あひる (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
3.64
  • (144)
  • (275)
  • (255)
  • (69)
  • (7)
本棚登録 : 3421
感想 : 321
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041074435

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『星の子』、『こちらあみ子』と続き、今村夏子さんの作品を読むのはこれで3作目です。
    読み終えて、やっぱり大好きな作家さんだと改めて実感しました!
    穏やかなで淡々とした日常の中に、主人公を始めとした純粋でピュアな登場人物の温かい描写と、取り巻く人たちの時に残酷な行動や展開、そのギャップのある雰囲気がたまりません。優しく温かい空気の中でもどこか不穏さを感じてハラハラしながら読み進めました。
    本作は三編入った短編集ですが、2編目と3編目は視点が変わった連作になっています。中盤までが結構せつない展開だった中、結びは救いのある終わり方で良かったです!

  • 読み進むにつれて、得体のしれない不安が募ってくる。
    一度読んだだけではもやもやしたままだったので、即、再読して分かったこと。
    あひるや近所の子供達は、両親にとっては自分たちの希望(孫が欲しい、孫と一緒に暮らしたい)を疑似体験するための道具に過ぎない。
    「のりたま」が死んでも、簡単に代わりのあひるを連れてくる。大事にしようとしない。孫の代わりになる子供たちを集めるおもちゃ程度にしか思っていないのだ。
    家に集まる子供たちの名前も覚えていないし、顔もなんとなくしか覚えていない。
    個々に向き合っていないから。あくまでも孫の代わり。
    居もしない孫にしか関心が持てないので、同居する娘にすら関心がない。
    それが、娘の視点で、出来事のみが語られる。その語りの中から、文章の余白から、上記のことが読み取れる。読み取れてしまう。
    日常の中の異常をぼんやりと感じながら読み進んだので、「得体のしれない不安」になったのだ。

    やがて、待望の孫が産まれ、念願かなって同居することになる。
    あひる小屋は壊され、孫の為のブランコが出来る。
    もう、あひるも、近所の子供達も必要ない。
    だが、孫への関心はいつまで続くのか。関心が他に移った時、どうなるのか―

    200頁にも満たない一冊だが、読み応えのある一冊だった。

  • この著者はすごい。明確でないものを物語にするのが上手い。解説の言葉を借りるなら「交換可能」。これをあひるはもちろん他人の子どもと孫やおばあちゃんの存在などあれだけ思い尽くした対象もいずれ忘れ交換できてしまうという、こわい本。

  •  第161回芥川賞受賞作家・今村夏子氏の2冊目の文庫本。表題作「あひる」の他、連作である「おばあちゃんの家」「森の兄妹」を含む短編集。

    「あひる」
     両親と同居する「わたし」の家で、あひる「のりたま」を飼うことになった。その日から近所の子どもたちがあひるを見に遊びにくるようになり、孫もおらず会話がなくなっていた両親が活気づく。しかし少しずつ元気がなくなっていく「のりたま」。父が病院に連れて行くと、「のりたま」不在の家には誰も訪れなくなり、以前のように家は静まり返ってしまった。2週間後、黒のワゴン車に乗せられて帰ってきた「のりたま」は、全体的に小さくなり、羽根の色も、目の色も、くちばしのしみも、前の「のりたま」とは違って見えた…。
     淡々と語られ過ぎていく日々の中に、交換され、移り変わってゆく不気味さが浮かび上がってくる短編小説。


     3作全て、何か決定的な恐怖があるわけではない。悪と呼べる人物が登場するでもない。バットエンドでもなく、むしろラストはハッピーエンドに分類できる。なのに、なんだろう、この薄ら寒い読後感は…。
     「あひる」では、「のりたま」によって活気づいた家の賑わいを保つため、両親があひるを物のように交換して繋いでいく様が描かれる。そのあひるのリレーは3匹目の死で終わるのだが、それはすでに「子ども集め」というのりたまの役割を果たしたからに過ぎない。家はもうのりたまがいなくても子どもたちのたまり場になっていたからだ。しかしその「家に賑わいをもたらすもの」も、子どもたちから新しく生まれる孫へと交換されていく。移り変わり交換されていくということは、迎えられる者がいる一方で棄てられる者がいるということ。そしてそれは、私たちが生きている世界での現実でもある。小説内の不気味な歪みは、私たちがあえて目を逸らしている現実の歪みそのものなのかもしれない。
     今村夏子氏の語り方も非常に特徴的。他の小説の多くがある登場人物や常識、概念を否定的・肯定的に描こうとする立場をとる。(あるいは何かを読者から隠すように、目を逸らさせるように描かれる)しかし今村氏の文体は、全てをあるがまま見たままに描く。そこに歪みや不気味さを内包していたとしても、一切の「語り手の意図」がない。だから読者は気付かぬうちに不安と恐怖を抱いている。う~ん、これが結構病みつきになる怖さ。
     書かないことで多くの余白が存在する今村氏の作品。なんだかその余白は読者の想像に任せるために用意されたものではなく、今村氏の筆が自然発生的に生み出した空白ではないか。読者はそこを想像で埋めるのではなく、闇の引力を持つその空白に吸い込まれてしまうのだ。

  • 「あひる」「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の三篇収録。
    「あひる」は、河合隼雄物語賞受賞作。
    作者の今村夏子さんは、「むらさきのスカートの女」で、第161回芥川賞受賞(2019年上期)。

    中学生におススメの本を常に探しているのだが、どうかなぁ、とおもって題名に惹かれて手に取った。まず、パラパラと開いておもったのは、文庫本なのだが、ものすごく、行間がとってあって、読みやすい! これは小学生にも中学生にも読む気がするに違いない(「老眼に優しい」、といえる)。しかも、短編が3つ。ますますいい!

