砂に埋もれる犬

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022517937

作品紹介・あらすじ

貧困と虐待の連鎖――。母親という牢獄から脱け出した少年は、女たちへの憎悪を加速させた。ジャンルを超えて文芸界をリードする著者の新たな傑作予定調和を打ち砕く圧倒的リアリズム!小学校にも通わせてもらえず、日々の食事もままならない生活を送る優真。母親の亜紀は刹那的な欲望しか満たそうとせず、同棲相手の男に媚びるばかりだ。そんな最悪な環境のなか、優真が虐待を受けているのではないかと手を差し伸べるコンビニ店主が現れる――。ネグレクトによって家族からの愛を受けぬまま思春期を迎えた少年の魂は、どこへ向かうのか。その乾いた心の在りようを物語に昇華させた傑作長編小説。

感想・レビュー・書評

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  •  重い、重い…苦しい読書になりました。総ページ数、約500ページ…分厚いっ!!図書館から借りてきたけれど、一緒に借りてきたどの作品より気合いを入れて読まないと読み切れないかもと感じていました。

     主人公は、母親からのネグレクトにより、母親の連れの男性からの暴力に怯え、日々の食事にもありつけず、絶えず空腹で、お風呂に入る、選択した洋服を着るなどの当たり前の生活を送れていないがために、学校でも友達もできない小森優真…。幼い弟ともに空腹に耐えかね、コンビニで廃棄されるお弁当をわけてもらっていた…。こんな生活から抜け出したと、逃げ出した優真は児童相談所から施設、その後、コンビニ店主が里親となることになった…。理不尽な暴力や日常的な空腹に陥ることはなくなったが、あたりまえの生活を送ることに慣れていない優真…新しい生活にも馴染めず、心はすさんでいく…。

     エンディングが、少し未来につながるような希望の持てるものでほっとしました。でも、これ一歩間違えればバッドエンディング…!母親の亜紀…亜紀も母からの愛情を得られなかったこともあるけれど、でもここまで、できるのか…!!愛されて育つことを知らなかった優真、これから少しずつでも自分は1人ではない、力になってくれる大人もいるんだと、頼っていける子供らしさを持つことができますようにと願わずにはいられません。

  • 桐野夏生先生にしては珍しく最後の最後に(本当に)わずかに希望が見える終わり方であった。

    日常に潜む闇やマイノリティに対する冷徹なまでの目線は先生の得意とするところであり、本作でも徹底されている。

    大変読みやすく一気に読めるが、心はずっとざわついたまま、どの様なエンディングを迎えるのか予想もつかず、、

  •  読み終わってから一週間以上経つのだけれど、感想を書こうとすると手が重くなる。。。
     「貧困と援助」
     文にすると短いけれど、、この本では、
     ‘’手助けする側の、『この人(子)を救おう』という気持ちが純粋であればあるだけ、疲弊していく‘’
     そういうところが書いてあるのが苦しい。
     困っている人を助ける、そういう社会であってほしいと思う。そして、その「困っている人(自分が助けた人)』が『善人』だったらいい」っていう、その押し付けがましい希望を、いつの間にか持ってしまっていないか。
     そういう考えが堂々巡りをしてしまう本です…
     
     物語は、暴力、ネグレクトを受けて育った優真という男の子、その回りの大人たちが描かれている。

     よかれと思って助けた子どもが、法に触れることも厭わず、恐ろしいことをしたら、あなたはどうしますか。
     ぜひ、読んで考えてみてほしい。

  • 優真は本来は小学生であるが、学校に通わせてもらえない。優真と父親の異なる弟は、母親の亜紀が男のところに転がり込むのに連れられて男のアパートに住んでいるが、母親と男は2人の面倒を見ずに遊び歩く毎日を過ごしている。ネグレクトと虐待、食事も満足にとらせてもらえない優真はコンビニ店長の目加田に売れ残った弁当をもらったりしながら生き延びている。
    その後、優真は施設に引き取られるが、中学生の年齢になった後、目加田夫婦の好意により、里子として目加田夫婦に引き取られる。しかし、それまで「普通の暮らし」をしたことのない優真は、中学校の同級生とも目加田夫婦ともにうまくいかず、徐々に溝が広がっていく。

