春のわかれ (赤羽末吉の絵本)

著者 :
  • 偕成社
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (38ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784039631008

感想・レビュー・書評

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  • 本書は『今昔物語集』
    「小さき稚児を悼みて硯を割りし侍出家せること」
    (巻の十九の九話)をもとに作品化したそうです。


    「春のわかれ」と聞いて、人それぞれに様々な事を思い浮かべるでしょうが、これほど、胸が張り裂けそうになるわかれは、果たしてあるのだろうか。

    大臣(おとど)の側に仕える「青年(若い侍)」が、家宝であり、大臣の「姫君(若君の姉君にあたる)」の婚礼道具として、帝も関心を持っておられた、『硯(すずり)』を誤って割ってしまい、その嘆き悲しむ様子を見ていたのは、「若君」だった。

    『そんなに嘆くではない。お前はもう、十分に反省したのだから。もし、人から責められたら「私がいくらおとめしても聞かず、若君がこの硯をとり出してごらんになり、あやまって落として割ったのです」というのだよ。私のせいにすればたいしたことはないが、お前が罪を負えば、かならず、きついおとがめを受けるだろう。いいね、わかったね』

    ところが、それを知った大臣は、かけがえのない家宝を割ってしまった、実の子に対し、もう、この子と顔を合わせたくないと言い、早く乳母(めのと)の家にでもつれて行きなさいと、若君を家から追いだしてしまう。

    ここで私が思ったのは、家宝はかけがえのないものであるのだろうが、実の子も、かけがえのないものではないのか、ということで、少しほとぼりが冷めたら連れ戻しに来てくれるのではと思ったら、どうやらそうではないようで・・それとも、これは当時の時代性による価値観の相違なのだろうか。

    乳母の家で何日も過ごす内に、若君の体調は次第に悪くなっていき、さすがに奥方はもう許してやってくださいませと大臣に頼むが、一向に聞く耳を持たず、それを乳母から知らされた若君は、黙って寝ていたものの、目からは涙がとめどなくあふれ、熱のために上気し、くちびるをあえがせて、おえつをこらえていた。

    そして、若君のつぶやき・・

    『あけぬなる鳥の鳴く鳴くまどろまで子はかくこそと知るらめや君』

    (明け方になって鶏たちが鳴きかわすまで眠ることができないほど、子の私が病気に苦しんでいることを、父母はご存知だろうか)

    これを聞いて、乳母はいても立ってもいられなくなり、再度手紙を書いて奥方に届けたところ、見るなり泣きふし、その渡された手紙を見た大臣は、ようやくハッと目が覚めた思いになり、奥方と乳母の家に行くことに。

    『車の中で奥方の肩を抱きながら、あまりに強くしかった我が子が哀れで、あのとき、このときの愛らしい若君のお姿が目にちらついてなりませんでした。追い出したとき、ふりかえった顔の、何かものいいたげだったまなざしが、大臣の目に、とくに焼きついていました』

    『百千万の金銀であろうと宝であろうと、何であろう。ただ、あまりにも心ない人間だと思ったので、腹立ちのあまり追い出してしまった。このいたいけな愛らしい子を、私は何に狂ってあんなにしかりつけ、追い出したのだろう』

    この時代にも、このような思い・・金銀や宝以上に、いたいけな愛らしい子だと言ってくれる親の思いがあって、良かった。

    しかし・・・

    『睦ごともなににかはせむくやしきはこの世にかかる別れなりけり』

    これは、後悔先に立たずや、子を信じなかった親が悪いと思う向きもあるのかもしれないが、それだけでは無いのだと私は思い、無慈悲な書き方をしてしまうと、こうした事も人生では起こりうるのかもしれないし、そうなったときに、人として親として、どう生きていくのかを問い掛けられているようにも思われてきて・・しかし、これはあまりに酷だと感じたし、なんという物語を考えるんだといった気持ちにもさせられた。

    そして、早速、それを問い掛けられるような事態が起こる。

    『涙川洗へどおちずはかなくて硯の故に染めし衣は』

    「どうぞご存分に──」
    (何と、何と、あの子が割ったのではなかったのか)
    「おのれっ」

    私が最も心を揺さぶられたのは、この後の展開で、これは、加害者を前にした被害者の親の心境に近いものを感じられて、何とも言えないものがあるが、私はここでの大臣の行動を見て、ああ、真に若君のことを、かけがえのない愛らしい子として、死ぬまで思っていくのだろうなと強く感じさせられ、確かにかつての若君に対する振る舞いには、酷くやるせないものがあったが、それでも人は生きている限り、人として生きていかなければならないんだなということを、身を以て教えてくれたようで、生き様という言葉を思い出したし、また、逃げることをやめて、自らの人生と向き合う事を決めた青年に対しても、確かに許せないとは思うのだが、そこに若者のやさしさが密やかに佇んでいるのを目の当たりにすると、心苦しくも泣かせるものがあり、切ない。

