からゆきさん 異国に売られた少女たち (朝日文庫)

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022618740

感想・レビュー・書評

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  • 想像していた内容とは少し違っていた。
    けれどもからゆきさんとはどんな人達が何故からゆきさんになったのか。
    それの事に関する時代背景や国、その地域での暮しからからゆきさんを知る事が出来た。

  • 「まっくら:女坑夫からの聞き書き」で仰天した森崎和江を読もうとしたが、新刊で買える文庫は本書だけだったので、からゆきさんって何、という無知の状態で手を伸ばしてみた。

    原著は戦後30年頃の刊行。
    当然ルポルタージュ的な意義、資料的価値も深い著作だろう。
    が、詩人としての森崎和江(「なぜ男は羽根かざりに似るの」)に惹かれる者としては、彼女が友人(綾さん→おキミさん)や多くの年長者と語る(インタビューというよりは、語る)中で感じた「身の震え」のようなものを想った。
    その界隈に詳しい人からどう思われるかわからないが、初心者としてはどうしても連想せざるを得ない……石牟礼道子が「苦海浄土 わが水俣病」について(ルポではなく)「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」と言っていたのと似て、この一冊をまとめることが森崎和江の詩的営為だったように、感じた。

    狙いとしては、活字で発言することのなかった人たちを代弁することで、日本の急速な近代化を裏側から撃つ、という「まっくら」に似たもの。
    しかし森崎の聞き取りは、闘争や革命のための道具では、ない。

    虐げられた民衆という(わかりやすい)構図からははみ出す側面も描かれ、2020年代の読者にとってはそこが興味深い。
    日本近代化に伴ういわば輸出産業とされたからゆきさんが、いや実際は個々の名前を持つ一人一人が、売られた先で逞しく成功する……たとえばおヨシ。
    今日マチ子のカバーイラストに引っ張られての感想だが、高浜寛あたりがあっけらかんと漫画化してもよさそう。
    島原や天草の地域性に言及するあたりはルポではなく文化人類学で、からゆきさんという言葉が表す、やわらかさ……。

    とはいえ庶民の逞しさが官憲に勝ったのだ! という(わかりやすい)逆構図でも、決してない。
    だいたいおヨシさんの最期にしたって、一読者としてあまり考えずに読めば、潔いと褒めそやす感想を持ちかねないが、浅はかすぎる>自戒。
    自然死ではなく自死なのだ。
    一人の少女が、成長過程で得た根拠地を引き剝がされた後、得たり失ったりした挙句、回顧するときどう思うか……その機微にまで、さすがに一読者は至れない。
    が、当人や関係者から話を聞いた森崎和江は、身が震えたのだろうな。

    また、逞しさなどなく権力の前に斃れたり死んだりした多数の女の、聞き取れなかった声を想像することも、森崎の執筆行為の一部。
    そして森崎が撃とうとしている、性を売買する制度(公娼制。表立って国家が!)。
    その約50年後も、変わりない……人の愚かさはそのまま。
    権力が勝った、とも、民衆が勝った、とも、簡単には云いきれない混沌としたステージで、自分が民衆のひとりとして虐げられつつも、見下すことの可能な相手に対しては権力的に作用する・権力を内在化することもしかねない自分=男性が、否応なく生理的欲求や文化的欲望に駆り立てられて、女性を想う……変なことをしない歯止めに、本書がなってくれるはず。

    ちなみに石牟礼は内海に向かい、森崎は外海に向かう。
    この違いが判ったのも、よかった。



    ■ふるさとを出る娘たち
    ◇玄界灘を越えて
    ◇密航婦たち
    ◇ふるさとの血汐
    ■国の夜あけと村びと
    ◇おろしや女郎衆
    ◇シベリアゆき
    ◇異人の子と上海
    ■鎖の海
    ◇唐天竺をゆく
    ◇海をわたる吉原
    ◇戦場の群れ
    ■慟哭の土
    ◇おキミと朝鮮鉄道
    ◇大連悲歌
    ◇荒野の風
    ■おくにことば
    ◇おヨシと日の丸
    ◇天草灘
    ■余韻
    ●解説 斎藤美奈子



