- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004319436
作品紹介・あらすじ
およそ二五〇〇年前、古代ギリシアに生まれた民主政。順ぐりに支配し、支配されるという人類史にかつてない政体は、いかにして考え出され、実施されたのか。公共性を、一人ひとりが平等にあずかり、分かちあうことを基本にして古代の民主政を積み重ねた人びとの歴史的経験は、いまを生きる私たちの世界とつながっている。
感想・レビュー・書評
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”近代民主主義の基本が「代表する」ことにあるならば、古代民主制の基本とは何か?それは「あずかる」、あるいは「分かちあう」ことであると思う” p237
と本書で強調される古代ギリシャ人の政治参加のあり方に、とても共感しました。
「基本的人権」「個人主権」「自由意志」といった観念が形成される以前の人類社会のあり様を、近現代の視点から断じることが、いかに視野狭窄であるか。
”意思”や”権利”が個々人に根差すのではなく、世界全体(cosmos)のなかに根差しているという思想(理論的体系的にはその後のストア派の思想が参照される)が、今日の公共性、社会倫理を考えるうえで十二分に参照されてよいと思います。
本書で知った「アムネステイア」(「記憶の抹消」の意、英語アムネスティーの語源)という言葉が、とても印象に残りました。30人政権の恐怖政治の後、改めて共生の道を模索するなかで「大赦玲」に踏み切ったアテナイ。復讐の連鎖を断ち切るという非常な困難をともなう方法へ向かう人々の勇気を見いだせた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古代ギリシアの民主政に関する最新の入門書。最近の成果も反映し、時代の幅や地域の広がりにも目が向けられている一冊。これをまずよみましょう。
https://historia-bookreport.hatenablog.jp/entry/2022/09/27/084528 -
古代アテナイについての優れた概説書。
塩野七生氏の物語や伊藤貞夫氏の概説書をとおして、古代ギリシア史についてある程度知っている方が読むことにも耐えると思う。
(むしろ、そういう方こそ、今まで馴染んできた話との違いをとおして楽しめるかもしれない)
古代ギリシア史は、圧倒的な文字資料が残っているアテナイを中心にした記述にならざるをえない。その状況は、ここ数十年で考古学的知見が大量に取り入れられるようになっても変わらない。
そして、アテナイは、土地や人口の規模が類を見ないほど大きな都市国家であった。そんな例外的な存在をもとにして、古代ギリシアの全体像を描かなければならない。そのため、アテナイと古代ギリシア全体とをバランスよく見通すことは難しい。
しかし、本書は、古代ギリシアの民主政というテーマにおいて、それに成功しているように思える。
アテナイ民主政の成立にも影響したアテナイの特殊的例外性を考慮する一方、
アテナイにおける民主政のノウハウが他の都市国家に影響した考古学的な痕跡に言及して、古代ギリシアの他の民主政との関連も視野に入れている。
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民主政はどのように生まれ、発展し、消え去ったか。どんなしくみで動いていたのか。2000年以上も前に史上から消えたとされる民主政が、どのような形で近代に復活し、現代に至ったのか。研究成果を織り込みながら論考する。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40288887 -
【請求記号:231 ハ】
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現代民主主義のあり方に限界が来ているのは誰もが感じていると思う。今のやり方でいいのか?と。
そんな時代に引き合いに出されるのが、古代ギリシアの民主政だ。ここでは明らかに持ち上げ過ぎだけど(もちろん狙ってそう書いている)、現状の政治システムを見直す機運のきっかけになる一冊だし、そうなって欲しい。
ただギリシアの直接民主政って、そもそも参加できる人間が限られていたんだよねぇ。そこはあんまり知られてないけど。 -
古代ギリシアで民主的な政治が行われていたということについて柄谷行人を読んだときから非常に興味があった。古代イオニアにおけるイソノミア、そこは自由と平等が両立するユートピアのような世界だとイメージしていた。もっと詳しく知りたかった。本書を読んでイメージはがらっと変わった。なんともどろどろしている。暴力は多発していた。繰り返し戦争をしている。民主政から僭主政や寡頭政へと次々と仕組みは変わっている。それでも、2500年前に民主政は確かに存在していたし、存続させようとしていたのだ。不正行為が行われにくくする仕組みが巧みに考えられている。陶片追放などという仕組みがあったことは初めて知った。何よりも少数の人間に権力が偏らないようにと、持ち回りで政治が行われている。そして、本当に多くの人々が政治の場である民会に頻繁に集まっている。もちろん日常のこまごました仕事は奴隷に任すことができたという事情はあっただろう。しかしそれを差し引いても、よくまあ集まって議論をしたものだ。私も、今年度、自治会長をしているが毎月区の協議会に1時間ほど参加するのもおっくうである。他の人たちも、早く終わってほしいから余計な意見を言う人がいようものならみんな舌打ちをしている。そう、他人ごとだから興味もわかないし、楽しくもない。楽しくなければ続かない。だからきっと政治はもっと自分ごとで、議論が楽しい場でなければならないのだろう。大人数なので自分の意見を述べる時間はそれほどなかったかもしれない。きっと、何人か代表の意見を聞いて、近くにいる人といろいろ意見を交わしたことだろう。そうやって盛り上がるのがきっと楽しかったのだろう。祭り気分だったかもしれない。だから、月2回とかでも遠くから歩いてでもやってきたのだろう。さあ、ここで一つ疑問な点がある。それは、やはり最終結論は多数決で決められていたということなのだと思うが、結局少数意見は切り捨てられていたのだろうか。並行して「子どもたちに民主主義を教えよう」(工藤・苫野)を読んでいたので、その点が気になってしまう。それから、歴史的に見て、この古代ギリシアの民主政は否定的にとらえられてきたのだという。いわゆる衆愚政治ということなのだろう。ソクラテスを死刑に追い込み、プラトンが否定した民主政なのだからそれも仕方のないことかもしれない。しかしそれがここ数十年における考古学的研究によって覆されてきている。その事実こそが本書のおもしろさでもあった。著者は軽く見てきたように2500年前の様子を語っているが、おそらく相当多くの碑文と呼ばれるような文章を読み込んできた上での話なのだろう。そう考えると歴史研究というのも本当に大変な作業なのである。頭が下がる。