- Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022613257
感想・レビュー・書評
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「編集」の大家、松岡正剛氏による「編集工学の入門書」。
私も含めて、「編集」ということばがなにを意味するかそこまで考えたことがなければ、「映像つなぐことでしょう」とか「どの記事をどう載せるか決めることでしょう」とか思うのが普通だと思う。無論、そうじゃないよ、というのが本書。
「私たちのアタマの中でおこっていることの多くが偏執的であり、私たちのコミュニケーションの本質そのものに編集的なるものがひそんでいるのである。」
(あとがきより)
私が一番感銘を受けたのは、編集の視点を歴史に持ち、「経済を『交換行為を媒介にした財とサービスの編集プロセス』と捉えなおす」という提言である(p.
130)。
そしてまた、「<情報化>と<編集化>を一体化するための経済文化の技術は、むしろ『弱さ』をベースに設計されるべきではないか」ともいう(p.150)。
2011年現在の今見ると、「SNSを予見していたいのか」、などと安直にも思ってしまうが、多分話はそう単純でもない気がする。
SNS時代は、ことさら「今」「未来」を神輿に担ぐ傾向が強い。それが良い悪いということじゃなくて、「過去」、歴史の中に見出せる人間活動の本質を掬いだした上での情報のあり方の変化かどうかが問われているように思う。
そういう意味では特に生物、ヒトについての学問が明らかにしつつある知見をどのように「ノンリニアで言語思考」な人間と組み合わせるかということを考えたときには、松岡氏のような知の大家には今後も活躍を続けていただきたいと思うばかりだ。
知のクリエーションはリーダーが先導するものだと思うのである。 -
*編集中
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情報が情報を呼ぶ。
情報は情報を誘導する。
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だからこそ、
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情報の連鎖の中にいかに入っていくかということ、そこにこそ編集の秘密が待っているのである。
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編集とは関係の発見をすることであり、人間の知的営みそのものであると説く松岡正剛の編集工学のエッセンスが詰まった一冊。
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コンテンツの「奥」に思考や連想や身体感覚があることは、そこに「人」がいるということだ。
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人間は対話によって、学んでいくのである。
正剛さんはそれを"対話的かつ遊び的"とする。 -
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【要約】
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【ノート】
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人間は目で物事見ているのではない。
目は光を受容し、映像として変換しているだけである。
脳で、記憶で、経験で物事を見ている。
幾多ある記憶を管理するためには、個では存在できず、
情報はある程度にまとまっていく。
それは脳の中だけではない。
世の中の全体に言えることで、
人が介在している以上は、自然が介在している以上は、
そのまとまりはどれもどこか似ている。
(以下抜粋)
○分節化は文法に先行する。指は数に先行するのだ。(P.71)
○記憶の再生というのは
「外からやってきた情報が自分に似たカテゴリーやプロトタイプをさがす」という
プロセスなのだ(P.118)
○まず、連想ゲームをはじめてみよう。
ついで、自分が子供時代に熱中した遊びを思い出してみる。
その遊びには、おそらく私が本書でのべてきた大半の編集の秘密が隠されていたはずだ。
ついで、自分の知識の何かの部分を取り出して、分節化をしてみたい。
そして、その文節を何か別の情報簿ジュールと対応させてみる。
虫が好きであるのなら、虫の分類を雲の形態分類用語と照らしあわせてみることだ。
洋服が大好きだというなら、
ファッション用語を経済用語や音楽用語の分節性と比較してみることだ。
あっというまに編集のコツがわかってくるだろう。
その次は、きのう一日の出来事を何かのよく知っている物語とつなげてみたい。
そのうえでその逆に、
アンデルセンの童話のひとつをきのう一日の出来事にあてはめてみるとよい。
もうすこし余裕があるのなら、気にいった映画を二つとりあげて、
その二つのストーリーや場面を対照させてみることだ。
いかにふたつが関連しているか、驚くにちがいない。(P.321) -
編集。世の中のすべてのことは編集で…っていうのは、ああそんな考え方もあるのか…って感じ。でも、メディアとかは、編集することで新たな虚偽(誤解って言ってしまえばそこまでだけど)をうむこともあるよね。だし、編集では語れないような実体験をうみだすこともできる。そういう意味では、編集っていう言葉には"こわさ"もかくれてるよね。ぴんときたようなきてないような感覚。このレビューは編集なんだろうけど、編集っていう感覚はないよね。笑
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「編集工学」の提唱者である著者が、さまざまな知の分野を横断しながら、編集工学的な発想について語った本です。
著者は、コンピュータ・サイエンスや生命現象の中の「編集」についての解説をおこなっています。そのうえで、とくに私たちのコミュニケーションは、たんなる情報交換としてではなく、「エディティング・モデルを交換する」というかたちでとらえられる必要があると論じています。さらに著者は、このエディティング・モデルの交換という発想が、物語論などの知の分野において論じられていることを明らかにし、こうした発想がこれからの情報社会においていっそう追求される必要があると主張します。
さまざまな学問を「編集」というコンセプトでなで斬りにする議論に、爽快さをおぼえました。 -
ネット時代にうってつけの編集力。
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この本をまとめようとしても、まとめきれないものがある。
それは、基本的な提案が多くなされ、
編集という行為を歴史的な中で説明しようとしているからだ。
しかし、この手法によって、
えられるいろんな重要な方法論を身につけると、
ある程度の展開可能な状況が生まれてくると考えられる。
「体系化」ということに力を注いでいる。
哲学する姿勢の提示
認識論と現在抱えている問題の設定について
ワールドモデルがない。
「演出」することが大切であると考えていたが、
「編集力」が大切であることを理解した。
企画;ものを企てるより、
情報を関係づける仕事の方が大切である。
文字であらわせないということは
編集能力がないということである。
記憶するという行為は、重要な行為である。
1日を思い出すのに、2分から3分にまとめることができる。
記憶のもつ編集能力が大切になってきている。
自分の考えていることを、編集という視点で見ると、
アタマの中でどのように編集作業をしているのかをかんがえる。
その時に話すべき対象に対して、
話しかけることによって、グレードをあげていく
作業をしっかりと構成することになってくる。