自分を超える心とからだの使い方 ゾーンとモチベーションの脳科学 (朝日新書)

  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022951274

作品紹介・あらすじ

だれもが求めてやまない「絶頂の(peak)経験」。最高の結果が出るとき心と身体はどうなっているのか?とくにスポーツの世界で新記録が出るとき、選手は「ゾーン」に入ったと表現される。しかし科学的にそのメカニズムは解明されていない。「無我夢中の快」や「モチベーション」はいかに生まれるか?それが分かれば「落ち込んだ」状態や失敗に対処する方法も見えてくる。心理学者とトップアスリートの対話から、顕在意識と潜在的な心と身体の関係を探る。

感想・レビュー・書評

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  • ・チャレンジ自体が素晴らしいと自分の中で認識できている選手
    ・ゾーンは、体を無意識の自分に明け渡すこと?
    ・「山登りの道中をどうやって目的化するか」
    ・短期目標と長期目標
    ・目的型と夢中型ー二つのモチベーション
    ・天才とは、ただひたすらに好きであり続けること
    ・事前の予想の記憶が間違っている人が40%ー無意識?の記憶の書き換え
    ・「そのレベルで当たり前」というところに自分の身を置くこと

  • トップアスリートの経験からくるゾーンとモチベーションの話はとても興味深い。

    私がとても大好きなテーマ、自由意志についての話題も出てきて面白かったです。

  • トップアスリートが体験するという「ゾーン(心理学の用語ではフロー)」とはどのような心と体の状態なのか、またモチベーションは心の中からどのように生まれてくるのか?アスリートの為末大氏と心理学者・神経科学者の下條信輔氏がこの二つのテーマについて語り合った本。

    アスリートは実践知の積み重ねの中に生きている。それに対して科学者は、客観的データの中から物事の仕組みを解き明かそうとする。このそれぞれの視点から光を当てたことで、より深く理解ができたように思う。最終的には、自由意志とは何かや、心をマネジメントするとはどういうことかといったテーマにまで膨らみ、新しい視点を知ることができた。

    「ゾーン」とは、極度に集中した状態でありながら、ある面では忘我の状態でパフォーマンスをしている。為末氏も、その状態はその最中に意識できるものではなく、後から振り返って「ゾーンに入っていた」と感じられるものだと言っている。

    このような、集中と忘我の共存のような状態では、下條氏によれば、脳は「何もしない」と同じような活動状態を示しているという。しかし、身体の活動はかつてない高い状態にまで高まっている。

    このようなことが起こる仕組みは、現在の神経科学においても、まだうまく説明ができていないようである。

    ただ、下條氏は、意識によるトップダウンの働きと、身体から無意識を通じて作用するボトムアップの働きの相互作用が、何らかの形でゾーンの状態を作るために寄与しているのではないかと考えている。

    本書のもう一つのテーマであるモチベーションについても、為末氏の実践の中から出てくる視点と、下條氏のサイエンスによる分析が交錯して、面白い対談になっていた。

    為末氏が強調していたのは、目的を達成するための努力は、夢中になってする努力には敵わないということである。ここでも、意識と無意識の関係性が現れている。夢中になって努力するときには、その努力自体があまり意識されない。逆に目的をもって努力するというのは、意識的な努力であり、この努力にはどこかに限界が見えてくるという。

    つまりモチベーションは意志の力だけでは捉えきれず、意志の外側にある人を夢中にさせる脳の働きにも、大きな力が含まれている。下條氏も、人が誰かや何かを好きであると感じるときの脳の働きなど、脳の報酬系の研究を通じて、意識的な選好とは異なる脳の活動の高まりがどのように生まれるのかを研究しているという。

    このように、ゾーンとモチベーションに関する対話の両方の中で、意識だけではなく無意識の働きが大きく関わっているということが述べられている。意識せざるとも何らかの作用が起こる。それが実際には大きな役割を果たしているとすれば、われわれの自由な意志の力というのはいったい何なのだろうか?

    為末氏は、意識するより前に「体が動いた」という体験があり、それを事後的に意味づける(いまの走りは良い感触だった等)のが自由意志ではないかと述べている。

    下條氏もそのような視点をもつことで、決定論的な神経科学(すべての活動は神経活動の因果による結果にすぎないという考え)から抜け出すことができる可能性があると述べている。

    下條氏によれば、自由意志は後付け的な解釈のような性質を持っているのではないかという。そして、スポーツにおけるトレーニングや試合でのパフォーマンスは、無意識的な体の動きを解釈する意志があり、その意志がまた無意識の体の動きに作用していくような、複雑な流れの中に位置づけられる。

    意識的な世界と無意識の世界、今現在の体の動きとそれを振り返って解釈する意志のそれぞれのあいだを行き来しながら行われる、身体と心の対話が、スポーツという行為を成り立たせていると言えるだろう。スポーツをめぐる心と体の世界に、われわれが意識しているよりもはるかに大きな世界が関わっているということが感じられて、面白かった。

    また、為末氏がこれまで実践の中で感じてきた心と体の働きが下條氏のサイエンスの世界に新しい視野を与え、心理学や神経科学の研究で得られたデータの解釈にも繋がっていっている様子が、実践と科学の間の関わりという面でもとても興味深い本だった。

  • 東大寺学園中学に進学した当時小6の生徒は、自習中しばしばゾーンに入っていた。完全下校の22:00になって中3生も皆帰っていく中、1人黙々と赤本に取り組み続けていた。「もう10時だよ」と声をかけると、「えっ、もうそんな時間」と驚いていた。時間を忘れて夢中になるとはこういうことなんだ。これが、アスリートの言うゾーン(フロー)と同じなのかどうかはわからない。けれど、脳の反応としては同じようなことが起こっているのだろうと思う。全く関係ないかも知れないが、私も何度か電車を乗り過ごしたことがある。寝過ごしたというのは高校3年のときの1回だけであった。ところが50歳を過ぎてからのここ数年で、複数回電車の駅を乗り過ごしている。本を読んでいてというのもあるが、たいがいはスマホである。ツイッターの記事を何かしら読んでいると、乗り換えの駅に着いたことに気付かないことがある。着いたと思って降りてみたら隣の駅だったこともある。何が起こったのか、状況をつかむまでに数秒かかることもある。実はここには、スマホに夢中になっているということとは別にもう一つ要因がある。それは京都市営地下鉄東西線の罠である。もちろんわざと引っ掛けようとなんてしていないのだろうが、どの駅にも個性がないのだ。きっとそれが、私がここ数年、駅を乗り過ごすことが多くなった原因なのだと思う。おっと、本書の内容とはかけ離れてしまった。モチベーションの問題。これはやはり内発的動機付けがいい。何かのためにというのではやる気は続かなくなる。そのこと自体が楽しい、それが続けるための最も大きな要因になるのだろう。コンサマトリーというのだろうか。何事も楽しくって続けている人にはかなわない。

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