    ただ、私が唯一気になったのは、

    『あまりにけがれのない人は、この世に長くはとどまれないのだろうか』

    という台詞で、これは酷すぎると思い、たとえ断定的な表現でないとしても、こんなこと言って欲しくなかったが、それだけ称えているということなのだろう。


    本書は、以前読んだ『シャエの王女』同様、「槇佐知子」さんの上品で美しい文体と、やさしい表現が印象的であると共に、「赤羽末吉」さんの絵は、『シャエの王女』以上に、心に響くものがありました。

    それは、表紙の、その穏やかな人柄が覗える若君の絵の無駄のない美しさもそうだし、彼を取り巻く、幾重にも重なり、ほのかに混ざり合うかのようで、心落ち着かせる、和の色たちの共演が素晴らしく、更にその枠外には、押し花のごとく香り立つようなデザインが、とても爽やかで印象的です。

    また、見返しはそれぞれ、赤と薄紫が一面に塗られており、これは大臣と若者の心理状態を表しているようでもあるし、人間の二面性を表しているようでもあり、これまた印象的。

    そして、本編における赤羽さんの絵には、おそらく今の年齢だからこそ、深く感じ入るものもあるのでしょうが、全てがそれぞれ異なる和紙のようなデザインを背景にして、その場面場面の心理描写を、淡く儚い色味で繊細に表しているように感じられて、『物忌みの日』の夜の絵には、黒みがかった藍色の月(周りには燃え立つような紫の炎が)の非情さと、その下にある乳母の家の物寂しさとが、若君の心の悲しみを更に増していくようで、たまらないものがありましたし、逆に、ある外の風景には、黄金で描かれた草たちのささやかながらも確かな存在感と、丁寧に重ね、霞のように微妙に混ぜ合わさったような、なんともやさしく儚い、黄色と青色のコントラストに、とても気高く美しいものを感じました。

    これらの赤羽さんの絵を見ていて、改めて気付かされた事は、おそらく今昔物語集ならば約九百年前になるであろう、日本の絵の持つ、控え目ながら情緒があり、そして儚く美しい、そんな和の文化を創り出した、ご先祖様が私たちにはいたのだということの、心からの歓喜の叫びであり、こんな美しい文化に支えられて、今の日本があるのだなと思うと、日本人であることに、よりいっそうの誇りを持てそうで、それに気付けたことが、本書を読んで最も嬉しかったことです。

  • 真夏に「春の」とは甚だしい違和感だが、赤羽末吉さん繋がりということでどうかご容赦を。
    【鬼ぞろぞろ】と同じく今昔物語からの出典で、巻19の9話「硯破」がこの話の元であるらしい。
    赤羽さんの依頼を受けて、古典に造詣の深い槙佐知子さんが再話したそうで、縦書きの流麗な文章も赤羽さんの挿絵も、そしてその内容も、胸がふるえるほど美しい。
    全38ページの中に、見開きも含めて12枚の赤羽さんの絵が描かれている。
    そのまま襖絵や屏風絵になりそうな背景だけのもの。
    調度品を描いたものや庭を描いただけのもの。
    美しいだけでなく時に大胆な描写もあり(怒りに狂う人間の顔は朱色一色)
    絵を見るだけでもこの一冊の価値がある。
    それもそのはず、この作品の挿絵で1980年度国際アンデルセン賞画家賞を受賞している。
    画家賞を受賞したのは、日本人としては初めてだったという。

    【今は昔、村上帝の御世のことでございます】という出だしで、静かに話は始まる。
    左大臣の姫君が女御に上がる際の婚礼道具として、代々伝わる由緒ある硯があった。
    ところが、一人の若者がその硯を見たがったために、誤って割ってしまう。
    あまりのことに恐れおののく若者の様子を見て、姫君の13歳になる弟君が、自分が割ったことにする。話は、ここから展開していく。

    慈しんで育てたわが子がまさかと嘆き哀しみ、そして屋敷から追放してしまう大臣を、狭量な親と責めるひとも多いだろうが、私はそうは思わない。
    親といえど、自らの思いにとらわれるあまり、過ちを犯す時もあるからだ。
    それが人間の愚かしさ・弱さというものであり、そこから時間をかけて、それぞれの方法で乗り越えていくものなのだ。

    親子の別れの場面と、あの若者が現れてすべてを知ったときの大臣の心の動きが、何度読んでも感動を誘う。
    命を懸け若者を守ったわが子の真のやさしさ・心の気高さを知って、大臣のしたことは取り返しのつかないことであっても、どこか救われるものを残してくれる。
    和歌も何首か詠まれ、人の心の普遍性について考えさせられる、感動の名作。

    ゆっくり読むと15分ほどかかり、内容も高学年向け。
    でも、大人の皆さんもぜひどうぞ。
    私たちの遠い祖先たちが、こんなにも人間のことを熟知していて、こういう物語を残してくれたことに、感謝しないでいられない。