    ※wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%93

    ※関連作
     1937 映画「からゆきさん」鮫島麟太郎原作
     1960 村岡伊平治(女衒、開拓事業、トラジャ国王)の「自伝」記述は眉唾
     1972 山崎朋子「サンダカン八番娼館 ―底辺女性史序章―」で広く知られる
     1973 今村昌平「からゆきさん」→村岡を題材に1987「女衒 ZEGEN」 ※今村の他の作に「にっぽん昆虫記」、野坂昭如原作「エロ事師たちより 人類学入門」、「神々の深き欲望」、佐木隆三原作「復讐するは我にあり」、深沢七郎原作「楢山節考」、井伏鱒二原作「黒い雨」、吉村昭原作「うなぎ」、坂口安吾原作「カンゾー先生」、辺見庸原作「赤い橋の下のぬるい水」
     1974 熊井啓「サンダカン八番娼館 望郷」 ※熊井の他の作に三浦哲郎原作「忍ぶ川」、遠藤周作原作「深い河」「海と毒薬」「愛する」(わたしが・棄てた・女)、武田泰淳原作「ひかりごけ」
     1976 本書
     1983 山谷哲夫「じゃぱゆきさん」
     2015 嶽本新奈「からゆきさん - 海外〈出稼ぎ〉女性の近代」 ※博士論文 境界を超える女性たちと近代 ——海外日本人娼婦の表象を中心として—— 嶽本新奈 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/26725/lan020201300703.pdf

    ※にっぽんの子守歌 https://www.youtube.com/playlist?list=PLEE01370FE68F38A3
    という凄まじいドキュメンタリー音源がある。
    名前の通り日本各地の子守歌を蒐集調査する音源なのだが、お婆さんの歌、お婆さんの語り、関係者へのインタビュー、のおおむね3種類で構成される。
    A面からE面まで、確かにあの地にこの人がいたのだなと思わせる歌や語りに満ちて、素晴らしい視聴体験ができた。(B面は欠落?)
    F面の終盤で、森崎和江がからゆきさんの子守唄について問われ、子を持てなかった女と話したときの戸惑いについて答えている。
    「おなごのしごと」について、か細くも丁寧で、いい声で。
    この声で多くの人から話を聞いたのかと、想像の杖になった。
    またG面の中盤では、炭鉱での出産はとりわけ喜ばれた、という話も森崎和江がしている。
    びっくりしたのはH面で寺山修司が、間引きについて話していること。
    幼い頃から、もし自分が間引かれるなら菰に巻かれて川に流してくれれば誰か貴人に拾ってくれるのではと想像していた、とか。
    眉唾ながら実に寺山らしい。
    が、次に寺山が言っていた、実際は東北では川流しなどせずとも風に向けて赤子の口を開かせたら自ずと窒息死するのだ、という挿話……眉唾でしかない人が言うことなのだが、突拍子なさすぎるゆえ、実に真実味があって、驚いた。

    https://www.youtube.com/watch?v=ocUeidfYpgs&t=3892s
    今村昌平によるインタビュー映像1973。75分。すごい凄い。

  • 明治時代、外国に売られていった女の子たち、その背景、女の子たちのその後。

    綾さんの養母のキミが精神の異常をきたしている様子が、胸に迫る。

    養子の綾さんに、このいんばいおなご!おまえのいんばいをようしっとるよ。ひとりの男も百人の男も同じこつ、と罵る。それは、おそらくキミさん自身の自己認識で、雇い主や客や故郷や社会からそう言われてきて、それが彼女の中に刷り込まれてしまったのだろうと想像できる。

    炭坑夫を描いた「まっくら」の女たちは、まずしくてももっと、なんというか、正常だった。本来の人間の強さを持っているように読めた。それは貧しくても人間の暮らしだったからたみろう。

