- Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006000967
作品紹介・あらすじ
ウェーバーの学問の今日的意味とは何か。彼は歴史=社会学的研究を通して、近代の合理化が系統的に価値を排除しつつ、イデオロギー的な寓話として審美的宗教やナショナリズム、原理主義を甦らせるというアポリアに立ち向かった。本書は合理化と近代的な知の問題系を明らかにするとともに、現代アメリカニズムの問題をウェーバーを手がかりに読み解いていこうとする試みである。
感想・レビュー・書評
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第1・2章では、ウェーバーの脱呪術化・合理化の概略が論じられる。また、文庫化に当たって増補された第4章では、ウェーバーの議論に基づいて、現代のアメリカニズムが批判的に検討される。
ただし本書の中心になるのは、『職業としての学問』を中心に、価値自由をめぐるウェーバーと同時代の思想家たちの関係を論じた第3章だろう。ウェーバーの立場は、新カント派を継承するものとみなされ、「生」(Leben)の立場を取る若い世代のカーラーらによって批判されることになった。しかしウェーバーは、カーラーの説く「真の生への道」としての学問は、幻想にすぎないと断定する。もはや学問は、「私たちは何をするべきか」「私たちはいかに生きるべきか」といった問題に答えることはできない。
ところで、ウェーバーのこうした学問観と、「厳密な学」の復権を図るフッサールの立場とは、錯綜した関係に立つと著者は述べている。フッサールは、心理主義や歴史主義などの性格を持つ経験的諸科学に対して鋭い批判を展開した。こうしたフッサールの立場は、ウェーバーの没価値的な学問に対する批判としての意味を持っているはずである。
フッサールは『厳密な学としての哲学』において、明証性の源泉としての純粋意識に立ち返り、本質観取によって彼の学問論を基礎づけようと試みた。さらに、晩年の『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』では、自然主義的な理念の衣に隠された「生活世界」にまで立ち返って、そこに沈殿している歴史性をたどることで、いっさいの学的認識を基礎づけようとした。
しかし、こうしたフッサールの立場は、なおヨーロッパ的人間性だけが普遍的学問理性を担うという発想を脱していないと著者は述べる。「厳密な学」の理念は、伝統的なロゴスの範型に「汚染」されているのである。これに対して、科学と価値が孕んでいる問題性を追求したウェーバーは、学問を支える「外部」に対して自覚的であった。その上でなお、脱魔術化・合理化の運命を見据えつつ「学問」の立場に身を置いて、価値評価を自覚的に禁欲することを選んだ。こうしたウェーバーの態度には、近代西欧の中心的価値を相対化し、諸文化圏を同位に位置づけようとする発想を見て取ることができると著者は主張している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初読ではまったく理解できず、久しぶりに歯が立たないものを読んだ。内容としては興味深いテーマなの再度読み込もう。
そして纏めのコメントにも拘る。 -
[ 内容 ]
ウェーバーの学問の今日的意味とは何か。
彼は歴史=社会学的研究を通して、近代の合理化が系統的に価値を排除しつつ、イデオロギー的な寓話として審美的宗教やナショナリズム、原理主義を甦らせるというアポリアに立ち向かった。
本書は合理化と近代的な知の問題系を明らかにするとともに、現代アメリカニズムの問題をウェーバーを手がかりに読み解いていこうとする試みである。
[ 目次 ]
序章 いまなぜウェーバーか
第1章 西洋的合理化の起源―「古代ユダヤ教」に即して(宗教史的「脱魔術化」;「事象化」と「同胞愛」 ほか)
第2章 西洋的合理化と近代の時代診断―「近代西欧」の意味像(「高度資本主義」と「時代診断」;神中心の世界像と事象化の精神 ほか)
第3章 合理化と近代的な知のアポリア(「職業としての学問」をめぐる相克;学問の危機と危機の学問 ほか)
第4章 アメリカニズムの倫理と「帝国」の精神(ロシアとアメリカ;アメリカ体験と「共和的な宗教」 ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
途中で断念。
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徹底したウェーバー研究とその後の見通し