    虐待やネグレクトにあった子供達は、例えば、この小説の優真のように里子として引き取られ、一見、苦労のない暮らしが出来るようになっても、周囲と溶け込めない。虐待やネグレクトにあった子供達は、虐待にあっている間、苦しんでいるだけではなく、子供の頃に普通の躾をされておらず、また、常識を身につけていないために、なかなかうまく暮らしていけないのだという小説の筋書きであるが、そうなのだろうな、と思う。それが、周囲と溝をつくっていく原因の一つにもなる。
    お風呂に入ったり、歯を磨く習慣が身についていない。クリスマスを家庭で祝うことを知らない。年越しそばを知らないし、お年玉が何かも分からない。そういった小説の中の一つ一つのエピソードによって、この小説はリアリティを増していく。
    また、優真の母親の亜紀も、亜紀自身の母親から、虐待・ネグレクトを受け、同じような育ち方をしていることが小説の中で明らかにされていく。だから、亜紀自身も、普通の躾を受けていないし、常識が身についていない。だから、優真にそれを教えることも出来ない。貧困と虐待は連鎖するのだ。

    読み進めるのがつらく感じるくらい、救いようのない小説だった。
    小説の最後の場面、感情を爆発させた優真は、泣きながら「どうしたらいいのか、わからないよ」と叫ぶ。それに対して、里親の目加田も「ごめん、お父さんもわからない」と泣きながら答える。
    貧困、虐待の連鎖は社会問題だ。おそらく、それで苦しんでいる子供達は数多くいるはずだ。そして、この小説にも登場する児童相談所の係官のように、あるいは、里親になろうとする目加田夫婦のように、現場でそれを食い止めたり、子供達を救おうとしている人たちも多いはずだ。しかし、それがうまくいっているとは限らないし、そもそも、貧困と虐待の連鎖の根本を絶つにはどうすれば良いのか。そういったことに対して、「わからないよ」と筆者も言っているのかもしれない。

  •  主人公(優真)が幼い頃に受けたネグレストが、如何に悲惨だったのかが窺える作品。
     桐野さんは、この作品に限らず、問題の本質を鋭い刃のようなタッチで抉り出す筆力は読者を虜にする。
     著者は、何故子ども(幼児から中学生)の感情を赤裸々に書けるのか?短絡的な理屈もあるが、小説に登場しない一般の子どもたちの心情さえも浮き彫りにしているのです。小森優真は、母親(亜紀)から嫌われていた。

     疑問に思うのは、母親が我が子を嫌うなんてあるのか?と。
     
     付き合っていた男性は、過去二回堕胎させ、三度目の妊娠が分かった時に亜紀を捨て逃げたのだ。お金がなかったから産み、その男からⅮⅤも絶えなかった、と書いている。優真は私生児となった。

     生まれた優真は、やがて成長し、あの男と似てきたからという理由で母親が殴った。そのとき亜紀は、十七歳だった。それでも子どもを亜紀の母に預け遊んでいたという。二人目の男と出会い、二人目の子どもを産んだ。

     物語は、優真がいつもコンビニの弁当と惣菜売り場(レジ横)に一人でいるところ店長から話しかけられ始まる。
     過去に神奈川県R市に住んでいた頃、友達のゲーム機を黙って家に持ち帰り、友達の親から激しく抗議された関係で、小学校に行けなくなった。

     そして見知らぬ男と母親がほとんど寄り付かないアパートに引越し、兄弟で住んでいた。そのアパートも男のアパートだ。引越し前、母親が要らない物を処分し始めた。一応、亜紀が確認したけど、ランドセルも処分された。翌日やっぱりランドセルは!と思いゴミ捨て場を探したがなくなっていた。
     