    が、からゆきさんたちは、アウトオブノーマル。底辺よりも、さらに下。

    日露戦争とか安重根の伊藤博文襲撃とか朝鮮の鉄道敷設とか。そういう歴史の背後にこんな物語があったことを、覚えておこう。

    わたしは、選択肢を多く持ち、お腹いっぱいで自己実現とか平和に暮らせることを感謝しよう。

    森崎さん、すごい仕事をありがとう。あなたの女性への眼差しが、本当に励みになる。女性が幸せであることを、こころから願った人。

  • 石牟礼道子は読んでいたのだが、サークル村の同志だった森崎和江は読んだことがなかった。
    『からゆきさん』は昔から知っていたのだけど山崎朋子の本や『五番町夕霧楼』みたいな遊郭に娘が売られる話とごっちゃになって、なんだか暗い因習に満ちた救いのない話だと思い込んでいて、手に取っていなかった。しかし石牟礼道子や藤本和子との関係を知り、これはちゃんと読まなければと思って読んでみた。

     確かに貧しい家の娘が家計を助けるため、あるいは口減らしのため、密航状態で船に乗せられ東南アジアで身を売ったわけで、労働基準法もなければ健康保険ももちろんない中、性病の危険にさらされながらの毎日も辛かっただろうが、そこまで自分を犠牲にして働いても、故郷に帰ればまともに扱われない、というところはもちろん辛い。
    しかしもっとずっと前から貧しさのため身を売る女性たちを「醜業婦」「淫売」「売女」と蔑む女性観が、経済・政治・ジャーナリズムなどすべてを握る男たちにあったのでである。娘を農村漁村から集めて(家畜同様)売りさばいていたのはほとんどが男であったのだが。

    確かに悲惨である。しかし、意外にも救いのない暗さとは違う。
    それはまず村の若い男女の性意識が現在とは全く異なることがきちんと取材されていること。性行為を淫靡なものとは思わず、「性が人間としてのやさしさやあたたかさの源である」(p64)と感じて育った娘たちは「おおらかでふてぶてしいエネルギー」(p65)があった。武士層やその後の中産階級が規範とした「二夫に見えず」といった貞操観念とは無縁であった。しかしそういった性意識と貧しさに付け込んだのが明治の男たちであった。

    この本には「からゆき」になった後実業家として成功した女性も出てくる。悲惨な人生を送った者ばかりではなく、混乱の時代をたくましく生き抜いた姿に救われる。

    しかし、男が集まるところには身を売る女が必要であるという男たちの意識は昭和になっても変わることはなく(石牟礼道子も水俣にチッソの工場ができるとすぐに女郎屋ができたと書いている。)、これが戦争中従軍慰安婦の流れになったことは容易に想像できる。女たちを集めて売る業者の男たちは役所からはお目こぼしで咎められず、女たちはつかまれば実名報道と「淫売」の烙印。
    そこが一番暗澹とするところである。
    売らせた男や買った男は咎めを受けず、売った女だけが貶められることは今も続いているのではないか。

    取材を重ねるというより、「からゆき」だった女性と身を一つにしているといった書きぶり、貧しい人、蔑まれている人の中にある強さや美しさを描いている点も石牟礼道子と近いものを感じた。
    男が書いた歴史には書かれなかった、たくさんの女性の声が聞こえてくるようだった。

  • ずっと読みたかった。なんとなく知っているつもりだった「からゆきさん」。思ってたより生々しく強烈に描かれていた。ディテールにいたたまれなくなり、何度も途中で本を置いた。
    12、3歳で売られる子もいて、おそらく今の子供より背丈も小さいだろうと思うと胸が詰まる。そして、二十歳まで生きられなかった子がたくさんいる。娘を売らなければならないほどの貧乏、飢えが想像できないとはいえ、あまりにひどい。これだけを見れば、時代が進んで良かったと思える。確かに今の方がマシなのだが、それでも女性の性を搾取して儲ける人たちはなくならず、少女を商品と見てお金で買う人はなくならず、どうすればいいのかと思う。
    後の方の、ヨシさんの話は痛快だったが、最期を思うと、やはりスタートがダメで、いくら本人の才覚で運命を切り開いたとしても、深く窺い知れない闇が中に巣食っていたのだろう。それがわかりやすい形で現れたのがキミさんだった。

