認知症の人々が創造する世界 (岩波現代文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006032241

作品紹介・あらすじ

本格的な高齢社会到来で、認知症の人々は増えていくと予測されている。彼ら、彼女らは、どのような世界を創りあげているのだろうか。認知症の介護施設で、看護職の著者が出会ったお年寄りたちの暮らしを細やかに再現することにより、何を大切にしているのか、人間関係のありかたは、過去と今の生活をどのように結びつけているのかを解き明かしていく。

感想・レビュー・書評

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  • 認知症の人々はどのような目で世界を見ているのか…タイトルから興味をひかれ、読んでみた。
    看護学者である作者が認知症患者の施設の中で彼らと身近に接し、その中から見えてきた認知症の人々の世界について考察する。

    認知症の人々の言動がかなり細かく記録されており、臨場感たっぷり。
    仮名とはいえ、ひとりひとりにきちんと名前がついており、キャラも立ってる笑
    時にユーモラスに彼らの言動を紹介する作者だが、決して見下したような立場にはなく、常に彼らと同じ目線で関わり合っている。

    舞台となる施設の入所者は重度の認知症患者ばかりのため、その言動はかなり支離滅裂。もし自分の親があのような状態になったら、いたたまれない気持ちになるだろう…。
    しかし、作者は真摯なまなざしで、認知症の人々の本当の姿に迫る。
    私が新しく知ることができた事柄としては、

    ・子どもが大人になって親の思い描くのとは違う独自の世界を切り開いていくのと同じように、親ももう一度別な世界を生き直しているのではないだろうか。それが認知症という生き方であっても…
    ・仲間がいることの心強さと、仲間に縛られることの不自由さは、認知症の人々の世界も私たちの世界も同じである。
    ・他者を看ることは自分自身を見ることでもある。自分自身の内部をそっと覗いてみることが大事。人間の尊厳や生きることの新たな意味を見つけ出すことができるように思うからである。
    ・「いいお天気ですね」という日常的な挨拶をとってみても、それは意味を伝えようとしているのでもなんでもない。関係性の反映、ないしは創造なのであり、認知症の人々の「関わること自体への志向」の範疇に属する会話であることに思い至る。

    など。

    認知症の人々は、確かにものごとを把握する能力が衰えてしまってはいるが、その生きてきた証を端々に残しており、「他者と関わらずにはいられない」という人間の基本的な性質は、捨てようとはしない。いじらしくなるくらいに…。その結果、会話の内容は削ぎ落とされ、輪郭だけをなぞる形になるが、それでも認知症の人々は必死に自分の世界を作ろうともがいている。

    これまで認知症にはとにかく絶望的なイメージしかなかった。
    しかし、そういった一方的な見方に一石を投じてくれるドキュメンタリーに出会えたことを嬉しく思う。

  • 認知症って子供に戻っていくという表現をされがちだけど、その人がそれまで経験したことが一つ一つの行動につながっているということを理解して、丁寧に読み取っていく筆者の辛抱強さ、すごかった。
    良い意味で、個人的な感情や認知症の人個人に対する責任を持たない人だからこその視点だったと思う。

  • 精神病院内の認知症専門病棟に入院している患者に密着して、認知症のお年寄りの行動を観察し、分析した本。
    かなり重度の認知症の方々で、言葉が全く出てこなくなった人、自分の足と隣に座っている人の足の区別がつかなくなっている人、同じ棟に入院している他人を自分の伴侶と思い込んでいる人などなど。

    どんなに重度の認知症でも、病棟という限られた場所の中でも自分の居場所を自ら決め、色々な小さな諍いがあっても他者との距離間を上手に取りながら暮らしている。
    仲裁役がいたり、注意する人がいたり。でも、相手はそれを理解できなくて、堂々巡りになってしまったり。
    何かちょっとした騒ぎが起きると、野次馬根性が出るのか、「なに?なに?」的に集まってきたり。
    認知症でも、他者とのコミュニケーションを取りたいという気持ちは残るし、自分が若い頃暮らした地域や自分の仕事を病棟内に仮想に作り暮らしている。

    それにしても、この病棟はかなり認知症の方々が自由に過ごしている。そぞろ歩き良し。寝転んで良し。床を延々とスリッパでこすっても良し。全員が重度の認知症だということもその理由ではあるのだろうが、私の職場でこのような状況だったら、割合としっかり理解できるお年寄りから即、クレームがつくだろう。
    重度の認知症のお年寄りの気持ちも尊重しながら、そういったクレームにならないようにやんわりと介入する。
    そこのところが、職員としては難しいところ。

  • 看護職の著者の認知症での介護施設でのお年寄りたちの暮らしを丹念に再現することで見えてきたものについて書かれている。よくぞ丁寧に寄り添い再現してくれたと思う
    認知症というとどうしても自分でなくなる恐怖というものがあったけれど、こんな風に見てもらえたら、ケアされたならと少しは安堵はできた
    「人間という社会的動物」「虚構であっても自分の存在の確からしさの保障をもとめずにはおられないという人間の姿」というのが印象に残った

  • 「自分自身と向き合ってしまうことが、認知症の人々の介護にとってもとも根源的な困難さなのだと思う」と著者は言う。
    障害者、特に知的障害を持つ人々、自閉症児と関わる時の苦しさが実は「自分自身と向き合ってしまう」ことでした。
    この苦しさは何なのだろう・・・と常に思っていましたが、著者の言葉でうろこが落ちたようです。
    認知症の人と向き合う時、どうしても人生とは何なのか、生きるとは何なのかと自分につきつけてしまう。困難さは自らにあるということなのでしょうか。

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著者プロフィール

長野県看護大学名誉教授
1949年青森県弘前市生まれ。1970年日本赤十字中央女子短期大学卒業。慶応義塾大学通信教育部にて哲学を,弘前大学人文科学研究科にて文化人類学を学ぶ。日本赤十字中央病院,弘前市立病院にて看護師。看護教員,非常勤講師を経て,1993年北海道医療大学看護福祉学部教授。2010年長野県看護大学学長(~2014年)。現在,NPO法人こころ理事長。
著書:『身体へのまなざし;ほんとうの看護学のために』(すぴか書房,2015年),『精神看護という営み;専門性を超えて見えてくること・見えなくなること』(批評社,2008年),『痴呆老人が創造する世界』(岩波書店,2004年/岩波現代文庫では『認知症の人々が創造する世界』に改題,2011年),『回復のプロセスに沿った精神科救急・急性期ケア』(編著,精神看護出版,2011年),『高齢者の妄想;老いの孤独の一側面』(浅野弘毅と共編,批評社,2010年),『人格障害のカルテ〔実践編〕』(犬飼直子と共編,批評社,2007年),ほか。

「2021年 『統合失調症急性期看護学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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