     亜紀は男と出かける際、食べ物を置いていくが、一日で食べてしまう量だ。本能のまま、兄弟が空腹との闘いが始まる。お金がないから電気・水道・ガスが止められるのは日常のこと。浴槽には母親の荷物が入っていて使えない。着替える服もなく毎日同じ服で薄汚い。頭も身体も臭く匂う。亜紀が家を空けるとき、仕事で帰れないと優真に言い訳をしていたが、実はゲーセンで一日中遊び、ラブホで寝ていたのだ。そこまでは典型的なネグレクトの顛末だと思って読んでいた。

     しかし、問題は、そこではないと思う。著者が本書に書いています。

     小説は四章に分けて構成されている。三章目を読み終えたとき、段々と事件が明るみに出そうで、単なる読者であるにもかかわらず怖くなってきた。

     四章目に、桐野流「鋭い刃」が炸裂して恐怖が予想された。怖いもの見たさで読むのではなく、問題の深さを問う作品だ。

     解決は難しいかもしれない。しかし何が問題か分かれば、きっと解決できる。
     読書は楽しい。

  • ほぼ500頁にも及ぶ作品ですが1日で読了してしまった!ことほどさように強烈な内容ですね。これでもか と突き付けてくるDVとネグレクトの嵐に翻弄される幼い異父兄弟の境遇に胸が詰まるのですが、徹底して救いの無い展開になっているので一体どこまで続く泥沼か!と暗澹とした気持ちになるけど緊張感もリアルに伝わってきます。悲惨な結末が間違いなく待っていると匂わせておいて大ラスにちょっと曙光が射すのが上手いなあ!
    兄弟の母親の終始徹底したいい加減さはいっそ小気味良いくらい、私は勘弁してほしいけど!
    近年増えているネグレクトの事案、作者が実は怒りをぶつけたいテーマだったのでしょうか?!

  • 貧困と虐待の中で踠き続ける子どもに救いはあるのか…と思わせるほどの圧を感じた。

    一体誰が、この子ども達を普通というカテゴリーの中に再生させることができるのだろうか?

    基本的な最低限度の生活をすることが普通とするならばこの子ども達は母親以外に誰に何を望むのか?

    自分で自分を変えていくにはまだまだ難しい子どもに何をすれば救われるのか…。

    とても重い内容だが考えさせられることが多かった。

  • 「砂に埋もれる犬」桐野夏生
    いやあ〜分厚い494ページ。夢中で読んで昨晩夜中に読了。
    読んでいて、ずーーーーっと辛いのだ。しかし目を逸らすことが出来ず、ページを捲り続けました。
    貧困と虐待の連鎖、ネグレクト…容赦なく描かれます。

    自身もネグレクトを受けて育った亜紀は目の前のことしか考えられず、語る言葉も持たない。その周りの男も滅法酷い。まともに育ててもらえてない兄弟は、お腹がすいたことしか考えられない。
    時折、TVで報じられる、子供を放ったらかして死なせてしまった親のニュースを思い出します。鬼の所業だと思うけれど…現実に日本で起こっていることなのです。

    ちょっと横にそれますが、私自身は、赤ちゃんというのがとてもとても好きで、これ以上可愛いものはこの世にないのでは?と思うくらい。他人の赤ちゃんでも可愛いと思い抱きしめたくなる。しかし、そいういう感覚自体が、自分自身がどう育ったかに由来するのだと、改めて思ったのでした。

    日本にいて(私はド庶民ですが)貧富の差はあれど、いわゆる「普通」に生活している…と思っていても、こういう作品を読むと、理解できなくとも、こういうネグレクトの現状を知るだけでも大切なことなんじゃないか、それに関わってる人達のことを想像するだけでも大事なんじゃないか、そんなことを強く思いました。

