陸海の交錯 明朝の興亡 (シリーズ 中国の歴史)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004318071

作品紹介・あらすじ

中華と夷狄の抗争、華北と江南の対立、草原と海洋の相克——明の時代とは、このような混沌とした状況に対する解答であった。第四巻は、一四世紀の元末から清が台頭する一七世紀まで、三〇〇年にわたる明の興亡を描く。中国社会の多元性・多様性に対して、一元化・画一化の力学がどのように働いたのか、その顛末がここにある。

感想・レビュー・書評

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  •  明朝というと、洪武帝が創業の功臣や臣下を何度もかつ大量に処罰し、皇帝専制体制を打ち立てたこと、甥建文帝から永楽帝が帝位を簒奪したこと、鄭和の大遠征、北虜南倭、前期倭寇・後期倭寇、秀吉の朝鮮出兵といった断片的なトピックとしての知識くらいしかなかった。

     
     著者は本書において、明朝の歴史的意義を次のように説明する。①中華と夷狄の抗争、②中国史を貫く華北と江南の南北対立、③草原を含む大陸中国と東南沿海の海洋中国の相克、この3つのせめぎ合いが、14世紀の危機において飽和点に達し、元明革命の王朝交代となったこと、そしてこれらの課題に一定の解答として出されたのが明初体制だとする。

     農業に基礎を置く社会と商業や経済的交流を追求する社会とは相当に違うのに、南北統一を成し遂げた明朝は何とか両者をまとめ上げようとした。そのために、郷村組織における里甲制の創出等、儒教による身分序列の固定化といった「固い体制」を作り、また、海禁=朝貢システムに基づく国際的秩序の構築を図った。

     しかし、世の中は変わる。その変化に対応できたのかが、後半の展開になる。300年近く続いたのだから、改革も行われ一定の適応はできたのだろうが、しかし、出て来る皇帝、出てくる皇帝、みんな酷い。

     史実の紹介も分かりやすく、皇帝の治世や施策に対する著者の評価や見解も適宜、コンパクトにまとめられていて、複雑な明朝の歴史を理解するのに、大いに助けとなった。

  • 「儒教的秩序」というのがどういうことなのかについての理解を深められた。自分には朱元璋みたいな人が一番の理想家のようにも見える。

  • 華夷、南北、陸海。その三つを強権により統合させようとした明初体制。しかし、強力なリーダーは初期のみで、後は暗君と佞臣のオンパレード。儒教理念に基づく統制や海禁=朝貢システムも、銀の流通などにより社会が流動化し、揺らいでゆく。
    火器に関する記述もあり興味深かった。中国で発明された火器が西アジアや西洋に伝播し、逆輸入されている。火縄銃に関しては日本のように精密に模倣できず、倭寇経由で伝えられている。また、秀吉の朝鮮侵略経由で新式鉄砲が明へ伝わる。

  • (後で書きます。略年表、参考文献リストあり)

  • 靖難の役(靖難の変)は明朝初期に燕王が建文帝に対して起こした内戦で、勝利した燕王が永楽帝となった。靖難は「君難を靖んじる」という燕王側の主張であり、君側の奸を除くという大義名分だった。結果は権力の簒奪であるが、最初は建文帝側が諸王の勢力を削ぐために、冤罪で諸王を削藩し、庶民に落としたり、自殺に追い込んだりした。これが問題であった。

  • 第3巻は明代史。第1巻では中華と夷狄の抗争、第2巻では華北と江南の南北対立、第3巻では草原を含む大陸中国と東南沿岸の中国との相克を描く。筆者は、明初はこれらをなんとか統一王朝に整理・収斂され、多様化・多元化にも一元化・画一化の枠がはめられた時代と説く。この体制はやがて弛緩し、破綻して清朝の時代を迎えるわけだが、筆者はこの極度に統制を強めた明初体制が、中国社会の体制的帰結として表れているとも指摘している。強固に統治しないと、多様性・多元性が頭をもたげ体制をあやうくするのだ。現代中国の体制の要因を、歴史的見地から見事にひも解いてくれているように思う。

