- Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022505903
作品紹介・あらすじ
紀元前の中国から、源平合戦、戦国時代と乱世を経て、文化爛熟の上方へ…前世巡りに出た王子の旅の結末は?ブンゴー渾身の大作、感動の完結。
感想・レビュー・書評
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群像2009年7月号書評より
新潮2009年8月号書評より詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
神話の時代から続く王家に生まれたテツヒトは、その肩書きしかない立場の中、この国をなんとかする王として生きるために、そして人生の伴侶を得るために旅に出る。
それはいくつもの前世とその因縁をも巡る壮大な旅となる。
読むまではさぞかし気力のない王子なのだろうと想像してたけど、全然そんなことなかった。
王に相応しくなるために自分にできることを探し、前世への旅ではいくつもの困難を経て、めちゃくちゃ王たる資格があるやん!と思いつつ、物語としての楽しさはわたしにはあまり得られなかった。
テツヒトよりも個人的にはアレイ君のストーリーのほうが興味深く、面白かったな。 -
第一部だけ読んで投げ出すのはもったいない。
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(第1部と同じ内容です)
一国の王子が、下界に触れながら自分を見つめ直そうと出奔する。
世捨て人が集うホープレス・タウン周辺の人々との交流(第1部)から、4つの前世を彷徨う旅(第2部)へと、かなり色合いの違う内容で構成されている。
長い長い前世を巡るまどろみの旅の後、現世に戻ってきた王子は愕然とする事実を知るが、そこに一筋の光明があり、歴史が続いていくことを確信する。
1部と2部はどうつながるのか。
それは端的に、2部385ページ半ばに記されていると思う。
長いので引用はしないが、歴史は繰り返し、反復する、ということの示唆として、1部(現世)と2部(前世)の出来事が王子のなかで重なっている。
それでは、著者はなぜ4つの前世、具体的にいうと縄文時代、源平合戦時、戦国の天下人の時代、江戸末期を選んだのだろうか。
ずっとそれを疑問に抱えながら読み終えたが、その答えは、著者が朝日新聞の連載を終えて書いた一文に示されていた。
「歴史の転換点では、人々は過去の原則に回帰する。自分たちが独自の文化を立ち上げ、権勢をふるった栄光の時代に。日本は中華文明とは別の文化的理念を打ち立てた時代に回帰すべきで、徒然王子も旅した戦国時代に一つのモデルがある。また江戸時代はほかのどこにも類例のない文化を生み出した直近の過去である。源氏と平家が争った時代もまた中国との貿易利権を独占した一族に対する狩人の末裔(まつえい)たちの反乱だった。そして、日本列島の人々が他民族と違う文化を初めて築いたのは、縄文時代だった。」
時代の転換期にあって、「日本人とは何か」ということに強く思いを馳せることのできる過去へ、王子は旅する必要があったのだ。
そして、前世にあってそれぞれ姿や立場は違えど、王子は常に「弱き者」の側に立っていた。
日本人は本来、弱きを助ける優しさを持ち合わせているはずだ、というのが、本書の最大のメッセージだろうと思う。
ホ―プレス・タウンは現代の「公界」か?
「この町は人を原点に回帰させる場所なのかもしれない。人が本来あるべき姿をそっと諭してくれる聖地なのかもしれない」(2-p.385)と書かれているが、王子がそうしたように、いろんな精神的・物理的な装飾物を取り払って、一個の裸の人間として価値があるかどうか、多くの現代人は自らに問う必要がある。
と、こんな感想を書いているが、ふつうに読み物として面白い。
ブラックなユーモアも随所に効いていて、読んでいて全く飽きない。
信長をノブ、秀吉をヒデと呼ぶあたりが、聴覚にも新鮮で心地よい。 -
王子テツヒトは相方にコレミツを連れて、前世の遍歴へ。ファウスト博士とは違うが、自分探しの旅ではある。秦の始皇帝の時代に日本神話の此花開耶姫と岩長姫野物語をあわせて、那須与一に平家の落ち武者部落を、バテレンの通訳に千利休や高山右近、そして花魁と一揆。波瀾万丈の物語。最後の落ちが少し弱いというか、納得できなかった。
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前世とか生まれ変わりとか。三島由紀夫の「豊饒の海」を思い出しました。「仮面の告白」と「僕は模造人間」の関係??
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前世を彷徨い漂う徒然な王子の物語。
歴史を背負い、現代を生きていくことの重要さを教えてくれる書。 -
第一部はかなり後半になるまで、だらだらと読んでたんですが、第二部は、小説は、作り物とはわかっているんですが、「本当にこんな歴史だったんじゃない?」と錯覚してしまうような 歴史物語で、先を知りたくて、あっという間に読んでしまいました。
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世、への未練。