- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022518132
作品紹介・あらすじ
埋もれがちな教育現場での性犯罪──かたくなに事実を認めようとしない学校、周囲からの誹謗中傷、弁護士からの揺さぶり……。苦悩しながらも声を上げ続けた被害者家族の記録から、性犯罪に対する社会の構造的課題が浮かび上がる。
感想・レビュー・書評
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知的障害児に対する性暴力
「聖者の行進」思い出す
再交付できる現行制度のおかしさ
一審無罪の無情さ
再審での逆転一部有罪
やってると思うけど証明できないから無罪って
社会的にはガッツリ有罪だと思うんだけど
強調するのは「無罪」だけ。
はしょりすぎやろ。
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国立女性教育会館 女性教育情報センターOPACへ→https://winet2.nwec.go.jp/bunken/opac_link/bibid/BB11519106
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女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000057293
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読むのが辛い本だった。自分の子どもに同じようなことが起こったら自分はどうするだろうか、と考えながら読み続けた。教師からの性暴力と関係者の非誠実な対応によって、本人と家族が何年も裁判で戦い苦しみ続けている姿に胸が潰れる思いがした。教育現場も過重労働と人材不足で疲弊しており、子どもに寄り添う余裕がないことも背景にあるのではないかと考えた。
しかしそれ以前に、障害を持つ子を定型発達の子どもとは異なる「劣った存在」としてみなすこの社会の差別意識が問題の根幹にあるのだろう。この本を読んでから、「こうした状況をどうにか変えたい。自分には何ができるか」と考え続けている。 -
「きょう、タカギにおっぱいぎゅうされた」
七夕の金曜日、帰宅した特別支援学級に通う6年生の次女が訴えた
そこから次々と明らかになる担任教師による性的虐待と暴力の実態
しかし学校も教育委員会もまともに取り合ってくれず、やむにやまれず被害届を提出する
逮捕、証言、刑事裁判、控訴、民事裁判……
知的障がい者の人権を守り向上させるために多大な犠牲を払って闘った被害者家族
七年にわたる長い長い闘いを母親を一人称にした文体でつづった記録、2022年3月刊
「どれほどひどいことをされようと、どんな屈辱を受けようと、どんなに人権を蹂躙されようと、障がいを持つ者の証言だけでは、今の日本では無罪か、事件にすらならないのです。つまり、日本を知的障がいを持つ人たちにとっては地獄そのものです。今も日本のあちこちで、恐怖におののきながら、声を上げずに虐待を受け続けている知的障がい者がいるという悲しい現実があります。私は聖子をもう二度と悲しい目に遭わせたくないのです。」
結審の日の父の意見陳述に声も出ない
教育関係者、法曹関係者が襟を正して読むべき一冊
著者は朝日新聞の記者
長く携わる政治取材では権力を厳しく追及、2018年9月から2年間は新聞労連の委員長も務める -
こんなにも読むのが辛い本は初めてだ
こんなにも自分が怒る事ができるんだと初めて知った
読み進めるうちに明らかに体調が悪くなっているのを自覚する程である
とういことは実際の被害や二次被害に会われた当事者のそれは図り知ることができない
読んだらフラッシュバックを引き起こすかもしれないが、かといって隠すのではなく、同じような事件が起きない為にも多くの人の目に触れて欲しいとも思う
学校や教育委員会の隠蔽体質には怒りしかない
当人以外の親御さんが自分の子供が通う学校の評価が下がることへの拒否感がわからないではないが
もしかしたら被害者は自分の子供であったかもしれないと想像してみたなら同じ反応で済ませただろうかと尋ねてみたい
被害者とその家族が孤立させられ引っ越しや通院
さらには転校まで追い込まれるとか、こんな社会
狂ってるとしか思えない
刑事訴訟での判決が見えた瞬間に本を閉じ
フラフラと辺りを歩き続けた
衝撃だったしこの国が嫌いになった -
被害者母の一人称視点で、対加害者、対学校、対行政交渉経緯、裁判経過が語られる。
一人称語りは、読みやすさに寄与しているのは確かだが、公平性等を考えると全体的な方法論として奏功しているかは疑問。
題名に「性暴力」とあるが、内容の半分以上が裁判経過であることを考えると、本書のもう一つの、あるいは真の中心は、(未成年の)知的障碍者の証言能力問題。題名あるいは副題に反映するのが読者への誠意ではないかとも思った。
今の日本の裁判制度で考えると、刑事事件で無罪だったのは、検察の無能さが原因。当然、無罪=無実ではない。
無罪=無実の裁判を実現するには、特に刑事事件については、新しい法体系が必要なのでは、と感じた。