  • このシリーズの中でここにきて在来型の王朝史的なスタイル。背景はあとがきで補足されているものの、流動性の高かった中国社会が急に「固い」明初体制になるものの結局は元に戻っていく経緯の、通史の中での位置づけが見えにくいかも。

    著者はこれまでのメンバーから比べると年配で、農本主義的(?)な語り口で少し路線が違う印象。

  • 明初体制は「固い体制」 だった。それは里甲制、身分・職業・移動の規制、現物経済の維持、朝貢一元体制などあらゆる面で国家が社会に規制をかけるものだった。この体制はそれまでの①中華と夷狄の抗争、②華北と江南の対立、③大陸中国と海洋中国の相克、これらを克服するのに必要だったのである。それは「近代世界システム」と異なる「中華世界システム」を生み出した。この明代に一つの画期を求め1巻丸ごとその歴史に充てる。そして明初体制とその後の経済社会の変化や北虜南倭との関係、明朝崩壊との関係が背景を含め、わかりやすく説かれる。

  • 中華王朝の特徴として本シリーズでは3つの対抗基軸があげられている。
    ①中華と夷狄、②華北と江南、③大陸中国と海洋中国
    この3つにまがりなりにもケリをつけたのが明王朝というわけだ。北の権力で豊かな南方を支配する体制だけど、経済と流通の発展が国のあり方を変えていくことになる。そして最後の中華王朝になるわけだ。けど北による南方支配って現代にもつながる仕組みだよね。それは明から始まったんだね。

  • これまで詳しくなかった明朝について、見通しを得た。
    モンゴル(元朝)の退潮後、どのように立て直すか?が課題だった明初。中国の秦に発する国家が社会をコントロールする流れ、それは見た目は儒家で、やっていることは国家の支配論理(法家)。これはおそらく現代の中国でも流れている、西洋の近代思想とは違う流れ。中間団体の存在を許さず、支配者と被支配者が直接対面する。
    気候の冷涼が終わり、社会全体が「銀」の世界的繋がり、貨幣経済の興隆を受け、社会の要請と、明朝の仕組みが不適合を起こし、対応できないまま、滅んでいく。

    大きな世界史的視点で言えば、モンゴルの時代=大陸の時代から、大航海時代=海の時代に力点が切り替わるタイミングだった。西洋は海に乗り出し、中国は内に閉じこもった。社会の発展具合から行けば、世界の先端を走っていた中国がこれ以降、近代への対応に苦労する原因となった。


    「内閣」という言葉がここで登場する。官の論理ではなく、皇帝の直属の私的部下という意味だったと知り、今の日本の内閣総理大臣の意味が違って感じられた。

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著者プロフィール

 京都女子大学文学部教授
 1950年生まれ。神戸市出身。中国近世史専攻。
 京都大学大学院文学研究科博士課程(東洋史学専攻)満期退学。「明朝専制支配の史的構造」で京都大学博士(文学)。
 堺女子短期大学、富山大学、京都女子大学助教授を経て現職。

主要論著
  『明の太祖朱元璋』、白帝社、1994年
  『明朝専制支配の史的構造』、汲古書院、1995年
  『永楽帝—中華「世界システム」への夢—』、講談社選書メチエ、1997年
  『東アジア海洋域圏の史的研究』(共編著)、京都女子大学研究叢刊39、2003年
  『中国人物列伝 第四講』(共編著)、恒星出版、2005年
  『中国の歴史・下』(共著)、昭和堂、2005年
  『中国歴史研究入門』(共著)、名古屋大学出版会、2006年
  『永楽帝—華夷秩序の完成—』講談社学術文庫、2012年

「2013年 『明代海禁=朝貢システムと華夷秩序』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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