作品紹介・あらすじ
東京近郊で連続する誘拐殺人事件。事件が起きた町内に住む富樫修は、ある疑惑に取り憑かれる。小学六年生の息子・雄介が事件に関わりを持っているのではないか。そのとき父のとった行動は……衝撃の問題作。
感想・レビュー・書評
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なんとも言えない不思議な内容であった。
主人公を視点として物語が進んでいくのかと思いきや、途中から妄想?想像に切り替わっており、どこまでが現実でどこからが想像なのか分からなくなったりする。呼んでいるこっちも非現実感があり面白かった。
マルチエンディング形式のような本だが、最終的にどうなるのか、どういう気持ちに決着したのか後味の良い、気になる終わりかたであった。
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意味不明系きた~~!!なんだこれ!!んっ??終わり?始まり?どこまでが真実で、どこまでが妄想かが分からない。私にはこの本が理解できませんでした。どうすればいいのでしょうか?この私の気持ち、私の時間。コメントの書きようが・・・ない。主人公は2軸(パーソナリティ)が問題だったのかな?私の脳の中で、とある絵画を思い浮かべている。それはサルバトール・ダリ、記憶の固執。これだ!それだけこの本は「私にとって」意味不明だった。
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古本屋さんで安売りしてたから買った一冊。
題名みて興味持った一冊でもある。
精密な妄想を読まされた感じ
結局事件の結末はわからないし、妄想だらけで踊らされた感じ。
世界の終わりはわかるが始まりは?
希望を持つ事?
結局どうなったかわかればスッキリして読み終われたのに
う〜ん長い物を読まされたのに消化不良
ちょっとがっかりした小説でした。
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この本を読んで歌野晶午のファンになった。
話の展開が読めなくて、ワクワクしました。
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あーーー歌野ワールド全開。
裏表紙のあらすじにあるように、まさに
「既存のミステリの枠を超越」している。
未来の選択肢としては"悲劇"しか提示されていないのに、それでも主人公の修はその中から「きぼう」を見出す。
そんなはずはないのに、なぜか「大丈夫、何とかなるだろう」とこちらも思ってしまう。
自分の好きなタイプの作品ではないのだが、こういうのもアリかもなと思ってしまった。
もしかしたら、"歌野晶午の作品"というバイアスがかかっているのかもしれない。
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何度も何度も最悪の事態を想像しては悩み続ける富樫修。父として、夫として、自分自身の本音と向き合い、子や妻を心配し、不安に苛まれ、状況を憂い、なんとか子を守ろう、信じようとする。子育てにおいて「殺人」ということではないにしろ、親なら誰でも考えるなぁ、と共感してしまった。
タイトルもなるほど!
しかし、想像力豊かなパパでした。
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文章の相性が凄いです。止まらなくて、一日で読みました。
自宅、カフェ、庭、色々な所で読みながら、何度か、「なんやねん!」と立ち上がり、「でも、どーすんねん」と座り。最後は、「反則やー」と項垂れながらも、タイトルに共感し、文章力に感動しました。
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葉桜の季節で気になった歌野晶午さんの作品。
構成がものすごく独特で、前半1/4くらいは事件の事実とそれに関わる人達の感情を描くことで、その人達の個性と特徴を示唆してる。
後半は父親の妄想編。前半で示された事実から、パラレルワールドのように真相が明かされては妄想でした、が繰り返される。
妄想の結末は全て悲劇で、ある一家にとっての世界が終わるという結末になる。しかしその度に妄想を打ち消し、始まりに戻る。
結局事件の真相はわからない、というミステリー小説としては変態な部類の終わり方。
賛否両論あるかもだけど、読みやすいし没入して一気に読めた
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こんな作品大好き!妄想がすさまじいが、自分も妄想で病むことが多々あるので、悶々する感じ、がんばれと思う。タイトルも上手い、絶妙。納得。
著者プロフィール
1988年『長い家の殺人』でデビュー。2004年『葉桜の季節に君を想うということ』で第57回推理作家協会賞、第4回本格ミステリ大賞をダブル受賞。2010年『密室殺人ゲーム2.0』で第10回本格ミステリ大賞をふたたび受賞。
「2022年 『首切り島の一夜』 で使われていた紹介文から引用しています。」
歌野晶午の作品