わったものであるという説をいい始める。
明治中期以降、キリスト教信仰は平田神道に近づいた。
日本古来の霊性を研究し、これを基盤としてキリスト教を土着化させることを模索した。
それは事実上平田神道の回復であった。
1941年に結集した日本基督教団もキリスト教徒として皇国日本の戦争と大東亜共栄圏を支持した。
●柳田國男は平田篤胤の国学を、「空なる世界統一論者」と批判。
柳田は飢饉の時、山奥で炭焼きの男が二人の息子に殺してくれと言われ、夕陽が指す中自らの子二人の首を跳ねた事件に深い絶望をみた。
飢饉のせいではなく、人々が互いに孤立している、人と人との関係の貧しさにあると。
ここから脱するには「協同自助」しかない。
トマスモアの『ユートピア』で描かれた協同自助は、実は日本に実存していた。
それは例えば木曽山林の平田神道派の運動であり、宮崎県の山岳部の村であったり、加賀一向一揆であったりした。
柳田の活動は理論を批判しつつも平田派に近かったとも言える。
柳田は、「村々における神に対する固有の現実の信仰」を明らかにすることによって、真の神道を見出す必要があり、そのためには民俗学が不可欠だと言う。
明治維新後の神道の国教化は、それを推し進めた平田派だけでなく、神道系諸宗教も弾圧した。
国家神道を他の宗教と同じレベルに置くことが禁止された。
意外なことにこれは皇室にとっても問題であった。
明治天皇皇后や大正天皇皇后は日蓮宗に帰依しており、昭和天皇皇后も戦時中にキリスト教の講義を受け、昭和天皇もカトリック信仰に近づいた。
神社合祀政策によって、小さな神社が廃されて、神社は行政手段とみなされるようになった。
二十万あった神社のうち七万が取り壊された。
氏神とは先祖霊の集合体であり、神社合祀は氏神を殺すことに他ならない。
神社は巨大化するだろうが、そこで祀られるのは国家であって神ではない。
小さな村の氏神、先祖神にこそ神道がある。
それが柳田のいう「固有信仰」である。
人は死ぬと、御霊になり、子孫の供養を受けて、一定の時間が経つと一つの御霊に溶け込む。
それが氏神である。
祖霊は故郷の里をのぞむ山の高みから子孫の家を見守る。
そして、二つの世界の往復は自由であり、招かれれば共に食事をしたり交わったりする存在である。
祖霊はどこにでも行けるにもかかわらず、生者の元から離れない。
祖霊は子孫がどのように振る舞うかとは無関係に無条件にひたすら子孫を愛し見守っているということは重要な点だ。
実は、一神教であるイスラム教、ユダヤ教、キリスト教では祖霊信仰は退けられていると考えられがちであるが、固有信仰に類似した信仰が根付いている。
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さっぱり分からない。私の知的レベルが低いのだろう。柳田国男の評論なのだろうか。タイトルの意味についてもまったく分からない。誰なら面白いと思うのだろう。国文学者?
