- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022518866
作品紹介・あらすじ
ウチダ先生はコラムを書く時、「この文章は今から10年後でもリーダブルだろうか」と自問しながら書いている。連日塗り替えられる時事問題をどれだけの人が記憶しているか? 「AERA」連載の書籍化第3弾。コロナ、東京五輪、旧統一教会問題、安倍氏国葬など。
感想・レビュー・書評
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夜明け前が一番暗い
以下、引用
未来予測をするのは当たった場合に自分の治世の順調な機能を言祝ぐためではない。外れたときに自分がどんなデータを見落としたのか、どんな情報を過剰評価したのか、主観的願望が状況判断にどれほどバイアスとかけたのか点検するためである。 P18
私たちは自分の利口さを誇示するのと同じ程度の努力を、自分の馬鹿さを適切に開示するためにも向けるべきなのだ。 P19
無作法と批評性は相関しない。 (中略)。依頼、人の文章を読むときには、「批評的でありながら礼儀正しい言葉遣いができる」かどうかを読む基準としている。P33
己の人生が須臾であることを、生涯をかけて踏破しうる空間が芥子粒ほどのものであることを知ったことから、人間は知性的・感情的・霊的成熟をはじめた。人間性なるものを基礎づけたのは、実にこの広々とした時間意識なのである。 P57
人々が「たがいに分離し、敵意をもつ小集団がはびこる」さまのことをオルテガは「野蛮」と呼んだ。それに対して、「文明」とは「敵とともに生き、反対者とともに統治すること」だと高らかに宣言した。(中略)国民国家というのは「利害を共にする人々から成る政治単位」という政治的擬制である。たしかに擬制ではあるが、この定義を放棄したら国民国家は維持できない。(中略)文明的であると言うのは「敵と、それどころか、弱い敵と共存する決意」を宣言することである。理解も共感もしがたい不愉快な隣人との共生に耐えることである。だから、文明的であることは少しも愉快でないし、効率的でもない。そういうのは嫌だという人たちは理解と共感に基づいた同質的な小集団を分裂していくだろう。だが、繰り返すが、オルテガはそれを「野蛮」と呼んだのである。アメリカは「文明」と「野蛮」の岐路に立っている。 P170
最後の引用文は、非常に含蓄がある。最近、社内のダイバーシティ&インクルージョンイベントで、各々が話す機会に接することが多いが、「偏見を壊す」にはというお題目で、女性やミックスの面々が「実際に差別を受けた経験」について滔々と語っていた。さらに、女性管理職が少ないことについて、「結局のところ、女性でしかわからない育児の悩みなどもある」という形で締めくくっていた。仰っていることは十分に理解できるし、男性は男性で女性に対してステレオタイプを無くすべきであると思う。しかし、解決策じみたものが「実際に差別を体験してみないとわからない」というものになってしまうのは、正直なところあまり建設的ではないと感じてしまう。個人的に、「女性の生活や見られるという感覚を経験してみなさい」ということは理解できるのである(実際のところ、女性からしてみても私の理解は不十分であろう)が、その論理は、結局のところ、女性に不利益なヒエラルキーの評価軸を、そのまま「差別を受けた経験をしているか」という軸に切り替えただけで、「差別を受けた経験をしていない人」を低位に位置づけてしまうような危険性があることも考える必要がある。私はこの危険性をもって建設的ではないと申し上げるのである。そうした場合に、やはり上記の文章にあるような理解も共感も絶した他者とどのように関係性を結んでいくのかという内田老師が追い求めるレヴィナスの教えに立ち戻るのではないかと思う。ダイバーシティ&インクルージョンに関する問題提起や提言について、理解や共感にその基礎づけをすることの危険性はもう少し議論されてもしかるべきであろう。(残念ながら、どのように差別を認識するのか、理解も共感も絶しているのに、どうやって私たちの苦しみを知ることができるのであろうかという疑問に対しての解答は未だ持ち合わせていない) -
久しぶりの内田樹先生の本
親離れの話が面白い -
領域を考えよう テクノロジーじゃ無い気がするなあ
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内田節が満載で非常に楽しめる本だ.特異な情報源をお持ちのようで、一般には触れることのない貴重な話が随所に出てくるのが素晴らしい.トランプ時代の記述があったが、あのような人物を選ぶアメリカ人の気持ちが理解できないが、日本人も得体の知れないアベを選んでいたのだから同じようなものだと思った.続編を期待している.
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ほとんどが一度どこかで読んだ話だと思うのだが、何度でも読みたいのでそれでいい。
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あとがきに書かれた“多くの人が強く願うことは実現する”社会、そして「僕らがやっていること、とりあえず世界標準ですから」と言える社会、その「僕ら」の中に自分が少しでも関わっているこれからの残りの人生が送れたら、幸せだろうな…