非常時のことば 震災の後で (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.27
  • (1)
  • (4)
  • (8)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 88
感想 : 11
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (620ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022618627

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 苦海浄土の引用泣いてしまう同情するには眩しくてでもやっぱり怒りと悲しみとたまらなさから泣いてしまう
    四大公害の名前と場所を社会の試験のために覚えさせられるけどそれってある意味では歴史の中に生きていた人間の存在や息づかいが消えて見えなくなる存在したということを知るだけでは足りないことって多くて公害なら阿賀に生きるもそうだしもっと実感のこもったメディアとして残されたものに触れないと

    避けようのない結果として自分が今ここにいる
    そしてかつて他人がいて今も他人がいる
    自分とは決定的にわかたれた存在として理解することのできない世界をもつ
    自分の世界のことばと他人の世界のことばは違う
    世界は固有の誰かのことばとして

  • 「あの日」から10年。鎮魂の1日に読んだ。
    あれから、自分からも、他人からも発せられることばについて考えている。

  •  「論」より「引用」というべきでしょうか。毎度のことなのですが、つくづく、高橋源一郎のセンスには感心させられます。
     ただ、最後の引用の文章が、ぼくには読めない文章だったことに、これまた、つくづく、驚いきました。いったい、どうしたことなのでしょう。この「引用」の文章は、上滑りしていませんか、高橋さん?
     それにしても、古びていない。そこが肝。
    https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202001220000/

  • 「3.11」によってことばが変わってしまったと考える著者が、そうした経験のなかから生まれてくることばの姿を見定めようと試みた本です。

    雑誌『小説トリッパー』で「ぼくらの文章教室」という連載を担当していた著者は、3.11によって文章が変わってしまったといいます。東日本大震災と、それにともなう原発事故に際会したことで、語るべきことばをうしない立ち尽くすほかないという事態に投げ込まれてしまったわれわれにとって必要なのは、以前とおなじようなことばを垂れ流すのではありません。むしろ、ことばがうしなわれた場所に立ちとどまり、どうにかして語るべきことばをさがし求めようとする悪戦苦闘のなかから生まれてくることばがいったいなんであるのかという問いに向きあいつづけることであるはずだと著者は考えます。

    本書では、「非常時」のなかから生まれてきたことばとして、ジャン・ジュネの「シャティーラの四時間」、石牟礼道子の『苦海浄土』、川上弘美の「神様(2011)」、ナオミ・クラインの「ウォール街を占拠せよ」などをかなり長く引用し、そうした状況のなかでことばを語り出すことの意味について問いかけようとしています。

    これは、「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である」といったアドルノが直面していた問題と同種の問題だということもできるかもしれません。もちろん、このような問いには、わかりやすい答えは存在しません。もし、よくわかってしまうような答えがあたえられたのだとすれば、それは「非常時」が忘却され、そのときの出来事が既存のことばのうちに回収されてしまったときでしょう。それゆえ著者がとるべき態度は、あえて答えの出ない場所に立ちとどまりつつ、ぎこちなくもことばを紡ぎ出そうとプロセスをそのまま提示すること以外にはありえないのですが、それにしては本書の「問いかけ」はすこしばかりわかりやすすぎたのではないかといういらぬ危惧をおぼえてしまいます。

  • 「3.11」は、特別な意味を持つ数字の組み合わせになっています。

    いわゆる「東日本大震災」が起きる前までは、
    「3.11」は、個人的に誕生日だとか、記念日とかでない場合、
    その前日の「3.10」と、その翌日の「3.12」と、
    それほど変わらない位置づけの日だったと思います。

    それが、日本の歴史の中でも「あの日」として刻まれる特別な日になってしまいました。

    その特別な日が、今年も近づいてきています。
    1年に1度、この日を迎えることになりますが、
    年を重ねるたびに、何かが少しずつ変わっているように思います。
    変化は、あの震災に対する自分の受けとめ方かもしれないし、あの時感じていたことを鮮明には思い出せないような記憶の薄れかもしれません。

    そんなことをつらつらと考えていた時に、
    長野県上田市に遊びにいくことがあり、
    大好きなブックカフェNABOの棚で、視界に飛び込んできたのが、この本。高橋源一郎さんの著書「非常時のことば 震災の後で」です。

    あ~ぁ、私、たぶん、この本に呼ばれているわ。
    と思ってしまいました。

    本書は、震災の前と後で、変わったもの(変わらないもの)について触れており、自分が「考える」こと、自分が「書く」こと、おそらく、それは、自分が「生きる」ことについて、改めて、考えさせられる本でした。

    「非常時」は、震災ばかりでありません。
    ある時、ある場所では「戦争」であり、「水俣病」などもあります。
    この本では、石牟礼道子さんが、水俣病の関係者、地域の人々について丁寧に聞き取りをされて綴られた文章の「美しさ」についても解説されています。
    先日、お亡くなりになったニュースを耳にしたこともあり、石牟礼さんのお仕事の素晴らしさを、高橋さんの解説でよりよく理解できたことも、「あぁ、やっぱり、私は、この本に呼ばれたのだわ」と思った理由です。

  • 髙橋源一郎らしくない明晰さに欠けることばの羅列は、本文で述べられている通り意図されたものなのだろう。一歩一歩、絞り出すように呟くように書かれているように感じた。しかし、「あの日」に漢字は違和感は徐々に忘れ去られたようにさえ感じられる。どのようなことばが「あの日」の、あの雰囲気を後世に伝えることができるのだろうか。

  • 震災後にいままで目を背けていた世界の歪みを意識せざるをえなかった、という旨以外は全くピンとこない文の集まりだった。

  • 3.11以降、ことばはどう変わったのか。

    様々な文章からことばを引いてきて、そこから見える世界について考えよう、という本。
    冒頭、非常時だから咄嗟の「ことば」が出てこなかったという筆者。これほどの人から「ことば」が出てこない、あるいは分かっていたけれど考えて来なかったことがあるんだな、と痛感。

    今尚、空白に向かって言葉を吐き出し続けているように思える人さえいる、原発事故。
    結局あれは何だったのか、本当のところを明らかにされないから、悲しいかな私たちはそれを安心と受け止めているような所がある。
    遠い国の世にも不思議なおはなし、なんかでは決してないのにね。

    川上弘美の「神様」と「神様2011」の違いなんかも挙げていて、何かの時に再読するかもなー。
    レビューにメモしておこう。

    とても読みやすく、伝わることを第一に?考えられたのかな、という一冊なので、たくさんの人に手に取って欲しいと思う。

全11件中 1 - 11件を表示

著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

高橋源一郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×