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本書は、著者の創造性溢れる柳田邦男論とでもいおうか。第一部では彼の著作「実験の史学」を引き合いに考察を進める。歴史は実験できるのか?という問いに対し、自然実験も自然が実験をするのではなく、実際は人間による比較分析であることを挙げ、柳田の郷土研究はまさにこの視点に立脚していると説く。新渡戸稲造や藤村藤村にまつわる話が興味深い。第二部は「山人から見る世界史」とあるが、柳田邦男についてのアラカルトな試論か。著書名並びに第一部と第二部の関連性がいまいちピンとこないものの、内容そのものは興味深い。
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「世界史の構造」から深い感銘を受けていたので、深く考えずに本書を購入しました。結論は大変満足しています。毎回思うのですが、柄谷氏の論考は正しい/正しくない、という軸よりも面白さ、あるいは技量で評価すべきではないかと思います。私が思う柄谷氏の面白さとは、思いもよらぬ点を結びつける力です。本書の冒頭では柳田国男とジャレド・ダイアモンドを結びつけておられますが、この2人を結びつけられるのは世界で柄谷氏だけでしょう。その後も素人には予想もつかない分野の思想が新たに結び付けられて、柄谷ワールドとも呼べる立体曼荼羅的な世界観が繰り広げられています。その意味では、あたかもチベット密教の僧侶が多彩な色の砂を使って、地面の上に美しい砂曼荼羅をライブで描いている様をみている観光客のような気分といえるかもしれません(驚嘆のまなざしで、そういう模様が浮かび上がってくるのか・・・とみているような感覚)。
本書のなかで、柳田国男が陸の道だけでなく(識別不能な)海の道にも着目して文化の伝搬パターンを考えた、という点は特に面白いと感じました。インターネット全盛時代、つまり「電子の道」全盛の現在に照らすと、日本のアニメなどは簡単に物理的な距離を超えて伝搬し、日本語の単語も世界にひろまっているようです。そのような状況を数百年後の文化人類学者が発見したら、さてどう判断するのだろうと思ったりしました(あるいは高度なAIがズバッと伝搬経路を特定化してしまうのかもしれませんが・・)。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/721016 -
p.2019/2/23
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同じ著者の『世界史の構造』を読もう読もうと思いつつ未だ読まず。先にこちらを読むことにした。
内容は、著者のこれまでの仕事と柳田国男論について。
いずれも私の勉強不足でサッパリ。「ふうん、そうなんだ……」と知らなかったことばかり。
文章は易しく、分かりやすいのだけど、内容を理解できたかというと微妙。
『世界史の構造』を読んだ後に再読しよう。。。 -
本書でも言及されているが、柄谷の柳田国男への興味は1970年代前半にさかのぼる。当時大きな影響を持っていた吉本隆明の『共同幻想論』に対して、柄谷は違和感を感じていたこともあり、その観点で柳田国男を掘り下げようと試みたが、うまくいかなかったという。柄谷は、そのとき『柳田国男試論』という連載評論を書いていたが、その後『探求』や『世界史の構造』など理論的な仕事に向かったため、柳田への関心が薄れていったという。
その後『世界史の構造』で理論的方向での仕事にいったんの区切りを付けた後、2011年の東北大震災を経て柳田国男を再度扱う必要を感じ『遊動論』をまとめ上げた。しかし、まだそこでは柳田国男の「内的体系」をつかむところまではいくことができていなかったという。
そうした状況において、ジャレッド・ダイヤモンドの『歴史は実験できるのか』を読み、柳田の民俗学における自然実験という手法が、ダイヤモンドが紹介した手法と共通していると気が付いたという。そこで、柄谷は「世界史の実験」を語るにあたって、柳田国男の『実験の史学』という論文についてまず扱うこととした。
「柳田にとって郷土研究が重要なのは、それが人類史を見るためのベースとなりうるからです。したがって、彼が「郷土研究」というとき、それは郷土の特異性を強調することではまったくなかった。彼は地方的な事実に立脚しないような、普遍的な観念を疑ったのですが、同時に、彼は、ある郷土が特異であると考えるような「地方主義」を否定しました」
柳田の『蝸牛考』の方言の研究や、山人の研究はその印象とは異なり、普遍性につながるものがあるというのが柄谷の主張となる。
さらに本書の後半において、カントの平和論、デカルトの心身二元論批判「批判」、日本のイエ論、丸山眞男の「なる」「うむ」「つくる」という日本古層の概念、などを柳田の民俗学に絡めて語っている。
『遊動論』に比べると理解しやすい本だが、柳田国男に対する自分の理解度の低さや、論点が色々とあるため、なかなか読みやすい本とはいえない。そういったことから、少しのどに小骨が刺さったような感じがしたまま本を閉じることとなった。もちろんそれでよしとはせず、日本の思想史については丸山眞男『日本の思想』や柳田国男の著作などを読んで、いつかきちんと理解してみたいところである。
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『遊動論 柳田国男と山人』(柄谷行人)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/416660953X