- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022512116
作品紹介・あらすじ
2006年に自由が丘で単身立ち上げた出版社「ミシマ社」。数々の話題書をつくりながら、東日本大震災を機に京都・城陽市にも拠点を開設。二拠点体制が始まる。はたして、その活動は、東京一極集中の限界を打ち破るのか?「衰退」と言われる出版産業を救う可能性はあるのか?3年間、実際に、「地方」で活動しつづけている著者による最新レポートであり、日本が抱える現実と「未来」の両方が浮き彫りになる体験記。
感想・レビュー・書評
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ミシマ社の代表の人の本。この人の『計画と無計画のあいだ』は前に読んだことがある。ミシマ社の本もいくつか読んでいる。
いまは京都市内に関西の拠点を移したミシマ社が、しばらくのあいだ、京都の城陽市に拠点を置いていたことはなんとなく知っていた(ミシマ社のメルマガかウェブマガジンか、どっちかで読んだのだと思う)。知り合いの空き家をオフィスにしたそこで、「ミシマ社の本屋さん」という、靴を脱いであがりこむ本屋を開いた話を読んだときには、(えらい遠そうやけど、ちょっと行ってみたいなあ)と思ったものである。
そこで「お客さん」つまりは「読者」と出会ったミシマさんは、気づきを記している。
▼恐ろしい話だが、そのときになってようやく気づいた。それまでは、「読者」の顔を知らずにただ本をつくっていたのではないか……。そんなふうに考えると、顔のない何万人という記号のタワーが、いつもぼくの前にそびえたっているように思えてきた。(p.50)
この本屋さんが儲かるわけではなかった。それでも、本を「つくる」から「届ける」までの距離のなさに、ミシマさんは「ぼくは本づくりとは別種の喜びをおぼえずにはいられないでいた」(p.54)という。
そんな喜びを、"城陽レポート"に綴り、各地で城陽をアピールし、「東京という場を離れてもやっていくことができる!」(p.62)と張り切り、日本の大半と同じように"ふつう"の地である城陽で出版社をやる意味を宣言したミシマさんだったが、突如、天啓のように「京都市内にオフィスを移そう」という絵が浮かぶのである。「京都の街中にオフィスがあることで、有象無象がぐるぐる回り出す映像をはっきりと見た」(p.64)そうだ。
この急転換の着想のあとに、ミシマさんは"城陽レポート"に書かなかった現実を記す。
▼──ひとりのお客さんも来ない日々。来ない電車。著者の方との打ち合わせをたった一人ともおこなえないで終わる一週間。調べものがあっても街中へ出るのに一時間…。自由が丘メンバーとの情報共有の困難さ。切れる音声、切れるスカイプ映像。切れるぼく。
城陽レポートに書くことはなかった事実が次々に目に浮かんだ。(p.64)
続く章では、どうして城陽だったのだろうかと振り返っている。その中でも、デジタル依存度がどんどん高まっていった話は、5年近くのあいだ在宅で一人で仕事をしていて、遠く離れた同僚との情報共有のむずかしさにいらだつこともあった私には、わかるなーーと思えた。
▼…東京にいたときのように同業の人たちと繁くは会うことのできない環境で、気づけばぼくのデジタル依存度はどんどん高まっていた。ネットマガジン、ブログ、ツイッターをのぞく回数が増え、自由が丘オフィスのメンバーは当然のこと、社外の人たちともスカイプミーティングを頻繁におこなうようになった。
しかし、自由が丘オフィスしかなかったころのぼくは、会社のメンバーに「パソコンオフタイム」を推奨していたのだ。午後から夕方まではパソコンを開かないように、と。パソコンの前にどれほど長くいても、真に生きた仕事にはなりにくい。座って、画面を眺めているだけで時間はいくらでも過ぎていく。けれど、長時間その前にいることで生産性があがるわけではない。むしろ身体はかたくなる。パソコンは使うべきときに集中して使う。その時間をできるだけ少なくして、人と会う時間を大切にしよう。
ぼくの指摘はまちがっていなかった。城陽で自ら証明した。距離が離れているため、必然、これまで会っていた人たちとの時間を、デジタルでのやりとりで済ますことが多くなった。というより、そうせざるをえなくなったのだ。そうして、ぼくの身体はかたくなった。生きた情報からはほど遠い、記号の情報にふりまわされ、いつしか、生きた仕事を失っていた。(pp.100-101)
この城陽体験の話と、もうひとつおもしろいと思ったのは贈与経済でやっていこうというミシマガジンの話。ここを読んでやっと気づいたが、私が読みはじめた頃には「平日開店ミシマガジン」と名乗っていたミシマ社のウェブマガジンは、リニューアルして「みんなのミシマガジン」になっていた。
