翻訳の授業 東京大学最終講義 (朝日新書)

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022950680

感想・レビュー・書評

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  • とある時、先生の講義を受けたことがあります。英文学のみならず、松尾芭蕉など日本文学も重要視なさるお方です。トールキン作「ホビット」やモンゴメリ作「赤毛のアン」への情熱、印象的でした。

  • 以前、村上春樹と柴田元幸の『翻訳夜話』を読み、言葉同士を照合させていくことの不思議さに感嘆したのだった。

    この新書で二人とも紹介されていて、嬉しかった。

    書かれた国の言葉らしく訳すのか、訳した国の言葉らしく訳すのか。
    直訳をしても原作が持つ世界観から外れてしまっては意味がないし、かといって解釈しすぎて逸れていってしまうことだってあるわけで。

    あー。面白いなあ。
    そう思うと、日本の小説の、日本らしさってどこにあるのかな。

    山本先生は村上春樹の訳を、読みたいなと思う、それは「英語の読みとして正確なばかりでなく、すべての日本語表現に責任をもっているという印象があるから」だと言う。

    村上春樹らしいよね、をこんな風に表す人がいるなんて。

  • 翻訳は「直訳」と「意訳」の2種類。そう考えている人は、読めば目から鱗が落ちるはず。日本文学が世界中でどのように翻訳されているか比較したり、英米小説の原文と日本語訳を見比べたりすることは、気になるけどできないので、本書で授業を受けられてよかったです。原作の要素を可能なかぎり多く写す。もっとも目立つ特徴に注目する。作者の頭の中、あるいは意識の下に渦巻いているイメージから、適切な表現を引っ張り出す。わたしたちが異文化の作者が描いた世界にアクセスできるのは、翻訳者が世界を再構築し、忠実に再現しているからなのです。


    p23
    どのような視点で書かれているか?それは言語の問題ではなく様式の問題です。英米で好まれる小説作法は全知全能の神が書いているかのような、語り手の主観が極力排除されたものです。それに対して、日本では作者個人の声や視点が地の文にまでにじみ出ているようなスタイルが、小説の文体として好まれます。

    p41
    いきなり「彼」で始めるのは、読者を最初の瞬間から物語の中に投げ込む、英米小説の常套手段です。

    p42
    これはきわめて極端な例ですが、このようなスタンス、すなわち「最初から英語で書かれたかのような英語に翻訳する」というのは、英米の翻訳ではスタンダードなものです。原作の特徴や文体がまったく反映されていないというのが理想です。

    p43
    ヴェヌティの理論は、翻訳を「同化翻訳」と「異化翻訳」という二つのカテゴリーに分けます。現代の英米でスタンダードな、「最初から英米人が書いたかのように読める」翻訳が「同化翻訳」、それに対して、明らかに翻訳であることが分かるように、オリジナルの言語の言い回しや構文が見えるように訳すのが「異化翻訳」です。

    p57
    ディケンズの小説にはきわめて個性的な人物が多数描かれています。あまりに個性的なので、作品の枠をはみだして、名前がイギリス文化や、英語そのものの中に残っている人物が何人もいます。楽天家といえばMr Micamber(ミコーバー氏)、無類の好人物といえばMr Pickwick(ピクウィック氏)、凶暴な強盗といえばBill Sikes(ビル・サイクス)といった具合です。『マーティン・チャールズウィット』という小説にMrs Gamp(ミセス・ギャンプ)という妙な名前の女性が登場します。職業は看護師ですがアルコールが大好き、いつも酩酊しています。とてもおしゃべりで、よく「ミセス・ハリス」がこう言った、ああ言った、などと話すのですが、実はこのミセス・ハリスというのは架空の人物です。つまり、この酔っぱらい看護師がてきとうにでっち上げた人物です。このことから、「ミセス・ハリス」というのは「存在しない人物」という意味になります。

    p94
    日本語・日本文化という環境では、「蒼穹」と訳したところで、ファウストゥス博士の運命が思い出されることはないでしょう。しかし、「そら」というルビで意味を通じさせながら、むずかしい漢字を当てておくことで、読者が何ほどかのひっかかりを感じてくれればよい、と考えました。
    「文学テクスト」の翻訳にはこのような複雑な思考過程が詰め込まれているのです。

    p130
    トールキンは言語学者で、とくに中世の「古英語」や「中英語」を研究していました。昔の詩でとてもポピュラーだったのが「頭韻」です。単語の頭の子韻をそろえるレトリックです。
    『ホビット』は現代の英語で書かれた散文物語ですがらトールキンは高調した場面などで頭韻をひんぱんに用います。

    p132
    しかしその一方で、「散文的」はこの物語の中でとても重要な概念です。物語が終局に差しかかったところで、ビルボは詩を書き始めます。主人公が「散文的」な人から「詩的」な人へと変わる、というのが、『ホビット』という作品の重要な構造です。

    p138
    ガンダルフの意識を染め上げているのは、littleとwideの対立です。そして、Bilbo is littleとthe world is widedという考えが存在しています。加えて、おそらくme masterminding the situationa(わたしが黒幕だ)というような言葉がどこか下の方に浮遊しています。

    p140
    小説では、いきなり読者を現在のシーンに投げ込み、その後で過去の経緯が回想されるという形が好まれます。しかし、このような小説な文法は映画というメディアにはなじみません。いったん物語が始まると、すばやい場面の転換でいっきに物語を進めるのが、通常の文法です。そのため、必要な情報をまとめて最初にいっきに伝えます。

