1971年の悪霊 (角川新書)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784040820439

作品紹介・あらすじ

昭和から平成、そして新しい時代を迎える日本、しかし現代の日本は1970年代に生まれた思念に覆われ続けている。
日本に満ち満ちているやるせない空気の正体は何なのか。
若者文化の分析に定評のある著者が、その在り様を丹念に掘り下げ、源流を探る。

はじめに 白く冷たかった2009年の夏

第1章 1971年、京都の高校で紛争のあった夏

私が感じた違和感
学生運動における「思想と行動」
反抗はいかにして始まったか

第2章 1971年、岡林信康が消えた夏
「フォークの神様」岡林信康の登場
フォークソングブームを支えていた気分
中津川フォークジャンボリーの帰れコール

第3章 1971年、高橋和巳が死んだ5月

なぜ読まれなくなったのか?
愛読された「破滅の物語」
高橋和巳を支えたものと吹き飛ばしたもの

第4章 1969年、「善のウッドストック」と「悪のオルタモント」

ウッドストックはいかにして伝説となったか
暴力を生んだラブ&ピース

第5章 1971年、「小さな恋のメロディ」に惹かれた初夏

映画に託された「若者の反抗」
若々しさへの乾いた賛美

第6章 1973年、ローリングストーンズ幻の日本公演

ロックミュージックと日本のあいだ
欧米文化の後塵を拝して

第7章 1968年、パリ五月革命の内実

学生運動をもたらした「お祭り騒ぎ」
どこかただよう空虚感

第8章 毛沢東「文化大革命」を支持していたころ

当初、世界が好意的に受け止めたわけ
若者を惹きつける要素があった

第9章 左翼思想はどこでついていけなくなったか

左翼思想へのシンパシー
共感はなぜが失われたのか
「1970年代の幽霊が出る」

おわりに 「悪霊」とは何か。

感想・レビュー・書評

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  • 本書の著者は1958年生まれ。自分より3歳年上。この世代の3年は意外と大きい。本書で取り上げられている岡林信康、高橋和巳、ウッドストック、小さな恋のメロディ、ローリングストーンズ幻の日本公演、パリの五月革命、文化大革命、すべて何となくわかるが100%共感できるわけではないから。

    とくに音楽をあまり聴かなかった自分には岡林信康はわからない。その次の吉田拓郎も怪しくて、多分、次の中島みゆきとかに飛んでしまう。「小さな恋のメロディ」もリアル感がないし。高橋和巳は自分が高校時代にはもう過去の人という感じだった(何しろ大学生になったときはすでに時代は村上春樹だったんで)。

    著者は高校紛争に遅れてきた世代。1971年京都の高校で紛争があり、その翌年に高校に入学する。左翼思想の残り香が強く立ちこめていたらしい。著者はその「思い」が現代の日本社会にもまだ残っているのではないかと指摘し、2009年の民主党による政権交代劇にも共通する「思念」を見る。

    安倍総理は民主党政権時代を「悪夢の時代」と呼んで問題となっているが、多分、その「悪夢」の裏には、本書の「1971年の悪霊」(=「かつて共産主義が好きだったという幽霊」)と共通するものがあるように思う。

    ちなみに自分が高校に入学した時、都立高校の紛争はすでに5年ほど前の話だったが、生徒会室にはバリ封鎖の写真が大事に保管されていたし、生徒会会長は民青系と噂される人だった。放送部に入部した自分は先輩から「この大きなテーブルで放送室が過激派に占拠されないようにしたんだ」と聞かされたが、「放送部は体制側だったのか?」と素朴に感じたものであった。

