諏訪中央病院で地域医療にあたる医師が、医療者と患者との様々な関係を紹介しながら、その背景にある医療の問題について語った本。お医者さん向けの本かと最初思ったけど、コミュニケーション全般に言える話も多かった。特に医療の知識が無くても全然読めるし、堅苦しくないエッセイの様に読めた。医療って、難しいような、シンプルなような、面白い領域だ。
[読書録]====================================================
クオリティーオブライフという言葉があります。命の質とか、人生の質とか生活の質とかという意味です。死と向き合う患者に対してはQOLだけではなく、クオリティーオブデスということも考えて欲しいのです。
患者が、家族が助からなくても感謝されることもあるのが医療の凄いところである。良い医療が行われていると、救命できなかった時も「こんなにまで見てもらえてありがたかった」ト感謝される所が医療の医療たる所以なのである。
暖かな医療をやりたい医師や看護師がいて、暖かな医療を受けたいという国民がいる。なのに、暖かな医療がなかなか広がらない。
愛する人を病や事故で失ったとき、大切な事は逃げないこと。心の手当は、悩んで、泣いて、向きあうことだ。
コミュニケーションは言葉だけで成り立っているのではなく、言葉を発している時の顔つきも関係している。厳しいことを言っても、目が笑っていると、単に批判しているのではないと分かってもらえる。電話でも、ニコニコ話そう。見えなくても、声の色に必ず影響するのだ。
対話しながら笑いが出てきたら占めたもの。どんなにつらい話をしていても、わずかにニコッとでもできると、心のなかでは仕方が無いか、とか、なるようにしかならないなんて思いながら、自分の心が自分の心を支えだすのだ。一人で悶々と考えていても、この心の位置にはなかなか建てない。誰かいい聞き役が必要なのだ。
上から医師が患者さんを指導するという関係ではなく、医師と患者さんが水平な関係にいて、平たい場で同じ人間として病気と戦っていくことが、実は難しいが、望ましいのである。医師側も肩肘をはらないので、心が疲れなくなる。対等な関係というのは、医師の心も救うのである。
医学の進歩は目覚しい。なのに、国民の医療に対する不信や不満や不安はかえって募っているように感じられた。ピンチを脱出するための魔法の言葉を見つけた。「ありがとう」。医療者側も患者側も、もっともっと「ありがとう」を言い合ったらどうだろう。
雑誌や病院紹介ぼんで、腕のよい医師や有名な病院を取り上げているが、ほんとうに必要とされているのは、よく病室を訪ねてくれて、よく説明をしてくれて、よく話を聞いてくれて、よく質問に答えてくれる医師。
「神の手」などとズームアップして、技術だけを取り上げる今の空気は好ましくない。優れた技術を持ち、話を聞いてくれ、親身になってくれる、心ある医師を取り上げればいいのだ。そうすると、自然に国民が望むような医師が育ってくるのではないだろうか。