    p141
    また映画は映像が意味の単位、すなわち「単語」であるというメディア的特性から、心理描写は得意ではありません。『ホビット』の原作では、「冒険」か「格式」かで揺れる主人公の心理が詳しく書かれていますが、映画版ではかなり簡略化されています。

    p187
    [第1段落]
    作者が描いた世界を正しく理解し
    言語表現を生むマトリックスを再現する

    [第2段落]
    原作の言語表現を解体し
    言語固有の接続表現を排除し
    単純な情報に還元する

    [第3段落]
    箇条書きの単純な情報を
    翻訳語に固有の接続表現を用いて
    原作と相似の世界を描き出す

    (a)
    接続表現(for、because、so...that..、who、which、where、whileなど)は翻訳の対象ではない。

    p188
    接続表現やそれに類する機能語は、基本的には「世界」との対応を伝えるというより、主として作者の叙述のスタンスを伝えるものであり、文体的な差異をもたらす道具です。

    文脈から論理関係や筆者の意図を厳密に判断した上で、目標言語の文法・文体にしたがって(順序も含めて)適切な形に組み直さねばなりません。

    原作の作者が脳中に描き、伝えようとしている「世界」についての情報やアイデアに直接アクセスし、別の言語で再現するのが翻訳という行為です。すなわち、作者が執筆する前に「世界」についての情報・アイデアが存在し、次いでそれが作者独自の言語によって表現されていますが、その言語表現から「世界」を頭の中に再構成し、それを別の言語で忠実に再現するのが本来の翻訳という行為です。

  • 著者は、翻訳家かつ翻訳論の研究者。本書は、昨年に東大で行われた最終講義に基づいて、従来の翻訳の常識を打ち破る著者独自の翻訳論を展開した書。

    著者が提唱する理想的な翻訳は、(a)「接続表現(for、because、so…that…、who、which、when、whileなど)は翻訳の対象ではない」、(b)「翻訳とは言語レベルの置き換えではなく、コミュニケーションのレベルの転換である。そして、コミュニケーションとは、作者と読者が「世界」を共有する「出来事である」、とするもの。また、「意味は言語に優先する」(語彙や文法形式にはとらわれず、原著者の伝えたかったことを翻訳言語の特性に応じて自由闊達に表現してよい、といったぐらいの趣旨)が翻訳についての公理だとも言っている。著者の目指す翻訳は、「直訳」の対語としての 「意訳」とは次元が違うようだ。日本語として読みにくい(いけてない)翻訳ものに出くしてガッカリすることも多いから、翻訳に関する著者の考え方にはもちろん大賛成。

    小説「ホビット」のカダルフのセリフ「you are only quite a little fellow in a wide world」を「君とてしょせんちっぽけな存在にすぎん。世界はとてつもなく大きいのじゃよ!」に、それに続くビルボセリフの「Thank goodness!」を「くわばらくわばら」と訳した著者のセンスは素晴らしいと思った。

    山本史郎訳の『ホビット』、読んでみたくなった。また、「英語の読みとして正確なばかりでなく、すべての日本語表現に責任をもっているという印象がある」と著者が絶賛している村上春樹の翻訳ものも。

    本書の中で翻訳者の失敗訳を結構ディスってるけど、これは大丈夫なのかな。また、洗練されていて確かに素晴らしい自らの訳を、自慢げに紹介しているのがやや鼻についた。

  • 言語が違うということと、認識の問題について、考えるきっかけをつくるのが語学教師の役割でもある、ということかな。

  • 8章「たのしい川辺」の翻訳の事例はなかなかショックだなあ・・・ 自分も技術翻訳でくってたことは若干あったが、文芸翻訳はくそ難しいことを直感していた(もちろんその仕事はしなかった)が、その理由が明確に論じられている

  • 翻訳者としては正座で読む本。私が文芸翻訳に近いジャンルが苦手な所以もこういうところ。翻訳家になる将来が見えていたのなら、東大にいるうちにこの授業を受けてみたかった

  • ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB30949689

  • 2022/04/30 読了
    #rv読書記録
    #読書記録

    筆者の姿勢(他翻訳者に対する態度?)が少し気になったけど、自分自身が考えている翻訳に対する考え方と似通っていて、かつそれを言語化・具体化して説明してくれているので、自分の考えを補強してくれるような内容だった。
    とはいえ内容が文学やそちら方面よりで、アカデミック・ビジネスに補填できるような所はあまり多くない印象だった。

    高校生、大学生が読むにはちょうどいいんじゃないかな〜と。。

  • 【静大OPACへのリンクはこちら】
    https://opac.lib.shizuoka.ac.jp/opacid/BB30949689

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著者プロフィール

東京大学名誉教授、順天堂大学健康データサイエンス学部特任教授。1954年生まれ。1997年東京大学大学院総合文化研究科教授、2019年昭和女子大学国際学部特命教授。『東大の教室で「赤毛のアン」を読む』(東京大学出版会、初版2008年、増補版2014年)、『東大講義で学ぶパーフェクトリーディング』(DHC、2010年)、『名作英文学を読み直す』(講談社選書メチエ、2011年)、『読み切り世界文学』(朝日新聞出版、2015年)、『翻訳の授業』(朝日新書、2020年)ほか。翻訳に『ホビット ゆきてかえりし物語』(原書房、1997年)ほか同シリーズ、ブレンダン・ウィルソン『自分で考えてみる哲学』(東京大学出版会、2004年)など。

「2023年 『翻訳論の冒険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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