    家族からの愛を受けぬまま思春期を迎えた少年の魂は、どこへ向かうのか。ラストはある意味、やはり、桐野さんらしい終わり方ですが、ラスト10行で泣きそうになり、ほんの少しの光が見えた気がしました。人生は続くのです。誰だって、良いことと悪いことは順繰り…ラストのその先に小さくとも希望があれば…と思いながら読み終えました。

    印象に残ったところ少し。
    ーーーーー
    親の庇護がない子供は、何と危険な海を泳いでいるのだろうと思う。溺れてしまう子も多いことだろう。一方で、手厚い介護がなければ生きていけない、めぐみのような子供もいる。子供という期間は、生物にとって最も危険な時期なのだ。

    「親」であることが難しいように、「子」であることも難しいのかもしれない。特に「子」である、という人生の始まりを、うまく送ることができなかった優真には。
    ーーーーー
    サラサラっと読めるのに、やっぱり桐野さんは凄みがある。やめられません。


  • ネグレクト、貧困、児童虐待の中で育った
    主人公(優真)は母親を捨て児相に保護された。

    児童養護施設を経て里親に引き取られ
    死ぬほどの空腹や寝床の心配は不要になるが、
    自分でも解らない飢餓感と孤独に苛まれる。

    家庭による生活レベルの差や常識の違いは
    人の数だけあるだろうけど、主人公が幼少期に
    辿った生育環境による意識が一般でいうところの
    常識からこれ程までにかけ離れてしまうのかと
    読んでいて驚かされました。

    想像を超える壮絶な生育期を過ごすことは、
    精神面の成長にどれだけの暗い影を落とし、
    影響を及ぼすのか胸にズンと重くのしかかる
    物語でした。

  • 主人公の小森優真と母親の亜紀は共にネグレクトで育っている。繰り返される悪のループを止められる術はないのかと暗澹たる気持ちになった。空腹に耐えかねた優真と弟に、賞味期限のお弁当を与えたコンビニ店長の目加田は、やがて優真の里親になる。目加田は優真の行動に不安を抱えながらも、更生させようと妻と二人でがんばるのだが、何かが違うのだ。問題はそこじゃないのにと歯噛みしたい気持ちに何べんか襲われる。目加田が優真にイラつきながら教え諭している言葉が、きれいごとを並べているように表現してあるのは、作者の意図するところだろう。でも、普通に育った自分も含め善意を持った多くの読者も、きっと同じ視点に立っていると提起しているのだろう。だからこそ無力感に襲われるのだ。

    読後に本書のタイトル『砂に埋もれる犬』が気になり検索した。
    『砂に埋もれる犬』はスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが製作した絵画で、ゴヤが自宅の壁に描いた「黒い絵」シリーズの一作。悪意にあらがおうとする人間の無益さを象徴している、というものだ。黒い傾斜の部分は流砂、大地などを表わし、犬はその中に埋もれつつある。自由になろうとする試みも実を結ばす、今となっては決して起こらないと知りながらも、ただ空を見上げて奇跡を待つほかない。画面に大きく描かれた空は、この苦境における犬の孤独と無力さを強調してあるという。
    桐野さんは『あがいてもあがいても、虐待のくびきから逃れられない優真のイメージ』が、ゴヤの絵に重なったと語っていた。

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著者プロフィール

1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で「江戸川乱歩賞」、98年『OUT』で「日本推理作家協会賞」、99年『柔らかな頬』で「直木賞」、03年『グロテスク』で「泉鏡花文学賞」、04年『残虐記』で「柴田錬三郎賞」、05年『魂萌え!』で「婦人公論文芸賞」、08年『東京島』で「谷崎潤一郎賞」、09年『女神記』で「紫式部文学賞」、10年・11年『ナニカアル』で、「島清恋愛文学賞」「読売文学賞」をW受賞する。15年「紫綬褒章」を受章、21年「早稲田大学坪内逍遥大賞」を受賞。23年『燕は戻ってこない』で、「毎日芸術賞」「吉川英治文学賞」の2賞を受賞する。日本ペンクラブ会長を務める。

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