  • この世代の3年は大きいと他の人が書いていたが、本当にそう実感して来た。個人的な感覚をグラフにすればU字状に左翼傾向から右傾化に移っていく底の部分が1960年生まれで、堀井氏58年組はやや左翼的情熱が文中でも記されるようにあったが、60年組ぐらいになると“先輩方”の“転向ぶり”に白けつつも理解できなくもないわなと漂流していたが、61、62年生まれになると左翼の影響など感じられない、というかそんな事に興味を持たずにひたすら自分の衝動に気が向いていたようで、校内破壊とか暴力への形となっていったのを当時見ていた。そんな事したって意味ないのにと60年組は眺めていた。つまり尾崎豊の世界は61年組以降の世界なのだった。
    もちろん地域によってこの年代の区分けは多少ズレるだろうが、京都近郊の片田舎で育った身としては、堀井氏の様な都(みやこ)住まいの体験派と3年程度ズレた世代で、「総括」の結果が多少違っているなと感じた次第である。

  • ずっと感じていた左翼への気味の悪さを言語化してくれた本というイメージ。彼彼女の理想は賛同できるのだが、偉そうな物言いや態度がどうにも嫌だなぁと感じていた。どうしてなのかよくわからなかったけれども。そのあたりをものの見事に言葉にしている。
    時代の空気というものがある。事件が起きた時の受け止めとか、その時思ったこと、多くはこんなことになるとはあの時思ってなかったという感想になりがちであるが、その感想のようなものは容易く揮発してしまう。事件だけが残って、こういうことがありました、という記録になる。記録だけでは、その出来事を受け止めことはできないのだと思う。
    そういった空気感をとっても反映していて、読んでいておもしろかった。そう思う。

  • まあ、当時の雰囲気を知るにはよし。サクサク読めるね。

  • 東2法経図・6F開架:309A/H88s//K

  • ウェブメディアCakesに連載されていた時のタイトルは「1970年代の見張り塔よりずっと」。1973年に高校に入学した著者のちょっと先輩である全共闘世代への「おもい」とその後の社会主義の退潮への「おもい」を音楽や映画などの文化を通じてまさに「見張り役」のように呟いています。ほぼ同世代としてほぼ同じ時代を生きて来たものとして、著者の「おもい」は、わかるわかる的に染み込んできました。自分の中のモヤモヤが、どんどん言語化されていく感じがしました。1968年の「五月革命」から始まる若者の時代の流れを俯瞰したいという、このところの本のチョイスも、たぶんこのモヤモヤから来ています。1968年を政治から消費への転換点と思っていましたが、もともと政治でもなかったのかも。たぶん革命じゃない革命「五月革命」というネーミングのロマンチシズムが、「『いちご白書』をもう一度」の胸キュンと同一のものなのだと思い至りました。この青春の甘さと人生観の甘さで、左翼的な資産はどんどん目減りしていって今の状況になっているのでしょう。

  • 1971年生まれの自分はタイトルが気になって手にとってみた。

    「京都の高校で紛争のあった夏」は抜群におもしろいのだが、残念ながら「暴力を生んだラブ&ピース」あたりで読み進める気力がなくなってくる。

    1971年生まれには共感することができない「この頃って、こういう時代だったよね」という同世代に向けた内容なのだろうか。ついていけなくなる。

    ちょっと自分にとっては残念な内容ではあったが、「京都の高校で紛争のあった夏」は映画で観たいなあ、とぼんやり思う。

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著者プロフィール

1958年生まれ。京都市出身。コラムニスト。
著書に『かつて誰も調べなかった100の謎 ホリイのずんずん調査』(文藝春秋)、『青い空、白い雲、しゅーっという落語』(双葉社)、『東京ディズニーリゾート便利帖 空前絶後の大調査!』(新潮社)、『ねじれの国、日本』(新潮新書)、『ディズニーから勝手に学んだ51の教訓』(新潮文庫)、『深夜食堂の勝手口』(小学館)、『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)、『若者殺しの時代』『落語論』『落語の国からのぞいてみれば』『江戸の気分』『いつだって大変な時代』(以上、講談社現代新書)などがある。

「2013年 『桂米朝と上方落語の奇蹟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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