お金のある人だけがアクセスできるメディアにしたくない、だから課金制にはしない、老いも若きも富める者も貧しき者も誰もがいつでも閲覧できるところにネットの革新性があったはず、だからネットの読みものは無料でありたい、その無料を維持するために、ミシマガジンは「贈与経済モデル」を採用する。
サポーターを募り、サポーターから運営費をいただき、ミシマ社がウェブ版を編集・制作する。毎日なんらかの読みものが更新されていき、その月の最終日に「編集後記」がアップされて完成する"月刊誌"だ。サポーターには、この"月刊誌"の「紙の完成版」を、心からの贈り物として送る。
だが、サポーターから集まる運営費だけでは、とても紙版の印刷費まで出せない。そこで、製紙会社と印刷会社にも「贈与」をお願いしにいって、それが実現するのだ。金銭を介さずにつくることで、お金との交換で出す本とは違ったことが起こる。
商業出版と贈与経済と、その両方をやっていくことで、商業出版だけではみえてこないことが、浮かびあがってきたりするんちゃうかなーと思う。
城陽移転から始まり、違和感をキャッチして急転換した経緯があって、本のしまいのほうでミシマさんはこんな風に書いている。
▼編集やメディアの役割は、よく誤解されがちなのだが、「発信」ではない。くり返すが、あくまでも「媒介」である。自分発信に走ればかえって主体は遠ざかる。自力で全てを動かしてやろう、そういう自意識ほど自然からはるか遠い行為はない。
編集者的身体とは、揺れ動く生の日々のなかにあって、なお主体をけっして手放さないでいるための感覚だ。…(略)…編集者的身体には表現力は必要ない。ただ真っ白になることさえできれば十分だ。…(略)…自分の身体が真っ白になれば、いろんなことが見えてくる。(pp.257-258)
そうやって見えてきたことを書いたのが、この本なのだろう。
(4/25了)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
結論的な趣旨は良いと思うのだが、ちょっと観念的すぎて好きになれない文章です。著者の苦闘の道筋を、自分自身のために忠実に記録していこう、という意向であるのだろうが、こんなにページ数を費やして出版する意義があるのかな?
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p.2020/11/6
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ミシマ社の三島さんが考えた事。
創業から数年。
〝地方〟に拠点を設けたり、様々な人達と出会ったり、資金難に直面したり。
その都度考え、辿りつく境地とは。
たぶんに感覚的。でも腹に落ちるまで読んでいたいと思わせる。 -
主体的であろうとする姿勢に強く共感する。
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ミシマガサポーターをしているので、オフィスの移転は知ってはいたのですが、こんなに逡巡されていたとは・・・と驚きました。
城陽市から京都市内への移動は単に社屋の賃貸問題なのかと勝手に思っていたので。
自分自身がバスも電車も時刻表など気にしたことがなく(5分待たない)、それが当たり前だと思って育ちました。
現在は都内まで電車で1時間弱、最寄駅は無人駅という地方に暮らしています。時間によって最寄駅では自分しか乗降しないことも珍しくない暮らし。都内の職場から帰ってくると「しーん」と空気が澄んで心底ほっとします。
ただ、これは職場が都内で、その途中にも何でも揃う地方都市があるから成り立つ暮らしなのかとも思っています。
なので三島さんが城陽から移動された理由にとても共感を覚えました。まっすぐ京都市内に落ち着かれた以上に、城陽市でのひとときが三島さんとミシマ社にもたらすものがあったのではないかと思います。試行錯誤を経て進むミシマ社のこれからがますます楽しみです。 -
今って使い捨て、簡単便利なものが多すぎ。
でもなんか、不便って良いって思う。 -
2014/12/10
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「ぼくは日本一楽しい仕事をしている」といいきる三島さんの著書。
ミシマ社の設立から、城陽オフィスの設立、京都市内オフィスの設立まで。そして、ミシマガジンをめぐるドタバタ劇。
こんなに場当たり的な経営(といえるかも怪しい)なのに、こんなに明るくて、自身の思想をきちんと貫いているのは、三島さんほんとうにすごい。自分が生きていくうえでのいろんなことに対して、余白というか、未知の部分を持っているのはほんとうに大切。「不安定であること」をここまで楽しんでいるひとは、なかなかいないと思った。
読んだあとは、すがすがしい気分にさえなった。いい読書体験でした。