    読みやすく、そして、書いてあることは難しいことは一切なくて、どこかにあるような日常風景がつづられていた。
    はてさて、だれが読むのにふさわしいのだろう?
    書いてあることは理解できるけれど、いったい、なにを言わんとしているのだろう。
    もしかして、もしかして、、そういうこと?
    と、深読みがはじまる。深読みしてみるとすると、とっても怖い人間心理や、社会現象が描かれている、そんな作品です。

    作者は特別になにも語らないで淡々と描写をする。読み手の成長に合わせて読み手が理解する。読み手の経験値が高ければ、もしや、これは、あれを意味するのでは?と憶測していくことになる。
    そういう余白がいっぱいの短編集だとおもいます。
    目線は子ども目線の作品。

    色々考えたうえで、やはり、中学生におススメの一冊に選ぼうとおもいました。

  • 今村夏子はエンターテイメントと純文学と児童文学のハイブリッドだなと。あひるのミニマルな文体とパンチラインの強烈さはホラーなのかコメディなのかわからなくなる。余白の素晴らしさも含め、人間の「気持ち悪さ」を浮き彫りにする手腕はただただ見事。

  • 『星の子』の人だったのか!
    でも、読んだ感じでは思い出さなかった。

    家にあひるがやってきた。
    停滞していた家に、子供たちがあひる目当てで遊びにくるようになり、お父さんとお母さんは、その時間が愛おしかったんだと思う。
    子供たちの方が我が物顔になって、主従が逆転しだした時、孫を連れた弟の登場によって、一気にクライマックスへ持って行かれる。

    え、え、ここ、クライマックスですか!?
    と唐突に弟に怒られ、ふと、姉って何者なのよ、と思う。
    この作品の語り手であり、資格試験の勉強に打ち込みながら、停滞を生活としている、姉。
    え、え、結局お姉さんって……。
    こ。怖い。この話、めっちゃ怖い!!
    と「ひたひたと」寒気に襲われた所で終わる。

    生活の持つ、澱みが上手い。
    それとなく、忍ばせて、揺蕩わせる感じ。
    おばあちゃんシリーズ二作は、「スクラップアンドビルド」を思い出した。
    老人の覚醒って、なにかを外れてしまったようで、怖い。けど、尊い。なんだか、パラドックスだ。

    とにかく薄いから、読んでみて。
    途中から、わわわとなるから。わわわだから。

  • 「きたない軍手」と「大事な手袋」

    主観は時として恐ろしい客観性を生み出す。
    それを家族という形で歪に生み出した傑作。
    あひるを可愛がる家族、おばあちゃんを取り巻く家族、モリオ兄妹を取り巻く家族。
    読んでいると背筋が寒くなり、涙を流す。

  • 「こちらあみ子」に続いて今村夏子さん2冊目。

    深い。心がざわつく。ただの喜怒哀楽で表せない何とも言えないわからない感情が湧く。

    まだ2冊目だけど、今村夏子さんの作品好きです。

  • 3部構成

    1.あひる
    父が同僚から貰ったアヒルの、のりたま。
    近所の子供の間で人気者。
    ある日病気で亡くなるが、代わりのあひるがやってくる。父と母は、それをのりたまとして、変わらず接し続けるが、主人公は気づく。
    不思議で不気味な感じ、、、、。

    3匹目ののりたまは、家で亡くなり、庭に埋めることに。
    そして、弟夫婦が実家に移り住むことになり、家を工事することに。
    なんとのりたまが埋まっている庭はブランコにするという話で、のりたまは潰されてしまう。。。
    そこで話は終了。不気味!

    人の興味は常々変化して、(のりたま▶︎弟夫婦の子供)当時興味あったことは忘れ去られてしまうねということかなと捉えました。


    2.おばあちゃんの家
    小学1年生みのりの話。
    弟と親が病院に行っている間、みのりとおばあちゃんはおばあちゃんの「インキョ」でお留守番。
    その日秋祭りがあり、どうしても行きたいみのりは学校へ行くと嘘をつき、抜け出す。
    いつも使わない近道を使うと、森の中を迷子に。
    何とか公衆電話を見つけ、家に電話。
    何故かおばあちゃんが出て、迎えに来てくれて、助かる。
    なぜ、おばあちゃんが実家の電話でたのかという謎、、、。こわいですねー。


    3.森の兄弟
    2.おばあちゃんの家と繋がりがあります。
    2.で、おばあちゃんがボケて来て1人で「ぼくちゃん、ぼくちゃん」と喋り出すというシーンがあるが、実は森の兄弟(モリオとモリコ)に向かって呼んでいるということが分かる。

    先入観でボケたと思ってしまう気持ちも分かるが、バイアスをかけすぎるのも良くないよねと、思いました。

    おばあちゃん実はぼけてなかったのかなー?




    読みやすい作品集になっていますが、世界観がどくとくで、なんかぼんやりしてる感じがしたので☆3にしました。

全321件中 51 - 60件を表示

著者プロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で「太宰治賞」を受賞。『こちらあみ子』と改題し、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で、11年に「三島由紀夫賞」受賞する。17年『あひる』で「河合隼雄物語賞」、『星の子』で「野間文芸新人賞」、19年『むらさきのスカートの女』で「芥川賞」を受賞する。

今村夏子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×