    ずっと前に書かれたものに、現在を強く感じることが最近続く。

    "「可哀さうに人民は重い税と、少数の金持の懐中を肥すために、なけ無しの銭を搾られて居る」。"
    184ページ

    一時の日本より貧富の差、「人民と金持」の差が開いてきたのだろう。
    二度と「からゆきさん」が出ないとは言えなくなってきたのかもしれない。

  • 中村淳彦の『日本の風俗嬢』(新潮新書)、坂爪真吾の『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書)、そして鈴木大介の『最貧困女子』(幻冬舎新書)など、性産業を描いた書籍は、近年、新書を中心に好調な売れ行きを見せている。現代の格差社会を背景にした売春を描いたこれらの書籍には、「エロ」だけでは語れない女性たちの姿が綴られている。

     作家・詩人である森崎和江の『からゆきさん 異国に売られた少女たち』は、今から40年前の1976年に刊行された書籍であり、今年8月に朝日文庫より復刊された。過去の名著は、なぜ今、漫画家・今日マチ子の描く少女の表紙によって復刊されたのだろうか? 本書を一読すれば、この海を渡って売春を行った「からゆきさん」たちの境遇が、驚くほど現代に似ていることがわかるだろう。

     シベリア、朝鮮、大連、上海、シンガポールなどのアジア各国からアメリカ、オーストラリアまで、海を渡って世界各地で売春を行った女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。明治維新によって鎖国からの開放された日本からは、新天地を求める男たちだけでなく、それを慰撫する少女たちが海外へと連れて行かれたのだ。本書の軸となるのは、明治29年に天草に生まれ、朝鮮へと売られたおキミ。作者は、偶然知り合ったおキミの幼女である綾から、その壮絶な体験と、老婆になってまで悔い続ける姿を知る……。

     よく知られているように、もともと、日本は性に奔放な土地だった。田舎の村々には夜這いの風習が近代以降も残り、当時の福岡の新聞には「13歳以上の者にして男と関係せざるものはない」と書かれるほど。キミの育った天草地方でも、日露戦争の頃までは夜這いの風習が残されていて、心の通った男とは妊娠してからの婚姻が当たり前だったという。

     しかし、おキミたち「からゆきさん」が、男たちから求められるセックスはそんな牧歌的な日常とは程遠かった。口減らしのために、浅草の見世物小屋の養女となったおキミは、16歳の頃、再び李慶春という男のもとに養女として出された。しかし、李の目的は、養女として貰い受けた彼女に売春をさせること。ほとんど誘拐に近い形でおキミは神戸に連れて行かれ、貨物船に乗せられた。そして、その船内で李をはじめ数々の船員たちと「おショウバイ」をさせられたのだ。それを断れば、食事すらも与えられず、おキミはただただ男たちを受け入れるしかなかった。おキミとともに貨物船に乗せられた14人の少女たちは、昼も夜も「おショウバイ」を強要され、誰もが泣いていた。そして、貨物船が朝鮮半島南端の漁港木浦(もっぽ)につくと、少女たちは北朝鮮の鉄道敷設現場につくられた娼楼へと送られる。

     娼楼での暮らしはさらに過酷を極めた。少女を買う男たちは、工事現場の人夫として集められた荒くれ者であり、日本人工夫は、背中一面に刺青を持った粗暴な男が多かった。一方、朝鮮人の中には、日本人に対する恨みの感情を晴らそうという者もいたという。おキミは、朝鮮人の性欲を満たすことには耐えられた。けれども、人間としての誇りを奪われることには耐えられなかった。朝鮮人の男4-5人に囲まれ、限界まで尿意を耐えさせられた挙句、小便を漏らし、笑われた。この記憶が蘇るとき、おキミは朝鮮語で叫び声をあげた。その屈辱は、すでに老後になったおキミの心の中で、いまだ癒えぬ傷となっていたのだ。

