「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)
- 岩波書店 (2012年2月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006002619
感想・レビュー・書評
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哲学
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【要約】
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【ノート】
・図書館岩波登録
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ポモは、それが学問として妥当であるかどうかについて専門家の間でも意見が別れるんで、凡人は深入りしちゃいけないしできない、才能のある人向けのものだと思っている。ソーカルの議論は興味深いのだが、引用されているところは読んでもわけがわからないので結局読み飛ばしてしまう。また、ソーカル自身もこの本は包括的ではないと言っているのだが、科学用語の濫用以外の観点から書かれたものもほしいと思う。関心があるのはむしろ人文学の科学性なのだが、ポパーとかみたいな科学哲学は、基本的に自然科学の話しかしていないのだし。
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原題:Fashionable Nonsense: Postmodern Intellectuals' Abuse of Science (1998)
著者:Alan D. Sokal
著者:Jean Bricmont
訳者:田崎 晴明
訳者:大野 克嗣
訳者:堀 茂樹
【メモ】
・訳者の田崎さんによるページ。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/
【目次】
日本語版への序文 [iii-xxiii]
翻訳について [xxv-xxvii]
目次 [xxix-xxx]
1 はじめに 001
この本で何を示すつもりか 006
それはそうだ、しかし…… 010
この本の構成について 025
2 ラカン 027
「精神分析のトポロジー」 028
虚数 038
数理論理学 042
結論 056
3 クリステヴァ 059
4 第一の間奏――科学哲学における認識的相対主義 077
独我論と極端な懐疑主義 081
実践としての科学 085
危機にある認識論 092
理論の決定不全性のテーゼ 106
クーンとパラダイムの通約不可能性 109
ファイヤアーベント――「なんでもかまわない」 119
科学社会学の「ストロング・プログラム」 130
ブルーノ・ラトゥールと方法の規則 140
実際的な影響 149
5 イリガライ 159
流体力学 165
数学と論理 175
6 ラトゥール 185
後日談 195
7 第二の間奏――カオスと「ポストモダン科学」 199
カオスと「ポストモダン科学」 199
8 ボードリヤール 218
9 ドゥルーズとガタリ 229
10 ヴィリリオ 253
11 ゲーデルの定理と集合論――濫用のいくつかの例 262
12 エピローグ 270
「二つの文化」の本物の対話に向けて 272
どうしてこんなことになったのか 281
政治的要素 292
なぜ問題なのか? 304
次は何か 310
参考文献 [81-106]
付録B パロディーへのいくつかの注記 [70-79]
付録A 境界を侵犯すること――量子重力の変形解釈学に向けて [9-69]
索引 [1-7] -
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784006002619 -
デタラメなパロディ論文がカルスタ雑誌に採用された事で、ポストモダン哲学に対する痛烈な批判となったソーカル事件。その反響を受け、現代思想の哲学者たちが科学用語をいかに誤用しているかを明らかにしたのが本作。間奏の認識論的相対主義に対する批判も含め、一貫しているのは知に対する誠実さなんだと思う。インパクトの強さもあり同書は読まれる事無く語られる事も多いのだが、やはりそれはソーカルの趣旨に反する行為なのだろう。しかし60年代フランスって何であんなに小難しいんだろうね。後半ソーカルさんも投げやり気味なのが笑える。
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本書で展開される批判に同意するとともに、そうした自身の感想というものの幾分かは、やはり哲学や社会科学の門外から、必要十分な訓練を経ない状態/良くも悪くもコオプタシオンを経ない状態で安易に足をつっこんで、その界に固有の歴史が成したところの概念の使用に(至当にも)困惑させられ挫折させられた、そういう経験から出ているのではないか、とも感じる。
またP.ブルデューやJ.ブーヴレスが彼らの著作のなかで「ソーカル事件」について触れているものを読むと、この「事件」の社会科学界での意義についてより多くを知りたいと感じる。 -
古典的名著。難解窮まる衒学的な文章が実際に意味不明でした!と解き明かしていくのいかにも小気味が良い。
ただ攻撃する著者をあれこれ変えてはいるが、基本的にやっていることは同じなので次第に飽きる。あとはポストモダニズムや真理相対主義の最悪の一面をことさらにあげつらっているのではないか、という疑念が。 -
文庫になっていたので今さら読みました。
大学受験時代、小○秀○が現代文の世界を席巻していて、過去問も例題も彼の著作ばかりで、そして僕は全く理解できなかった。そんな現状に対して自分の出した回答。みんな理解できないもんだから、凄いことが書いてあることにしているだけなんじゃ・・・?それと全く同じことが書き連ねてありました。曰く、裸の王様。もっとも、某氏の著作が裸の王様なのかどうかは別の問題ですし、それを判断するために、某氏の著述をもう一度読み返してみる気もないのですが。少年老い易く学成り難し。読みたい本はたくさんあるしね。
それにしても徹底的な批判というかいびり倒しというか。これに近い空恐ろしさは、デネットの「ダーウィンの危険な思想」を読んだ時にも感じたな。敵に回してはいけない相手。ただデネットの時と違って、正直、高校物理程度の知識しかない自分には、著者らの批判の正否を判断することはできなかったので、そこが悔やまれる。