  • 今昔物語より材をとった児童向け絵本。家宝の硯を割ってしまった使用人の若者。出会した13歳の若様は「もう十分反省しただろう」と許し、左大臣の父には私が割ったと言いなさいと言います。若者からその旨を聞いた父は激怒し、若様を放逐します。若様はまもなく病を得て失意のうちに亡くなります。やがて出家した若者から聞かされる真相に父は驚き悲しむのでした。読後は若様の健気さ、物語の切なさに胸が満たされます。そして、しばし考えました。これは「寛恕」の心を説いているのですね。

    • nejidonさん
      myjstyleさん、たびたび失礼いたします。
      この本は私も大切に持っています。
      古のひとびとが、こんなにも人間の心というものをよく知っ...
      myjstyleさん、たびたび失礼いたします。
      この本は私も大切に持っています。
      古のひとびとが、こんなにも人間の心というものをよく知っていたということに、
      読むたびに驚かされます。
      文章の調べもいいですよね。
      「寛恕」って、言葉も久々に聞きました。
      レビューも少ないので、とても嬉しく思います。
      お礼を言うのも変ですが(笑)ありがとうございます。
      2020/06/02
    • myjstyleさん
      nejidonさん
      コメントありがとうございます。
      槇佐知子さんはnejidon さんの愛読書から興味を持ちました。
      経歴も異色の方ですね。...
      nejidonさん
      コメントありがとうございます。
      槇佐知子さんはnejidon さんの愛読書から興味を持ちました。
      経歴も異色の方ですね。「シャエの女王」も読みますね。
      「春のわかれ」は、もともと読まれた方が少ないのですが、
      何が心に響いたのか、掘り下げた方はさらに少ない。
      そこでしばし思いを馳せてみました。
      「恕」という漢字は「論語」で知りました。
      「寛恕」という言葉を使うのは久しぶりです。
      2020/06/02
  • 今昔物語(巻十九の九輪)をもとにした絵本。
    表紙の稚児が、人間であり人間でないような存在に見えるのは…

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    左大臣には、ふくよかな黒髪をもつ姫君がおられた。

    そんな噂を聞きつけた帝は、姫君をわが妻にしたいと望まれる。

    姫君の婚礼具として、左大臣は由緒ある硯を持たせることにする。

    左大臣に仕える青年は、ひとめでよいからその硯を見てみたい気持ちに負け、硯を取り出すのだが、うっかり割ってしまう。

    その場に通りかかった左大臣の若君は、青年に声をかける…

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    「今は昔、村上帝の御代のことでございます。」(引用)

    本文のページを開くと、真っ白な見開きの左ページに、この一文が置かれています。
    そしてそのあとのページには、現代から村上帝の御代に戻ったかのような気持ちにさせる、春らしい見開きの絵が広がり、一気に物語の世界へ入ることができます。

    表紙絵は、硯を割った青年をかばった若君なのですが、本文を知らずに表紙絵だけ見たときは、人間というよりも神の使いのような、そんな神々しいく儚い雰囲気を感じました。
    そしてその感覚は、けして間違いではなかったのだなあと、本文を読み、感じました。

    髪のことを“おぐし”、帝との結婚を“お興入れ”と表現するなど、今では耳慣れない言葉が、ところどころに使われてはいますが、もしかしたら読み聞かせとしてならば、小学校低学年くらいから理解できるかもしれません。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    硯を割ってしまった青年をかばうために若君がついた“嘘”。
    青年を救うための“嘘”であったはずが、結局は誰も救わない嘘に変わってしまったさまは、感情をもつ人間という生き物の愚かさをまざまざと見せつけてくるようでした。

  • 今昔物語集の中から「小さき稚児を悼みて硯を割りし侍出家せること」(巻十九の九話)をもとに作品化したもの。

    村上帝の御代のこと。
    小一条の左大臣の娘が美しいので、帝が女御に向かえることになった。
    大臣(おとど)も奥方も喜んで婚礼の仕度をした。
    そしてこの家自慢の沃懸地(いかけじ)に蒔絵をほどこした硯を輿入れの荷物に入れようと考えていた。
    それを婚礼の朝、この家に仕えていた青年があやまって割ってしまう。
    それを知ったこの家の若君が青年の代わりを申し出るが…

    美しい文章、美しいお話、美しい絵。

    ぜひ中学生の読み聞かせに!!

  • 悲しすぎるおはなし。。
    あってはならないこと、、
    絵は儚さを表現して本当に美しい。

  • 番町皿屋敷ではないが、人にとって何が大切か考えなくては・・・

  • 今昔物語集を絵本化
    赤羽さんの淡い雰囲気の素敵な絵
    親としての反省もわかるなぁ

  • 絵と文章(日本語)が美しいと思いました。(sumire)

  • 誤解というか,優しい嘘が招いた悲劇。やりきれない。けれど美しい。

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