    「いんばいになるか、死をえらぶか、といわれたら、死ぬんだった。うちは知らんだったとよ、売られるということが、どげなことか……」

     おキミは、養女の綾に何度もこう語った。

     綾とふたりきりになった時、おキミは「夜叉のよう」に狂ったという。綾の実母は、おキミと同じ娼楼で体を売っていた。そんな綾に向けて、数々の男にされてきたのと同じような口調で、おキミは綾が淫売の血を引いていることを口汚く罵った。綾は、森崎に向かって「売られた女とは一代のことではない」「身を売るっていうことはいちばんふかい罪なの」と語り、「いのちにかえても、すべきことではない」とつぶやく。背負いきれない過去のトラウマに押しつぶされたおキミは、精神科の病院で死んだ。

     「からゆきさん」たちは、貧しい家の生まれだった。生きるために、彼女たちは養女として出され、密航船に詰め込まれ、見知らぬ土地で男たちの性欲の相手をさせられた。それから100年あまり。今、再び貧困から売春をする女性たちの存在が取り沙汰されており、中村淳彦によれば、韓国人はもちろんのこと、脱北者や中国朝鮮族の女性たちまでも体を売るために来日しているという(『日本人が知らない韓国売春婦の真実』宝島社)。貧困、格差、越境……「からゆきさん」少女たちの姿は、現代の女性たちに重なるだろう。

  •   
    ── 森崎 和江《からゆきさん 異国に売られた少女たち 1976 朝日文庫
    20160805 朝日新聞出版》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4022618744
     
    ♀Morisaki, Kazue 作家・詩人 19270420 朝鮮 福岡 20220615 95 /
    /ノンフィクション、元放送作家
     
    …… 16歳で朝鮮に売られて、狂死したキミ。東南アジアで財をなし、
    壮絶な自殺を遂げたヨシ。ふるさとを思い、売られていった女たちが、
    異国の地で見た夢は何だったのか。綿密な取材と膨大な資料をもとに、
    「からゆきさん」の軌跡を辿った名作が、新装版で復刊(Amazon)。
     
    …… 日本から南方などへ売春婦として売られた女性を描いたノンフィ
    クション「からゆきさん」や炭鉱で働く女性を記録したルポルタージュ
    で知られる。喪主は長男・松石 泉(まついし・いずみ)さん。
     
     1947 福岡県立女子専門学校(現福岡女子大)卒。戦後、詩誌「母音」
    の同人に。1958 福岡・筑豊の炭鉱地帯で詩人・谷川 雁、上野 英信らと
    文芸誌「サークル村」創刊、1959 女性交流誌「無名通信」発行。
     
     炭鉱の女性労働者から聞き書きした「まっくら」などの作品を次々に
    発表、ラジオドラマ「海鳴り 1978 芸術祭賞優秀賞。他に「海路残照」
    「買春王国の女たち」「いのちの素顔」「語りべの海」、詩集「ささ笛
    ひとつ」など。
    https://www.sanspo.com/article/20220619-4ROPHRUVBVOYVF5QZPSSVDGISY/
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20220615
     
    (20220620)
     

  • Courtesans Sent Abroad/Japanese women sent to work as prostitutes by Kazue Morisaki
    などの #英語 タイトルが使われているようです。

    聞き書き集だと思っていましたが、それ以上の内容でした。

  • 東2法経図・6F開架:368.4A/Mo63k//K

  • なんとなくこういうことなんだろうな、と思っていたことが本当に甘すぎて、いい歳をして我ながら無知すぎていやになる。

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著者プロフィール

森崎和江(もりさき・かずえ) 1927年朝鮮大邱生まれ。福岡県立女子専門学校(現・福岡女子大学)卒。詩人・作家。谷川雁・上野英信・石牟礼道子などと「サークル村」をおこし、文化運動・大正炭坑闘争を闘う。執筆活動・テレビなどで活躍した。主な著書に、『まっくら』『奈落物語』『からゆきさん』『荒野の郷』『悲しすぎて笑う』『大人の童話・死の話』『第三の性』『慶州は母の呼び声』など多数。詩集に『かりうどの朝』『森崎和江詩集』など。2022年、95歳で死去。

「2024年 『買春王国の女たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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